12.第三章二話
魔女のやすらぎの商品を購入したヴェルディが帰宅し、フィーネはジェイラスとティータイムを過ごしていた。
「ヴェルディ殿は相変わらずだったかい?」
「はい。陛下のことも訊かれました」
「やはりね。彼はゼノンルクスの師匠で昔からかなり可愛がってるから、あれで結構心配してるんだよ、本当に」
その辺りの繋がりは当然のように把握済みなようで、ジェイラスはそう説明する。
そんなジェイラスにフィーネが何か言いたげな視線を向けると、彼はゆるりと口角を上げた。
「そういえば、僕とゼノンルクスの関係、なかなか聞いてこないね」
「……そこまで踏み込んでいいものか、判断ができなくて」
フィーネとジェイラスはお互いに隠し事をしていて、知らないことがある。親子でも兄妹でもなく、関係性としては上司と部下。母親を亡くしたフィーネの面倒を見てくれていて、後見人であり保護者ではあるものの、正式な家族というわけではない。
けれど、ジェイラスはフィーネの家族のようなものだ。ジェイラスも同じように感じてくれていることは充分伝わってくる。
それでも、何がどう踏み込んでいいラインなのかどうかは、いまいち自信がない。正直なところ、仕事以外での他者との関わり方というものが、フィーネには難しいのだ。
「君ならいいんだよ、フィーネ」
慈愛に満ちた微笑を向けられて、フィーネはほんのり頬を染めた。湧き上がった気恥ずかしさに視線を落とす。
「えっと、ジェイラスさんはたぶん、かなり地位の高い方ですよね」
これまでにも違和感はあった。彼はレーヴの客からも当たり前のように敬われているから、その立場がただの貴族よりも上であることは薄々感じていた。加えて魔王とも親しげとくると、可能性は数えられる程度に絞られる。
「そうだね。元王族だよ」
あっさり肯定された。
「僕は正真正銘、初代魔王の血をそれなりに濃く受け継ぐ血筋にあたる。ゼノンルクスとは近い親戚だね。その事実がレーヴの若い子たちの耳に入らないように意図していたのは認めるよ」
フィーネにも知られたくなかった、ということだ。
突き放されているようにも感じられるけれど、ジェイラスの様子から、そうでないことは明白だった。
「どうして隠してたんですか?」
自分の秘密は棚に上げて、フィーネはそう訊ねる。
「継承権はとっくに返上していて、王族から籍を抜いて久しいからね。あまり蒸し返されたくなかったんだよ。みんなに無駄に緊張感を与えたくもなかったし」
元、だと言っていた。どんな理由で王族ではなくなったのかと思えば、どうやらジェイラス自身が望んだことらしい。
魔王は初代魔王の血を受け継ぐ者の中から魔剣に選ばれた者。しかし、例えば魔王が寿命を迎え、次の魔王の器があまりにも幼い、力が覚醒していないなどの理由で、魔剣が選ぶ真の魔王が不在の時期もある。そういった場合は代理の魔王が選ばれるのだ。
ジェイラスがずいぶん前に返上した継承権は、つまり代理の魔王になることができる権利のことである。
きっと、昔からいる従業員はジェイラスの立場を知っているのだろう。それこそ、貴族出身で元は城で働いていたという料理長は間違いなく。
これまで、古株がジェイラスの正体について話題に出さなかったのも、その話題になると上手くはぐらかしていたのも、ジェイラスの意思を尊重してのことのはずだ。
フィーネのように比較的若く、ここ数十年以内にレーヴで働き始めた従業員は、知らない者の方が多いのかもしれない。
「簡単に言えば隠居したようなものだから、政治にはほとんど関わってないよ。今はただのホテルのオーナーでしかない」
人好きのする笑みを見せるけれど、レーヴの利用客の態度を見ても、ジェイラスの影響力はまだ健在であることが窺える。
ジェイラスの立ち居振る舞いは洗練されているうえ、昔から彼の魔力には惹かれるものがあった。元聖女のフィーネがとても興味を持つ魔力の質だったのだ。初代魔王の血を引いているのではと感じたことがあったので、そんなに驚くことではない。
更に、ジェイラスは母親からこのレーヴを継いでいるけれど、これほどの規模を誇る最高級ホテルを経営していた母親となれば、上流階級と繋がりがあることは想像に容易い。ジェイラスから母方の家系について話を聞くことはほとんどなかったけれど、王族と問題なく婚姻を結べる家柄だったのだろう。
ジェイラスの規格外の優秀さは、フィーネもよく知っている。類い稀なる魔力量と魔法の技量は、もちろんジェイラス自身の努力の賜物であることは間違いないけれど、その血筋も理由にあったのだ。
ゼノンルクスとジェイラス。二人の関係は良好……と表していいのかは、ゼノンルクスの鬱陶しそうな顔やら無表情を思い出すとなんとも判断しづらいものだけれど、見た限りではとにかく不仲のようには感じられなかった。一見険悪そうなやりとりはフィーネには親しい者同士のじゃれあいにしか見えなかったし、ゼノンルクスもジェイラスも、お互いを本気で嫌っている素振りはなかった。
「ゼノンルクスとも頻繁に連絡を取っているわけではなかったんだよ。実際に会ったのは何年ぶりかな」
そうは言うけれど、ジェイラスはゼノンルクスの体調も気にかけているようだし、やはり仲は良好と言っていいのかもしれない。
「フィーネのおかげでゼノンルクスの顔色もだいぶよくなってるみたいでよかった。完全に治すのは難しそうかな?」
「現時点ではなんとも言えません」
フィーネは医者ではない。それなりの信用は得られている気はするものの、ゼノンルクスが不眠症の改善に積極的かと問われれば、肯定するには違和感がある。
「陛下の不眠症の原因はなんなのでしょう」
ぽつりとフィーネが呟くと、ジェイラスが思案げに視線を落とす。
「そうだね……一つとは限らないし、ゼノンルクスからは聞いたことがないから、実際のところは本人にしかわからないだろうね。もしかすると本人もわかっていない可能性もなくはないし」
自覚がないというのも否定しきることはできない。
「ただ確かなのは、昔から不眠症気味ではあったのが、五百年くらい前から悪化し始めたかな」
「五百年……」
「身近な者が感じとれるほど体調に変化が表れたのが終戦から数ヶ月ほど経過した頃だから、終戦直後から悪化したんじゃないかと僕たちは見ている」
本人から明言がないということで、あくまで推測らしい。
「そして、気づいた者はみんな、時期的に聖女がゼノンルクスに何かしたんじゃないかとまず疑いを持った。首を斬られる前に、聖女が最期の力を振り絞ってゼノンルクスに呪いをかけた可能性が高いって」
(えっ)
予想外の容疑にフィーネは瞠目したけれど、その反応は目を伏せているジェイラスには気づかれなかった。
聖女は何もしてない。それはフィーネが一番よくわかっている。前世のフィーネには、ゼノンルクスを呪うどころか、危害を加える理由などまったくなかったのだから。
そうはいっても、魔族側にそんな事情がわかるはずもないので、妥当な容疑ではあるのかもしれない。
魔王を害す意思が表向きにはあり、害す力も持ち合わせている。聞いた限りだと、確かに聖女が最も疑わしいことは理解できる。
「ただ、ゼノンルクスに訊くとすぐに違うと否定されてね」
そう続けられて、フィーネは内心ほっと安堵の息をついた。
前世のことであり、ジェイラスたちはフィーネの正体を知らないとはいえ、やはり親しい者から疑われるというのは気分が良くないものだ。
「本人は原因をわかっていそうではあるんだけど……どうなんだろうね」
うーん、と考え込んで、ジェイラスはどこか面白そうに笑みを浮かべた。
「もしかしたら、フィーネには教えてくれるかもしれない」
そんなことを言われてフィーネは目を丸め、瞬きをする。
「それはどうでしょう……。私はまだ数回しかお会いしていませんし」
「でも、ゼノンルクスは君にかなり心を許してるように見える。僕にはね」
ジェイラスの方がゼノンルクスについて詳しく、その機微にも敏感だとは思うけれど、過大評価な気がする。
「本人だって今のままでは体がつらいだろうし、君の魔法は効果があるようだから、治すためにも話してくれる可能性は充分あると思うよ」
フィーネが納得できないでいると、ジェイラスからある提案が飛び出す。
「一応、原因に察しがついているかもしれないやつがいるから、そちらにもあたってみよう」
「察しがついている方、ですか」
「あれもなぜか口が堅いんだ。けど、フィーネの力を知った今、軽くなるんじゃないかな。ゼノンルクスをとても敬愛している信奉者だからね」
◇◇◇