01.プロローグ
魔王城に乗り込んだ人間の少女は魔王軍の将軍に捕まり、玉座の間に連行された。乱暴に肩を押されて床に膝をつく。
「――お前が今代の『聖女』か」
長い足を組んで玉座に腰掛けている『魔王』が、赤い瞳で少女――聖女を見下ろし、低い声を放った。
聖女の手首は魔法で後ろ手に縛られ、元々艶があったであろう白銀の長い髪は汚れ、乱雑に顔にかかっている。聖女の証である植物を模した金のヘッドドレスもずれていた。
膝をついたままおもむろに魔王を見上げ、澄んだ深い青色の瞳にその姿を捉えた瞬間、聖女は瞠目する。見惚れた、と表現するのが妥当かもしれない。
強い魔族というものは総じて顔が整っていることが多く、魔族を統べる力を持つ魔王は人間から見てもずば抜けて美形と言わざるを得なかった。
艶のある漆黒の長髪、同色のまつ毛に縁取られた目は切れ長で、覗く瞳は冷たさを帯びた濃い赤。すっと通った鼻筋に形の良い唇、シャープなフェイスライン。服を着ている上からもわかる、程よく筋肉がついているであろう均整のとれた体。組まれている足の長さから推測するに、おそらく身長も高いのだろう。どの部分を切り取っても完璧である。
もっと――それこそ物語に出てくる怪物のような容姿を勝手に想像していたのに、尖った耳や角がなければ、見た目は本当に人間と変わらない。
魔王は自分を見ての彼女のような反応には慣れきっているためか、特に大きな反応は示さなかったものの、わかりづらいけれどほんの少しばかり眉を寄せた。
そばに控えている宰相は聖女を見据え、馬鹿にするように、見下すように「は」と短く声を出して嘲笑する。
「所詮は欲深い人間だからね。陛下の顔を見ればこんなものだよ」
他の種族と比べれば人間同様、彼ら魔族とて元来欲深い種族なのだけれど、そこは棚に上げている。そもそも種族など関係なく、魔王の美貌は誰の目も惹きつけてやまないのではないだろうか。
魔王ほどではないけれど、宰相もまた美形だ。そんな彼から向けられる下賤のものに対する冷ややかな視線をまったく気にすることなく――正確には、宰相どころか周囲の魔族すらも視界に入っていながらほとんど認識などしておらず、聖女はただただまっすぐに魔王を凝視していた。
(このひとが魔王。私を……)
魔王を実際に目にするのは初めてだった。禍々しい膨大な魔力と、圧倒的な存在感、威圧感。この場の空気を完全に支配している。
まさに、上に立つ者の雰囲気を纏う男だ。
魔国の絶対的な頂点であり、世界の悪だと断言されている最強の魔族。聖女が討たなければならない相手。――そして、聖女を殺すことができる、この世界で唯一の存在。寿命以外の死を与えてくれる唯一の希望。
「陛下。この聖女をさっさと殺して、連合軍に首でもくれてやろうよ。聖女がいなくなれば、連合軍が降伏するのも時間の問題だろうし」
「……ああ」
魔王がゆったりとした動作で立ち上がる。コツ、コツ――と靴音を立てて段差を降り、聖女に近づいた。
聖女の前で立ち止まり、腰にかかっている剣を引き抜く。
きらりと光を反射したそれは、誰もが扱えるわけではない特別な剣。鋭く、切れ味も抜群だろう。十代の少女の首など簡単に、髪の抵抗などものともせず、一瞬で切り落とせるはずだ。
何を考えているのかまったく読み取ることのできない不思議な血の色の双眸に見下ろされるも、聖女はやはり、青色の瞳でまっすぐ見つめ返す。
(ああ、やっと……)
聖女の心に、目前に迫る死への恐怖は欠片ほどもなかった。虚ろに見える澄んだ青色が宿すのは――。
「――聖女様!」
「おいっ、やめろ!」
魔王の剣が聖女の命を断つ瞬間を今か今かと待ち望んでいる魔族が集う玉座の間に、悲鳴にも似た焦りまじりの声が響く。聖女には聞き覚えのある声だ。
聖女と同じくボロボロになり、魔族に捕まって連れて来られた者たち。聖女と供に魔王城に乗り込んだ、連合軍の主力数名だ。立場がそれなりに上の者たちで、聖女の護衛の役目も請け負っていた。
彼らは開け放たれた扉を拘束された状態でくぐり、聖女のように玉座の正面まで移動させられることはなく、扉付近で抑え付けられる。
聖女を解放するよう訴えて騒ぐけれど、味方であるはずの当の聖女も、今まさにその命を奪おうとしている魔王も、まったく見向きもしない。その声が届いていないはずがないのに、二人とも彼らの存在を気に留めることなく、意識を一切向けない。
乱入者がいようと、この先の結果が変わることはないのだ。乱入者に変化を起こす力はなく、留意する必要性がなかった。
聖女が顔を俯かせると髪が肩から零れ、埃がついてくすんだ色になった白銀が顔を隠す。彼女がどんな表情をしているのか、誰からも見えなかった。
だから誰も気づかない。彼女が美しい顔に浮かべているのは絶望などではなく、至極落ち着いた、穏やかなものであることに。
ゆっくり目を閉じ、視界を閉ざして数秒もしないうちに、魔王が剣を持ち上げたのが気配で伝わる。「やめろ!!」となおも叫ばれる声が響きわたるけれど、やはり聖女の耳には無意味な音として届くに過ぎない。
シュッと、剣が自分の首めがけて振り下ろされたその瞬間。
「――」
小さく呟かれた声に、確かに紡がれたその言葉に、魔王は僅かに目を見開く。しかしながら、振った剣は勢いが止まることなく――魔力を纏った刃はその白く細い首を切り裂いた。
白銀の髪が踊るようにさらりと宙を舞い、聖女の頭がぼとりと床に転がり、頭から外れたヘッドドレスがカランと落ち、支える力のなくなった体はばたりと倒れる。
事実上、戦争に決着がついた瞬間だった。
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