執筆研究ノート6
・「“読み”物語」を意識的に行うことについて
1.何を描くかよりも、何を描かないかを考える。日本文化的な引き算の古風な意識だが。
例えば、芭蕉の一句の成り立ちまでには、書き換えの苦労がある。最初に思いついた句は駄作に見える。
「最初の思いつき(アイディア)」は詩人にとっては、言葉の切実な訴えなのだが。
「何を切り捨て」「何を活かし」「何を変換するか」
芭蕉は、現代なら変換キーを押しまくっていたのかもしれない。
「個性を大事に」は胡散臭いキャッチフレーズだが、「個性を脱ぎ捨ててまでも、語呂の良さを大切にする」
ーー“読み”物語ーーなのである
「適切な方向が存在し、導くための何かがある」という神秘思想的な話になってしまうが。
言葉に出す気持ち良さや、敢えての引っ掛かり、際立たせ方、繋ぐための運び。
自分の思いついた中に、自分にやって来た物語に、描かれる部分と描かれない部分を考えてみること。
2.物語の改竄について
古今東西(古今は時間の流れで、東西は空間の広がりなんですね、面白い)世の中の物語は様々なモチーフ
を借りながら、書き換えながら、継がれて来ている。
元の形を歪めて、内容の善悪も返ったりして、または消滅で途絶えながら、何かとして残っている。
小説家や、表現者の中には、原初の形に立ち返ろうとする姿勢で探究する人もいる。
それを自分の時代や、過去のある時代、未来予想図と交差した形にしようとする人もいる。
ー何かを取り出すことは、何か取り出さない部分があるーーということ
「物事の正しさ、事の成り立ち、陰陽のバランス」それに干渉してしまうことの危うさがることを知ること。
社会というよりも、自然の、宇宙の、大きな視点で自分の行いを考えてみないといけない。
何らかの大きな流れの中に自分の人生も他人の人生もあることを、物語ること。
自分の産んだものが、知らず知らずの語呂や、モチーフにした物語の原型の背景にあったものから、
魔術になってしまうかもしれないという危惧を持つこと
恋した瞬間、世界が終わる -地上の上から-
という作品を連載中です。