7、目覚め
目が覚めたクリスの視界に入ってきたのは、一人の男の姿だった。髪にはまばらに白が混じっているけれども、老けて見えるわけではない。けれどもその眼には光がなく、まるでこの世の中のすべてを悟って諦めてしまっているかのような眼だった。
「やあ、お目覚めかい?」
と、その男はぼそっと呟くようにして言う。
「ここ……は?」
クリスは周囲を見回す。
そうして、クリスは自らの状態を理解した。どうやら、椅子に座らされた状態で拘束されているらしい。その状態を理解したと同時に、意識を失う直前の記憶を思い出す。
――私は確かにナムゥヌの陣中で気を失ったはず……なのに。
それなのに、なぜこんなところにいるのだろうか。目の前には明らかにナムゥヌなんかではなく、ヒトが立っている。
敵陣で倒れた後に、味方に救助されたのだろうか。いや、けれどもそれが間に合うほどの迅速な救助部隊が出されたとは考えづらい。ならば、部隊の誰かがすぐに引き返して助けに来てくれたのだろうか。もしそうなのだとしても、この見覚えのない場所に拘束されている理由がわからない。
「ここは私の研究室だ」
そんなクリスの疑問に答えるように、目の前のその男は言った。
けれども、その言葉でクリスの疑問が解けるはずもなかった。もしも味方に助けられたのならば、病室に入れられているはずではないのか。病院でなくとも、せめて部隊が駐留する前線基地の医務室ではないのか。なぜ研究室なのだろうか。そもそも、ここはどこの研究室なのか。
「さて、どこから語るべきか……」
と、男は顎に手を当てた。険しくはない、むしろ穏やかな表情で、余裕を感じさせる。きっと、たくさんの知識を蓄えているがゆえにそう見えるのであろう、と思えた。身に纏った長い白衣は、年季を感じさせるほどに使い込まれているように見えた。その立ち姿は、確かに科学者の風格だった。
「どこからもなにも、最初から、全部こいつに言い聞かせればいいんですよ」
と、クリスの背後から、もう一人の声が聞こえた。
必死に首を回そうとして、目の端にその男の姿を微かに捉えた。クリスの正面に立つ男よりは若く見える。二十代の中盤、といったところだろうか。その若い男も白衣を着ている。彼も研究者なのだろうか。
「こいつらにヒトの心なんてないんですから」
若い男の言葉には、明らかに憎悪が込められていた。椅子に座らされたままのクリスに対する憎しみ。けれども、クリスに心当たりはない。ここにいる二人の男に面識はないし、見ず知らずの人間から悪意を向けられるような行動をしてきたことはない、と思っている。そんな言葉を浴びせられる謂れはないのだから、そんなふうに攻撃的な態度の彼に対して、嫌悪感を覚え始める。
「ちょっと、なんなのよ! 貴方たちはいったい誰なのよ⁉ ここはどこで、どうして私はこんなところで拘束されてるの⁉」
「うるさい、黙ってろ!」
若い方の男に、頬をはたかれる。けれども、クリスにとってはそんなもの痛くも痒くもなかった。所詮は研究者の非力な暴力だ。現役の戦闘部隊員であるクリスにダメージを与えられるはずもない。睨み返すと、男はほんの少しだけ怯んだ。
「こらこら、乱暴はいけないよ」
年配の方の科学者がたしなめる。
「でも、こいつは……こいつらは……!」
「落ち着きなさい」
「……っ……は、い」
渋々、といった苦い表情で若い男は一歩下がった。
「さて、と……」
年配の男はクリスの正面に立ち、目を覗き込んだ。
「……キミには、我々がどう見えている?」
その質問の意味がわからなかった。彼らがどんな人間に見えるかどうか、その印象を問うているのだろうか。それとも、ただ単純にその容姿のことなのだろうか。
なんと答えればいいのかがわからなくて、クリスは眉根を寄せながら、首を傾げる。
「僕たちの言葉は、キミに通じているのかな?」
その言葉の意味はわかる。彼らの言葉は、確かに理解できる。クリスは小さく頷く。
「ならば、僕たちの姿はきちんと人間に見えているのだろうか。キミから見た僕たちは、ヒトの姿をしているだろうか?」
当たり前じゃないか、とクリスは再び頷く。彼らは、どこからどう見たって人間だ。なぜそんな当然のことを訊ねるのかがわからなくて、クリスは余計に混乱する。
「貴方はいったいなにを訊きたいの? 本題はいったいなに?」
「これこそがまさに本題だよ。キミに、我々の姿がどう見えているか、それが重要なことなんだ」
クリスにはやはり、目の前の男がいったいなにを言っているのかがわからない。
「どう見えているかだなんて、そんなもの人間に決まっているじゃない。貴方たちは自分が人間じゃないとでも思っているの?」
「は、ははは。まさか。我々は間違いなく人間さ。自分自身が人類であると自覚している。けれどもね、キミたちは違う」
「違う……?」
「キミたちには、これまで僕たちの姿が人間には見えていなかったはずだ。だからこそ、キミたちはこの世界の人類を大虐殺して回る、なんて非人道的なことができていたんだろう?」
「……変なこと言わないで。虐殺? なによ、ソレ。そんなものに心当たりなんて無いんだけれど」
「まさか。心当たりがないわけがないだろう。キミたちが執拗に虐殺を繰り返してきた相手、キミたちが殲滅させようと躍起になってきたモノ、キミたちが『ナムゥヌ』と呼んでいた怪物たち。それこそが我々なんだよ」
「……は?」
その言葉の意味がわからなくて、クリスはそんな間の抜けた声しか出せなかった。目の前にいるどう見ても人間のこの男が、ナムゥヌだというのか。いや、そもそも彼らは自分のことを人間だと言っていたではないか。それなのに、自らのことをナムゥヌだとも言う。
――人間でありながら、ナムゥヌでもある……?
その矛盾に、思考が追い付かない。
「さて、どこから説明するべきか……」
男は、白衣のポケットに両手を突っ込み、小さく虚空を眺めてからクリスの目を射抜き、自嘲気味の笑みを浮かべながら語り始めた。