6、夢
小さな少女がいた。少女はうずくまって膝を抱えている。
それを、クリスは空から眺めていた。その少女がかつての自分なのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。なぜそれが自分自身なのだと理解できたのかは、わからなかった。けれども、ただなんとなくそう思ったのだ。
小さなクリスはただ悲しくてその場から動くことが出来なかった。
なにが悲しくてそんなふうにうずくまっていたのかはわからないけれども、かつてこうやって泣いていたことは覚えている。
そして、そんな彼女に話しかけてくれた男の子がいたのだ。
「ねえ、どうして泣いてるの?」
そう訊ねた彼も、なんだか泣きそうな声だった。そんな彼がなんだか頼りなくて、クリスは返事もせずにただ泣き続けた。
「泣かなくても大丈夫だよ」
その声はあまりに弱々しくて頼りない。けれども、なぜかその声に安心を覚えている自分がいるということにクリスは気付いた。
“大丈夫だよ”
きっと、その言葉に救われたのだ。
ほんの短いその言葉に、クリスはこの上ない力強さを感じ取ったのだ。その力強さにほんの少しの安心と包容感を感じて、顔を上げる。そこには、自分と同じくらいの歳の男の子が、思っていた通りに泣きそうな顔で立っていた。
「本当に?」
彼女のその言葉に、少年は小さく頷く。
きっと、彼のその言葉にはなんの根拠も無いはずだ。目の前で涙に暮れる少女を励ますためになんとか絞り出した、虚構のようなものなのだろう。
それでも。
それでも、目の前で泣いている少女を虚構でもなんでもいいから、とにかくなんとか励まそうとするその少年の心の在り方を、クリスはとても良いものだと思ったのだ。
頷いた少年はとても頼りない表情だったけれども、彼のその心の強さにクリスはほんの少しだけ、微笑むことができた。
「ありがとう」
そう言って、立ち上がる。笑顔になったクリスを見て、少年もホッとしたのだろうか。クリスと向かい合った少年は泣きそうな顔から、笑顔になっていた。
そうして二人は知り合った。
とくに特別でもなんでもない二人の出会い。けれども、二人はこれをきっかけに仲を深め、親友になったのだ。
そんな彼は、今はもういない。
以前から言われていた地球の資源の枯渇問題が、クリスたちが十代の後半頃になってより深刻さを増したのだ。石油は底をつき、増えすぎた人口に、食料も多くの人々に行き渡らなくなった。
資源の尽きた地球で、平和な日々は長く続かない。それは当然であり、必然だ。
国連が緊急事態宣言を発表したその日から、世界中ではそこかしこで暴動や略奪行為が横行した。その翌週に起きた略奪行為に巻き込まれて、彼は亡くなった。
もちろん、彼が亡くなったことは悲しかった。けれども、それ以上に虚しかったのはその暴動がほんの一か月ほどで治まったということだった。それは、世界の危機だと思っていた。事実、そうだったのだろう。けれども、それは異世界へと繋がる穴の発見によってあっというまに鎮静化した。人類の興味はあっというまに外へと向いてしまったのだ。そして、奇跡は起きた。異世界の穴の向こうは地球の環境に非常に酷似しており、そこの資源は地球を救ってみせた。
確かに、その奇跡は人類にとっては喜ぶべき奇跡だったのだろう。けれどもそんな奇跡、クリスにとってはどうでもいいことだった。
だって、彼を失ってしまったのだから。
親友の命を奪うような重大な出来事が、クリスの価値観を揺さぶるような大事件が、この世界にとってはとても軽いものであるような扱いだったことに、やるせなさを覚えたのだ。
宙に浮かぶクリスはまだ幼い、かつての少年の顔を見て、懐かしさに笑みを浮かべる。そして、これが夢なのだと自覚した。
べつに、夢でもいい。
夢の中で彼と再会できるのならば、これほど幸せなことはない。現実に彼と出会うことはもうできないのだから。
《彼女は……夢を見ているのか?》
《ああ、そのようだな》
《そんなことがあり得るんですか?》
《まあ、こうして観測されているのなら、あるということなんだろう》
誰かが会話している声が聞こえてくる。
耳から入ってきている音のような気もするし、頭の中に直接響いてくるような気もする。どこからか聞こえてくるその声に意識を持っていかれたからなのか、目の前の景色が歪んで陽炎のように消えていく。
――ああ、久しぶりに出会えた彼が消えていく。
夢だとわかっていても……いや、夢だからこそ、ここでしか出会うことのできない彼が消えてしまうということが名残惜しい。
目を開いて夢から覚めたクリスの目尻から、一滴の涙が零れ落ちた。