30、繋がり
『サム!』
そう叫んだクリスの頭を、光弾が掠める。
『隙は見せるな!』
ジョシュが敵を一体撃ち抜きながら言う。
クリスだってわかっている。隙なんて見せれば、あっというまに墜とされる。奴らの学習能力は想定よりもずっと速く、そしてこちら側はその数を一人減らした。こっちのほうが先にディープラーニングをしていたというアドバンテージも、今ではもはや無に等しいだろう。
あとは、時間を稼ぎながらどうにか博士の機体を守りぬく。
けれどもそれも、どれだけできるかはわからない。
統制がとれるようになり、先程までとは連携が段違いに良くなった敵兵たちは、徐々にクリスたちの予期せぬ動きをするようになった。初めは、彼らの動きを先読みして動けていたウォルター部隊の面々だったけれども、今では敵兵の初動を見てから動くようになってしまっている。受動的にしか動けなくなってしまったのならば、もはや数で勝るトゥルーアース兵たちの優位は揺るがない。
ケンが左脚に被弾した。内ももが抉れ、銀の血液を大量に失い、その戦闘機能が三割減退した。
ジョシュが右肩に被弾した。その影響により、右腕の機能は停止した。使えない右腕は邪魔になるだけだ、とジョシュは自らその右腕を切断し、戦闘機能は四割減退した。
クリスは大きな被弾はなかったものの、細かく色々な場所を敵の攻撃は掠めていた。ダメージの蓄積は小さくなく、大きく被弾するのも時間の問題だろう。
三人が三人とも、満身創痍で活動限界に近づいている。けれどもそれでも、ギリギリのところでなんとか踏みとどまっている。
『お前たちもなかなかしぶといな』
三度研究所内にミュラーの声が響く。
その声と同時に、アンドロイド兵たちはその動きをピタリと止める。いや、ミュラーが彼らを止めたのだろう。
『よく粘ったよ。褒めてやる。だがな、少し時間をかけすぎたな』
そう言ったミュラーの言葉の直後、穴からトゥルーアース兵たちが大量に飛び出した。
それは、サブアース1に派遣されていた五千人の兵士たちだった。
『さあ、向こうに行っていた五千の兵が帰還した、合流したぞ。満身創痍のお前たちに、もう成す術はないだろう』
これまでにクリスたちは千体近い敵を倒していた。けれども、まだまだその勢いが衰える気配はなく、さらに五千もの数が追加されるのならば、それは紛れもなく絶望と呼べるも状況なのだろう。
『もはやこの状況ではこちらの勝利は揺るぎない。それでもまだ無駄な足掻きを続けるというのか?』
『勝利、とはそもそもどの状況を指すのかな?』
それまでずっと手を動かし続けていた首のないスーツ、加來博士が手を止めて、ミュラーのその言葉に答える。そもそも、この状況はクリスたちにとっては絶望ではなく、理想の状況といえる。それを、ミュラーはわかっていない。
『僕はこの穴に関する情報を、技術をすべて消去する。この世界からね。そして、そのための算段は整った。いいかい、僕たちはこの状況を待っていたんだよ』
『……なに?』
明らかに不愉快そうな声を出すミュラー。それを意にも介さず、博士は言葉を続ける。
『そもそも、この穴を塞いだところで敵兵が五千もサブアース1に残ったんじゃ意味がない。僕たちにはもう、五千ものアンドロイド兵を倒す手段は残されていないのだからね。そのためにも、彼らにはここ(トゥルーアース)に帰還してもらう必要性があったのさ。その上で穴を塞ぐ。サブアース1に敵が一人も残っていない状態でね。そうしてようやくサブアース1に平穏が訪れるんだ。それを僕たちは狙っていた』
『つまり、コイツらが帰還することも織り込み済み、というわけか』
『そういうことだ。ここでなるべく時間を稼いで多くの敵を倒す。そうすれば、業を煮やしたお前が向こうの兵たちを帰還させ、僕たちを潰そうとするだろう、と信じていた』
『信じていた……』
その言葉は、事実なのだろう。ミュラーと長く共にしてきていた加來博士だからこそ、わかることがある。ミュラーの行動に確信を持てる根拠がある。彼がそういう男なのだと信じていた。そして、それは正しかった。
博士の確信通り、ミュラーはこの場にすべての戦力を集結させた。
いま、サブアース1に脅威はない。
『もう時間稼ぎもいいだろう』
そう言って、博士は人差し指をパネルに向ける。
『いやあ、僕がいない間にずいぶんと防壁の技術も進んだものだな。なかなか骨が折れたが……なんとか辿り着いた。ウイルスも仕込み終えた。あとはエンターキーを押すだけでいい。それで、この世界から平行世界へと移動するための技術、情報は失われる』
博士のその言葉に、クリスはここに来てから初めての安堵の表情を浮かべた。
間に合った。これでサブアース1は救われる。そして、ヨナを二度殺した世界は正しく滅びゆく。
『……なるほど。その人差し指を伸ばせば、俺たちの敗北だと、そう言うわけだな、加來』
『ああ、そうだ。滅びゆく人類。なにか言い残すことはないか?』
『まだ終わらない。終わらせないぞ、加來。たしかに、今回はお前のほうが速かったのだろう。情報も技術も失われてしまうのかもしれない。今回は俺たちの敗北かもしれない。だが、平行世界が実在するという事実を、我々はもう知ってしまっている。目標物がはっきりとしているのならば、人類はその英知を集結し、能力を存分に発揮して、なにがなんでもその地点へと到達してみせるぞ。それこそが、人類の強みだ。俺たちは、なんど敗北しようとも、勝つまで立ち上がり続ける』
『……そうかもしれないな。だが、間に合うのか? サブアース1の資源が無くなればお前たちはあっというまに滅びゆくだろう。残された時間内で、平行世界へと至ることができるのか?』
悪夢の一カ月でさえ、世界は大きな混乱に見舞われた。今回、この穴が閉じられれば、世界は再び混乱に陥るだろう。その状況下で再び平行世界へと繋がる穴を一から開くことができるのだろうか、と問われれば、その可能性は限りなく低いと言わざるを得ないだろう。
それでも。
『至ってみせるとも』
と、それでもミュラーは迷いなく宣言する。彼はその強い信念でこれまで自らの道を切り開いてきた。その経験が、自信が、その言葉を澱みなく紡がせたのだろう。
彼らしいな、と博士はかつての記憶を回顧して苦笑する。
その傲慢さを嫌ってはいたけれども、同時にそれが彼の強さだとも知っていた。その強さに救われたこともあった。その強さが博士を引っ張り上げることによって、平行世界に至ることができるようになった、という側面も確かにある。
けれどもやはりそれをどうしても受け入れることができなかった。できなかったからこそ、二人はこうして袂を分かったのだ。
『お前のその傲慢さが嫌いだ』
『知っている。なんども聞いた』
『……けれども、お前が本当にもう一度、その執念によって僕の助力もなく、かつ人類が滅びるよりも前に再び平行世界に至ることができたのならば、それは本物だ。その傲慢さが切り開く力を認めよう。僕はもう諦めるさ。そこまで追い詰められた状況でなお平行世界に至ることができるのならば、それはもはや神の総意だろう』
『はっ。科学者であるお前が最後に神の存在について言及するのか』
『科学者だからこそ、だよ。この世界に存在する奇跡、完璧な数式。緻密で繊細な世界を知れば知るほどに、神の存在はその輪郭をあらわにし、質感を伴って目の前に現れる』
『……そうか。お前がそう言うのならば、そうなのだろうな』
ミュラーのその言葉は、なぜかほんの少しだけ楽しげだった。
『ああ、そうだよ。だから、お前も神に祈れば救われるかもしれないぞ』
『生憎、俺は今まで神に祈ったことが無くてな。祈り方を知らない。だから、これからも俺は俺のやり方で道を切り開く』
『やっぱりお前は強引だ』
『うるさいよ、もうとっとと失せろよ』
ミュラーのその言葉に、博士はふっと笑って。
『それじゃあな』
そう言って、人差し指を伸ばす。ディスプレイパネルに表示されたエンターキーを押す。
この世界から、平行世界への情報が、技術が失われる。そして穴を開き、維持していた門と呼ばれていた機械も停止し、その穴はあっというまに消え失せた。
穴の向こう側にいる博士と、博士がリモート操作していたスーツも繋がりを失い、穴が消えると同時にその場にぐしゃりと倒れ込む。
ふたつの世界は、その繋がりを失った。




