29、造り物の記憶
サムの持つ最も古い記憶は、三歳の時のものだ。
両親に連れられて電車に乗っていた。その電車の中で、サムは窓の外をただ眺めていた。べつに特別なものなどなにもない、山と電柱と時たま川が見えるだけの平凡な光景。それを、なぜか食い入るようにして見ていた。
それから続く記憶も、どれも平凡なものだった。
父親は少しだけ面倒臭がり屋な正義感の強い警察官で、母親はおおらかで、そのおおらかさが滲み出たような絵を描くイラストレーター。
そんな二人はサムをとても大切に育て上げた。もちろん、ただ優しく、甘やかすだけではなく、サムが悪いことやいけないことをすればしっかりと叱り、ものの善悪や分別をきちんと教えてあげた。
そうして小学校では明るく、優しく、正しいサムは人気者になった。ちょうどその頃に悪夢の一カ月があったのだけれども、苦しい思いをした記憶はない。サムの住んでいた地域は、被害の大きくないところだったのかもしれない。そしてサムは、クラスの仲間と無邪気に遊んだり、ほんの少しの悪事を行ったりしながら成長していき、中学生になって、初めて恋をした。
同級生の、髪の短い女の子。クラスの中心になるような子ではないけれども、部活動に必死に打ち込んでいて、走る姿勢のとても綺麗な少女だった。そんな彼女に二年間片思いをして、結局一度も思いを告げることなく、それぞれが別々の高校に進学した。
初めてのキスは高校生のとき。二つ年上の先輩との口づけだった。そのとき見た光景、感じた空気、自らの鼓動の速さ、そして彼女のその唇の感触を、忘れたことはなかった。
高校生活は十分に充実していた。サブアース1から資源を取り込むようになったことによって、トゥルーアースの生活は豊かになっていたというのも関係しているのかもしれない。
学校行事や部活動、恋愛。
きっと、傍から見ればよくある一般的な高校生の日常なのだろう。それでも、サム自身にとっては特別でかけがえのない日々だった。外から見れば平凡でも、それを経験している本人にとっては特別な体験、というのも、普通なのだろう。
高校を卒業した後は軍に入隊して、サブアース1への侵攻を希望した。
特別な理由はない。軍に入る、というのは別段珍しい選択ではない。高校時代は三つの運動部を掛け持ちしていて身体の強さには自信があったし、なにより給料が良かった。
入隊してからは、新人をいびることを生きがいにしている教官を殴って謹慎処分になったり、隊の仲間たちとバーに行くことを日々の日課にしたり、たまの休みに恋人との逢瀬を楽しんだりした。
そして、異世界への侵攻作戦への参加が決まり、ウォルター部隊に加わった。
トゥルーアースの技術によるサポートは強力で、侵攻作戦はとても易しいものだった。ありとあらゆる想定外を想定した訓練のほうがよっぽど難易度は高かった。訓練生時代よりも簡単な攻撃作戦は、本来ならば非日常であるはずの戦闘行為でさえ、日常の一コマの中の行為として受け入れてしまえるほどに平凡なものへと成り下がった。
そんな平凡な日々を繰り返して、そして今、この状況へと至った。
敵兵たちに囲まれた、絶体絶命の状況。
なぜこんな状況になって、これまでの人生の記憶を思い返したのか、なんて考えるまでもないだろう。
つまり、これは死の間際に見る走馬灯なのだ。
走馬灯は死を目前にした時に、脳がフル回転して高速でこれまでの経験を映し出し、なんとか死を回避しようとしている現象なのだと、サムは以前にどこかで聞いたことがあった。
それなのに。
それなのに、こうして思い出すのは、窮地を抜け出すにはほど遠い平凡なものばかり。なんの術も浮かばないその走馬灯に、思わずサムは笑ったのだ。
アンドロイドであるサムの記憶。それはあくまでも作り物の記憶なのだろう。けれども、造り物の記憶であるならば造り物の記憶で、せめてこの窮地で役に立つ記憶であればよかったのに。
――は。俺の走馬灯、まったくクソほどにも役に立たねぇ。
そうして笑みを浮かべたままに、サムは無数の光弾に撃ち抜かれて、銀色の血を撒き散らしながらその場に崩れ落ちた。




