25、世界の命運
トゥルーアースとサブアース1を繋ぐ“穴”に名前はなく、それはシンプルにただ『穴』と呼ばれていた。その穴を開けた張本人である加來博士が穴の名前を付ける前にサブアース1へと消えてしまったからだ。
その穴にサブアース1側から高速で接近してくる反応に気付いたのは、穴の観測、維持を請け負っていた科学者たちだった。
「サブアース1から高速で五つの反応が近付いてきています!」
「この反応は……ウォルター部隊⁉」
「帰還できた……のか?」
「だが、サブアース1に出向いた五千人の部隊はまだ帰ってくる様子が無いぞ。いったいどうなっている⁉」
そうして混乱の収まらないうちに、穴からスーツが五体、飛び出した。
『この場にいる全員に告ぐ。これから、この場は危険地帯となる。すぐさま非難せよ』
スーツのひとり、ジョシュが警告を発し、両手の人差し指を穴の護衛に立っていた二人の部隊員に向ける。それと同時に、他の四人も両手の人差し指をこの場にいる科学者たちに向ける。
「一体なにが……」
と、言いかけたひとりの科学者の足元に、銃弾が跳ねる。
「ひっ⁉」
その銃声を皮切りに、科学者たちは部屋を飛び出した。
巨大な穴を覆い尽くすほどの研究施設は広大で、敷地面積はサッカースタジアム二つ分ほどの広さを誇る。その敷地内にいた数十人の科学者たちが一斉に走り出した。
『お前たちは出ていかないのか?』
科学者たちはひとりもいなくなったものの、穴の護衛に立っていた部隊員の二人はその場に立ち尽くしたままだった。
「俺たちの仕事はこの場を守ることだ」
『なら、もうその仕事は失敗しているな。潔くこの場を去ったほうがいい』
「……そんなこと、できるはずがないだろう」
『俺たちは、お前たちよりも強いぞ。お前たちはスーツも着ていないだろう?』
「お前たちはウォルター部隊じゃないのか?」
もうひとりの部隊員が訊ねる。
『ああ、俺たちは間違いなくウォルター部隊だよ』
「まさか裏切ったのか? ナムゥヌ側に寝返ったのか?」
『まあ、そう思ってもらって構わない』
「どうして……どうしてっ!」
そう叫んだ部隊員は手に持っていた小銃をジョシュに向ける。スーツを着た彼らにそんなものの効果はないと知っていて、それでも向ける。
『お前たちの知らない世界を知ってしまったんだよ』
「俺たちの知らない世界ってなんだよ」
『世の中には知らないほうがいいこともある』
「そんな言葉で納得できるか」
『とにかく、俺たちはここでやらなければいけないことがある。お前たちも、無駄なことは止めて、ここから出たほうがいい。無駄死になんてする必要性は無い』
それは、ジョシュの本心だった。科学者たちは恐らく人間だが、きっと彼らは自分と同じアンドロイドのはずだ。だからこそ、彼らに対して攻撃できるはずもなかった。アンドロイドだからといって、彼らに対して躊躇なく攻撃できてしまえば、それは彼らと同じくアンドロイドである自分自身の存在さえも軽んじていることになる。
――頼むから、撃たせないでくれ。
そんなジョシュの願いも彼らには届かなかった。
ふたりは、ほぼ同時に小銃のトリガーに指をかける。けれども、そのトリガーが引かれることはなかった。トリガーにかけた指と、それと連動する腕の筋肉の微かな動き。自身をアンドロイドだと自覚したジョシュたちが、ディープラーニングを経た今、それを見逃すはずもなかった。
あまりに遅く、緩慢にさえ見えるその動き。
正確に眉間と胸を撃ち抜かれたふたりは、いくつかの機械部品と人工筋肉の破片、銀の血液を散らして崩れ落ちた。
『……博士、はやく』
ジョシュが告げると、一体のスーツが頷いて一歩前に踏み出した。ウォルター隊長が使っていたスーツ。使用者のいなくなったそのスーツを、今は加來博士が利用している。
『ああ、護衛は任せたよ』
そう言って、博士はさっきまで科学者たちが使っていた端末にアクセスする。
『時間はどれくらいかかりそう?』
その博士の背後に回り込みながら、クリスが訊ねた。
『さあ、どれくらいだろうね。もうずっとこっちのネットには触れてきていなかったからな。今の防壁がどれほどの進歩を遂げているのか次第だね』
このまま無事に、何事もなく博士がネットにクラッキングを仕掛け、平行世界移動に関するデータをこの世界から消し去ることができてしまえば、あとはこの穴を塞ぎ、それで作戦は完了だ。資源の尽きたトゥルーアースに住まう人類たちは平行世界に行けなくなってしまい、その未来には衰退が待っている。
そうなってしまえば、この世界の人類を滅ぼしてしまう、という博士の目的は達成される。順調すぎるくらいに、作戦は上手くいっている。
けれどもやはり、世界を滅ぼそうという計画が、そううまく運ぶはずもなかった。
『動くな!』
大きな叫び声が聞こえて、その声の聞こえた部屋の出入り口の方へと目を向けると、そこにはたくさんの部隊員たちの姿があった。数は視界に入っているだけで数百。その全員が鋼鉄製のスーツを着ている。恐らく、フル装備なのだろう。そしてきっと、彼らの背後にも隊員は待機しているはずだ。総数は数千にも及ぶだろうか。この状況がいかに危機的な状況なのかを、彼らも把握しているに違いない。トゥルーアースの人類存続をかけて、きっと全力で潰しにきている。
『さあ、ここからがキミたちの腕の見せ所だ。頼むよ、僕がこっちの作業に集中できるように守ってくれ』
なぜだか博士は少し楽しげに言う。世界の命運を握るこの作戦にアドレナリンが出て興奮しているのか、それとも思っていた通り、一筋縄ではいかないことにやりがいを感じているのか。
いずれにせよ、ここで博士の作業が終えるまで守りきるのが、作戦だ。
『わかってますよ』
ジョシュの合図とともに、クリス、サム、ケンはその人差し指を部隊員たちに向ける。そして、なんの合図もないままに、唐突に撃ち合いは始まった。




