23、世界を裏切る
地下列車による輸送で、コロニーの人々の大半は無事に逃げ出せた。ただ、救うことができなかった人の数もゼロではなかった。その被害者の内のひとりがヨナだった。
移動先の仮設コロニーの一室で、クリスはうなだれていた。
なぜ、彼を救えなかったのか。本当にあの場ではどうすることもできなかったのか。ほかに選択肢はなかったのか。
何度も思考を巡らせては、余計なことまで考えてしまう。
「今、少し時間いいかな?」
ノックもなく部屋の戸が開き、加來博士が入ってくる。
「だから、ノックしてくださいよ」
「ああ、うん。そうだったね。すまないすまない」
まったくすまなさそうに、博士は勝手に部屋の椅子に腰かける。
「で、なんの用ですか?」
「キミはヨナにずいぶん執着していたよね。キミにとって、ヨナはどんな存在だったんだい? 短い間に仲良くなっていたみたいだけれど。その理由が知りたくてね」
唐突なその質問にクリスは、一瞬躊躇する。どう説明すればいいのだろう、と考えてしまう。けれども隠すようなことでもないし、素直に答えることにする。
「彼とは幼馴染だったの。もちろん、トゥルーアースでね。ああ、当然この記憶も造り物なんだろうけど。とにかく、その造り物の記憶の中で、私と彼は幼馴染で親友だった。トゥルーアースでは彼は悪夢の一カ月の間にいざこざに巻き込まれて亡くなったの。当然落ち込んだわよ。親友が死んでしまったんだからね。でも、ここで再会できた。もちろん、トゥルーアースの彼とは別人、平行世界の彼だということはわかっていた。けれども、それでも彼との再会に、ちょっと嬉しくなっちゃったんだ」
「そうか。なるほど。そんな偶然もあるのか。でも……じゃあキミは彼との別れを二度も経験してしまったということか」
クリスは小さく息を飲み込んで、頷いた。
そうだ。彼との別れはこれが二度目。しかも、両方とも悲劇的な別れ。これがせめて病気だったのなら、余命を宣告でもされていたのならば、もっと時間をかけて心構えをすることができていたのだろうか。もっと心穏やかに彼とお別れすることができたのだろうか。
「つらかっただろうね」
博士のその言葉に、ヨナとの思い出がフラッシュバックする。
はじめて彼と出会った、まだ幼かったころ。彼と共にどうでもいい些細なことで大笑いした日々。暴動に巻き込まれて黒い斑点をいくつも付けた遺体となって帰ってきたこと。そしてこのサブアース1での再会と、再びの別れ。
記憶が鮮明なのは、アンドロイドであるがゆえに、忘れることができないからなのだろうか。あまりに克明な記憶は、クリスの中のなにかを揺さぶる。それは、博士が言ったようにアンドロイドには本来存在するはずのない“心”なのだろうか。気が付けば、クリスは涙を流していた。
「ああ、また。キミは感情によって涙を流すのか」
そう言って、博士はハンカチをクリスに手渡す。それを受け取ったクリスは、そっと涙を拭った。
「うるさい、ほっといてよ」
クリスは渡されたハンカチで口元を押さえながら、博士を睨みつける。博士は苦笑しながらも、口を開く。
「実はね、トゥルーアースへの攻撃計画を実行に移そうかと思っているんだ。あー……まあ、計画と呼べるほどの計画ではないんだけれどね」
「え?」
唐突なその発言に、クリスはあまりに素っ頓狂な声を上げてしまう。
「やつらに一矢報いるのならば、今、このタイミングしかないと思ってね」
「どうして今なの?」
「こうしてなんとか逃げ果せることはできたけれども、この場所をやつらに特定されるのも時間の問題だろう。地下トンネルは破壊したけれども、それを掘り起こしていけば、ここに辿り着けるんだからね。僕たちも、ここに着いたばかりで、すぐさま別の場所に移動するための物資も体力も足りていない。つまり、もう僕たちは袋小路に追い詰められているんだよ。ミュラーのあの執着を見ただろう? きっと、あの瓦礫の山をかき分けてでもここにやってくるさ」
「袋小路……」
「そう。だからまあ、窮鼠猫を噛む、ってやつだね。ま、追い詰められたネズミがその瞬間にうまく猫に反撃できて、一撃を喰らわすことができたところで、その後に殺られてしまうのがオチだろうが……」
博士はほんの少しだけ、自虐的な笑みを浮かべる。
「……だが、僕たちの反撃は、一度成功さえしてしまえばそれでいい」
「たった一度の成功? 貴方が目指すのはトゥルーアースの滅亡だったはずでしょう? そんなもので満足できるんだ」
「ああ、そうだね。それでいい。そのたった一度の反撃で、やつらを滅亡に追い込むことは可能だ」
「どういうこと?」
「その一度の反撃で致命傷を与える、ということさ」
「そんなことが可能なの?」
「なに、簡単なことさ。やつらの穴を閉じて、平行世界の理論をすべて廃棄する。そうすればやつらは平行世界に移動することができなくなり、元の運命を辿るようになる。すなわち、滅びの道を」
話を聞けば、それは実に単純なことだった。たしかに彼の言う通り、穴を塞いで平行世界への移動方法を封じてしまえば、トゥルーアースには資源もなにも残らない。必然、人類は再び滅亡への道へと向かうだろう。
「けれども、そのためには相当深く、トゥルーアースへと潜り込まなきゃいけないんじゃないの?」
「まあ、そうだね。穴をくぐって向こう側へ行き、向こうのネットワークに接続して、クラッキング。ネットに存在する平行世界に関する資料をすべて破壊する。そして、穴も破壊してこっちの世界にも来れないようにしてしまう必要がある。だからまあ、捨て身の特攻作戦になるだろうね」
捨て身の特攻作戦。その言葉に、クリスは息を飲む。
たしかに、それくらいのことをしなければ、もはやサブアース1に反撃の手段はないのだろう。
「で、それを私に話したということは……」
「キミにも手伝ってもらえないかな、と思ってね」
「……」
「もちろん、強制はしない。さっきも言ったように、これは捨て身の特攻作戦になる。生きて戻ってはこられないだろう。だから、強制はできない。キミはキミの心に従って答えてくれ」
心。
アンドロイドであるクリスの心にゆだねる、というのか。そんな、存在すら不明瞭なものに。けれども、そんなふうに問われなくったって、クリスの回答は決まっていた。
「いいわ。手を貸す」
その即決に、むしろ加來博士のほうが少し驚いた。目を見開いて、クリスに訊き返す。
「いいのかい?」
「もちろん。どうせ私はアンドロイドなんだし。どうせ私に帰る場所は無いんだし。それに……」
クリスのその脳裏に浮かぶのは、彼の顔。
「……それに、ヨナを二度も殺したトゥルーアースに同情の余地はない」
それは、クリスにとっては世界を裏切るのに十分な理由だった。




