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22、すべての元凶

 轟音と共に、かすかに建物自体が揺れている。その振動は、これまでにクリスが何度も体感してきたことのあるものだった。


 なんらかの爆発による衝撃。

 きっと、この建物の入り口が破壊されたのだろう。


 ――トゥルーアースの兵たちが侵入してくる……!


 ここに奴らが到達するのにかかるのはどれくらいの時間だろうか。あまり猶予はないだろう。そもそも、いま自分がいる場所は入り口からどれくらいの距離なのかがクリスにはわからなくて、周りを見渡す。入り口から近いのか、遠いのか。


 そんなことを考える時間も惜しい。


「とにかく逃げないと……」

 博士とヨナにそう言いかけたところで、再び轟音が響き、建物が揺れる。


 どおん、どおん、とその音はあっというまに近づいてくる。想定以上に奴らの侵攻ペースが速い。このままではすぐに奴らと遭遇してしまう。


 なんて、思っていたその次の瞬間には、三人のすぐ目の前の壁が炸裂して崩れ落ちた。


「くっ……!」


 灰色の煙が広がる。その煙の中に、明らかに複数の人型の影が浮かび上がっている。


『ああ、ようやく……』


 その人影の中のひとつ、中央に立つ影が言う。そして、舞い上がった塵や埃がようやくおさまって、その影たちの輪郭がくっきりと浮かび上がった。そこには、スーツを身に纏った侵攻部隊員が五人立っていた。小隊編成。その真ん中の男が再び言葉を放つ。


『ようやく見つけたぞ……!』


 スピーカーを通した、少しくぐもったような声。その声に、クリスは聞き覚えがなかった。もちろん、侵攻部隊員の全員を覚えてはいないし、今回の侵攻は約二千の兵が出ているのだから、会ったこともない部隊員が居たって、不思議ではない。


 けれども、加來(かく)博士はその声に聞き覚えがあった。

 ただ、あいつがこんなところに来るはずがない、と首を振る。


 ――あいつは不遜(ふそん)で、尊大(そんだい)で、この上ないクソ野郎で。こんな最前線に出張ってくるような奴じゃない。そもそも、それを世界が許すはずがないだろう。


 そんな、博士の混乱をあざ笑うかのように、男は決定的な一言を発する。


『加來!』


 その声に、その加來博士は確信する。男の正体を。


 加速する心拍、速く浅くなる呼吸、狭くなる視界。それをなるたけ表には出さず、冷静を装いながら、その男を睨みつける。


 目の前にいるこの男こそは、加來博士の研究を援助すると言って平行世界への侵略の下地を作り、そしてその研究を奪い、悪用し、サブアース1をこんな状況に追い込み、サブアース1で幸福に暮らしていたはずのハルカまでも死に追いやったすべての元凶。


「サミュエル・ミュラー……‼」


「え⁉」


 突如博士の口から発せられたその名に、クリスは目を見開いた。


「サミュエル・ミュラーって、あの世界国家連合代表のサミュエル・ミュラー⁉」


「ああ、間違いない。この声、この物言い、僕が忘れるはずもない。奴は、奴こそがすべての元凶。サブアース1をこんな状況に追い込んだ、トゥルーアース史上最悪の大量虐殺者、サミュエル・ミュラーだ」


『ああ、そうだ、俺だ。久し振りだな、加來』


 ミュラーは五人部隊の中央に立っている。戦場の最前線。そこに世界国家連合の代表が立つなんてことが、あっていいのだろうか。その身にもしものことがあれば、トゥルーアースは混乱に陥るだろう、というのは想像に難くない。


 クリスはもちろん、加來博士も、その異常性に思考は混乱している。


「ミュラー……なぜお前がここに?」


『なぜって、心外だな。久しぶりの再会じゃないか、友よ。もっと喜んでくれてもいいんじゃないのかな』


 フルフェイスのメットを被っているから、その表情は見えない。けれども、その声色から、その表情がニヤついているのだろう、ということがありありと伝わってくる。


「誰が友だ。お前にとって、僕はただ利用するためだけの都合のいい存在だろう?」


『まさか。利用するだけだなんて。俺は本当にキミのことを高く評価していたんだ。トゥルーアースを救うという、俺の大願を成すために、キミの研究がどうしても必要だった。そして、キミ自身の能力も最大限に尊敬していたんだ』


「だが、お前は僕の研究を侵略、虐殺のための道具として利用した。それは、僕の本意ではない。そんなもののために僕は研究をしてきていたわけではない」


『ああ、そうだな俺はキミの研究を利用した。それは認めよう。だが、それは世界を救うためだった。自らの世界が滅びゆくのを黙ってみていろと言うのか? どんな手段を取ってでも種の存続を試みるのが、生存本能というものだろう? あのままでは資源の枯渇によって人類が滅んでしまうのは目に見えていた。俺はただ、生き延びたかっただけだ。そのためにはキミの研究が必要だったんだ』


「……ああ、懐かしいな。お前とのこの押し問答ももう飽きるほどしたっけな」


『そうだな。いつだってキミは俺の思い描く道に共感してはくれなかった』


「共感なんてできるものか。お前はアドルフ・ヒトラーをも(しの)人非人(にんぴにん)だよ」


 自らが生き延びるためとはいえ、そのために他の世界を侵略てしまうという行為が正しいはずがない。その行為を選択できてしまうという点において、ミュラーはヒトとしてのタガが外れてしまっているのだろう。


「ね、ねえ、ちょっと待ってよ。貴方たち、知り合いなの? なんか私たちおいてけぼり喰らってるんだけど⁉ どういうことか説明してよ」


 クリスが慌てふためきながら訊ねた。その隣に立つヨナもその言葉に何度も頷く。


「べつに、どうということもないさ。かつて、平行世界の研究をしていた僕に資金提供の話を持ち掛けてきたパトロンがアイツで、その話に喰い付いた僕が騙されていたというだけの話さ。その結果、僕の研究は奴に利用され、この世界は侵略を受けるハメになった。そして、サブアース1の資源を得てトゥルーアースを救った英雄として祀り上げられたのがアイツ、サミュエル・ミュラーだということさ。英雄となったミュラーは世界国家連合の代表に選出され、盤石の地位と名声、権力を手にした。まったく、えらく出世したものだな」


『俺の先見の明が素晴らしかったんだと言ってくれ。世界を救うのは宇宙進出や新たな技術革新ではなく、平行世界の開拓だと思い至った俺の発想が他の誰よりも優れていたというだけのことさ』


「ああ、思い出したよ。昔から、お前のその傲慢さがずっと嫌いだったんだ」


 吐き捨てるように言って、博士は顔をしかめた。


「で、なぜお前がこんな前線に出張ってくる必要があるんだ?」


 博士は問いかける。


『この場所で小隊が消えた。これまでになかった事態だ。こちらの兵士の装備は優秀なはずなんだ。ほぼ壊滅状態にあるこのサブアース1で彼らに対抗し得る手段は持っていないはずだというのに、その兵士が消えてしまうような異常な状況が起きた。そんな異常事態を起こすような要素がなにかこの世界に存在するのならば、それは、この世界に逃げ込んだ元トゥルーアースの住人で、かつ天才であるキミが絡んでいる可能性が高いと踏んだんだよ。どうやらその予測は正しかったようだな。加來、俺はキミを迎えに来た』


「……その必要はない。僕はトゥルーアースを、お前を憎んでいる。今さらトゥルーアースになんて戻るはずがないだろう?」


『言っただろう? 俺はキミを高く評価していた、と。その評価は今も変わらない。キミが今からでもトゥルーアース側に付いてくれるのならば、これ以上に心強いことはない。天才の脳はいつだって不足しているものだからね』


「はっ、そんなくだらない理由でこんな前線まで出張ってきたっていうのか。世界国家連合代表であるお前が。まったく無益な遠征、ご苦労なことだな。何度でも言うが、僕はもう二度と向こうには帰らない。わかったのなら、(きびす)を返してとっととここから出ていってくれ」


『いつまでもここでこうして苦しみながらみすぼらしく生きていくのか? キミの功績は素晴らしい。まさに前人未踏の大偉業だ。帰ってくるのなら、それ相応の待遇が与えられるはずだ。それでも……』


「それでも」力強く、博士は口にする。「僕は帰らない。お前を、自らの住まう惑星を真の地球(トゥルーアース)だなんて称する思い上がった人類を、僕は同胞だなんて認めない。お前たちのもとに帰るくらいならば、いっそのこと死んでしまったほうがよっぽどマシだ」


 告げられた博士のその確固たる決意表明に、静まり返る。


 ほかに爆発音や炸裂音のような、部隊の侵攻を思わせるような音は聞こえてこない。ミュラーの部隊が一番槍だということは事実なのだろう。その動きに合わせて、後続の部隊が連動して動く。当然、最前線のミュラー隊の動きが止まれば、後続の部隊の動きも止まる。


『は……』


 静謐(せいひつ)を破ったのは、ミュラーだった。


『……はは、ははははは!』


 呵々とした大笑は未だうっすらと砂塵の舞う室内に響き渡る。


「……なにがおかしいの?」


 クリスは顔をしかめる。


『いや、随分嫌われたものだな、と思ってね』そう言って、ミュラーは右手を頭にのせる。『それに、加來。お前にしては珍しく間違えたな』


「間違えた?」


『ああ、そうだ』左手も頭にのせて、フルフェイスのメットを持ち上げる。『俺は、ここにはいない』


「あ……」


 ため息を漏らすようにして声を出したのは、ヨナだった。


 メットを外したミュラーのスーツには、彼の顔はなかった。首から上のないスーツが、メットを小脇に抱えて、そこに立っている。


「リモート操作⁉」


『そういうことだ。俺はずっとトゥルーアースにいるよ。世界国家連合代表がこんな最前線に出張ってくるはずがないじゃないか。ないとは思うが、それでも万が一には備えなければいけないからね』


 そう言って、ミュラーは右手の人さし指を博士に向ける。


『そして、どうしてもキミがこちら側に戻らないと言うのなら、仕方がない。トゥルーアースの脅威となり得る存在は、排斥(はいせき)しなければならない』


「くっ……!」


 ミュラーのその動作に、クリスは慌てて手を伸ばす。


 博士も、そのスーツの人差し指を向けられることの意味を知っている。知っているがゆえに、唐突に自身に向けられたその脅威に、身体が強張ってしまい、咄嗟(とっさ)には動けない。


 そうして、顔のないアーマースーツの人差し指が輝き、赤い光が放たれた。


 その刹那(せつな)、博士の前に飛び出した影があった。アーマースーツが放った光は、その影を直撃する。


 そうして光を受けて倒れ込んだのは、ヨナだった。


「ヨナ!」


 クリスの叫び声が響き渡る。


「……あ……いや、つい体が勝手に動いちゃって」と、ヨナは弱々しい笑みを浮かべる。「博士、大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だ。助かったよ……それよりキミは大丈夫か?」


 加來博士が倒れ込んだヨナを抱える。けれども、ヨナはもうそれに答えることはなかった。


「ヨナ? ……ヨナ!」


 クリスの声に、反応はない。その心拍も、呼吸も完全に停止してしまっている。


『ふん、自らの命さえも投げ出すほどの部下に慕われていたのか、キミは。やはり有能だな。だがまあ、そんなことをしなくたって、どうせここにいる連中はひとりも助からないというのにな。ほんの数秒、早く死ぬか遅く死ぬかの違いだけだというのに』


 そう言って、ミュラーは再びその右手を博士に向ける。


「くっ……!」


 そうだ。この絶望的な状況で、誰かをかばうという行動に、意味なんてない。ミュラーの言う通り、早く死ぬか遅く死ぬかの違いだけ。彼の行動は時間稼ぎにもならない。


 そうして再びミュラーの人差し指の先端が輝き出したその瞬間、大きな爆発音と共に、部屋の中を煙が埋め尽くした。


『……⁉』


 唐突に起きたその出来事に、ミュラーが初めて動揺した様子を見せた。硬直して一瞬、動きを止める。


『クリス、無事か⁉』


 白煙の中から聞こえてきたのは、ジョシュの声だった。その直後、複数の赤い閃光が線を引く。鈍い音と共に、なにかが複数崩れ落ちた音がする。


 そうして、煙が薄れてきて、ようやく状況が把握できる。


 崩れ落ちたのは、五体のスーツ。崩れ落ちたスーツのその前に三体のスーツが立っていた。


「ジョシュ! ケン! サム!」


 三体のスーツはクリスの仲間たちだった。


『とっとと逃げましょう』


 そう言って、サムが博士を抱え上げる。ケンはヨナを。


『……こっちはもうダメだ』


 と、ケンは抱えたヨナをその場に横たえる。その様を、クリスはただ茫然と見つめることしかできずに、立ち尽くす。


 どうしてヨナが死んでしまわなければいけないのだろうか。トゥルーアースでは悪夢の一カ月の暴動に巻き込まれ、サブアース1ではこんなふうに侵攻に巻き込まれて。彼が平穏にその生を全うできる世界は存在しないのだろうか。クリスの記憶は創造されたものだけれども、それでも彼を思うこの気持ちは本物で。どうしても彼の二度目の死を受け入れることができなかった。


 そんなクリスを現実に引き戻したのは、ミュラーの咆哮(ほうこう)だった。


『加來! 絶対に逃がさんぞ‼』


 小さく肩を震わせて、クリスは振り返る。


 そこには、重なり合うようにして横たわる五体のスーツ。そのうちの四つのスーツからは銀色の液体が漏れ出ている。銀の血液(シルバー・ブラッド)。ミュラーに率いられたこの隊員たちは、自らをアンドロイドだと認識していたのだろうか。それとも、自らを人間だと思い込んだまま、なにも知らずに死んだのだろうか。


 その四体のスーツから少しだけ離れたところに倒れている、ミュラーのリモート機はもう動かないものの、通信装置だけは無事なのか、声だけが響いてくる。

『総員、攻撃を開始しろ! この施設ごとすべてを破壊し尽せ! コイツは、加來だけはなんとしてでもここで始末しろ!』


 その号令と共に、施設に大きな轟音が鳴り始める。その音は途切れることなく、施設を揺らし続ける。


『くっ、早くここから離脱するぞ!』


 ジョシュがそう言って、クリスを抱える。


「待って! ヨナ、ヨナは⁉」


『アイツはもう死んでしまっている。死体は連れていけない』


 あえて平坦に、感情のこもっていない声でジョシュは言う。その声で、クリスは思い出す。訓練の日々を。


 ――戦場では選択を迫られることがある。そのときの優先順位を間違えるな。


 何度も言い聞かされてきたことだ。もしかしたら、その訓練の日々も、造られた記憶なのかもしれない。むしろ、その可能性の方が高いのかもしれない。


 それでも、その記憶の中の教えは間違いではない。優先順位を間違えるべきではない、というのはたしかに正しい。


 クリスは小さく頷いて、ジョシュに身を任せる。


 ジョシュたちのスーツの機動力によって、博士とクリスはなんとか地下列車にまで辿り着いた。そして、クリスたち五人を乗せた列車が出た直後、施設は完全に崩落した。

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