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21、侵攻

 目が覚めて、長い夢を見ていたのだと、加來(かく)博士は気付いた。突っ伏していた机から顔を上げる。


「は、懐かしい夢を見たな……」


 唯一愛した女性と出会い、過ごした日々、そして彼女を失い、全身全霊で研究に打ち込んでいた頃の夢だ。ただただ彼女に会いたい一心で没頭し続けていた日々は、苦しかったけれども、同時にどこかの平行世界に暮らす彼女を探すことができる、という希望もあった。


 実際、別の平行世界で幸福に暮らす彼女を見たときには、もう思い残すことはないと思っていた。


 けれども、その満足感はあっというまに後悔に変わった。


 ようやく彼女の幸福な世界を見つけたと思ったのに、その世界は自分たちの世界の勝手な都合によって侵略されたのだから。そして、その侵略の中で彼女は命を落とした。


 自分が重ねてきた研究を、こんなにも憎いと思ったことはない。


 平行世界へと自らの手で攻め入った訳ではない。直接この世界の人々を虐殺したわけではない。彼女を自ら手に掛けたわけではない。ただその研究を勝手に悪用されただけだ。博士の研究に投資をした男の目的は初めからこれだったのだろう。奴こそがすべての元凶だった。


 けれども。


 それでも、平行世界で幸せに暮らしていたはずの彼女を殺してしまったのは、間違いなく自分の研究だ。自分がこの研究にさえのめり込まなければ、平行世界への移動法を確立なんてしてしまわなければ、この世界の彼女は死なずに済んだはずなのに。


 後悔は、一度たりとも消え去ったことはない。


 だからこそ、博士はトゥルーアースの滅亡を目指したのだ。本来はこの世界で幸福に暮らしたはずの彼女を殺した自分たちの世界を憎んだのだ。


 加來博士は、寝起きの頭がようやく覚醒してきたところで、自分が目を覚ました理由を把握した。


 大きなアラート音が部屋中に響いている。いやきっと、この建物の中すべてに音は鳴り響いているのだろう。その音に目を覚ましたのだ。


「これは……」


 トゥルーアースからの侵攻を知らせるアラート音だ。


 けれども、それはあまりに早すぎる。ウォルター部隊がクリスを回収に来てから、まだ二十四時間も経っていない。彼らが作戦を失敗したと判断するにはあまりに早計過ぎやしないだろうか。


 彼らが帰還しないことによって、より本格的な部隊が侵攻してくる可能性は当然考慮してはいたけれども、この早さは想定外だ。まだ拠点の移動も完了していない。このコロニーには多くの人々が残っているはずだ。


「くそっ……!」


 ようやく事態を把握し始めた。けれども、トゥルーアース側のそのあまりに迅速な対処を嘆いている暇はない。


 慌てて部屋の外に出る。するとそこは鉄火場のように多くの人々が行き交っていた。


「落ち着いて! 不用意に外には出ないように! 地下トンネルを通るんだ!」


 そう叫んだところで、助手のオザワが目の前を通りがかった。


「オザワくん!」


「あ、博士!」


「状況は?」


「トゥルーアースから大軍が向かっています」


「数は?」


「約五千です」


「五千……」


 それは、あまりに絶望的な数字だった。


 トゥルーアースの装備ならば、この拠点の人間を全滅させるのに必要な人員はせいぜい十人程度といったところだろう。加來博士の作った迎撃用の装置もなくはないけれども、それでも想定していたのは五人編成一部隊の攻撃に対してのみ。この世界に、五千のトゥルーアースの敵兵を相手に成す術はない。


 (あり)が一匹、象百頭に挑んで勝てるはずもない。


 できることはただ、逃げることだけ。ただ、象の一歩は蟻にとっての数千歩。普通に逃げていては到底逃げ切れない。だから、蟻は地中奥深くに潜り込むのだ。


「……とにかくみんなを非難させるんだ。地下トンネルへ。奴らがここに届く前に」


「わかってます! いま館内中を呼び回っています。地下列車収容率は八十五%。全員の乗車を確認次第発車します。博士も早く!」


「ああ、わかっている。キミも早く行きなさい」


 博士の言葉に、オザワは頷いて走っていく。


「さて……」


 どうするべきか、と博士は考える。いや、もちろん逃げることが最適解だとはわかっている。問題は、その逃走に捕えたアンドロイドたち、クリスたちを連れていくかどうか、だ。


 彼女たちを味方にすることができるのならば、博士たちにとっては大きな戦力だ。ただ、彼女たちは今のところ明確にサブアース1側に協力するとは表明していない。ここで奴らの襲撃に乗じてあちら側に付かれてしまえば、サブアース1側にトゥルーアースへの反撃材料はなくなってしまう。


 そうやって考えながらクリスの収監されている部屋へ向かっていると、曲がり角でクリスとヨナと鉢合わせになった。


「博士!」


 ヨナが叫んだ。


「ヨナ、クリス大丈夫か?」


「ええ、大丈夫です」


「今のところはね」


 二人は互いに手を取り合っている。


「ああ、スミマセン。彼女の拘束を解いてしまって……」


 言い訳するようにヨナは自分の首の後ろ側を撫でながら言う。彼が少し緊張しているときの癖だ。


「いや、いい。今は緊急事態だそれより」博士はクリスに目を向ける。「キミはどちら側に付くんだ?」


「私は……」


 彼女は一瞬だけヨナの顔を見る。その顔には明確に決意の色が浮かんでいる。


「……私は、貴方たちに加勢する。ここの人たちを死なせたくはないから」


 その言葉に、博士は大きく頷く。


「そうか。我々としてはその言葉はとてもありがたい。他の隊員たちはどうだい? こちら側に協力してくれるだろうか」


「さあ。それは本人たちに聞いてみなければわからない」


「ま、そうだろうね。とりあえずキミたちは先に地下へと……」


 向かってくれ、と博士が言いかけたところで地鳴りのような、低く鈍い轟音が鳴り響いた。

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