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1、ナムゥヌ

 黒く、巨大な鉄の塊が空を飛ぶ、というのをクリスは未だに信じることができなかった。ライト兄弟の偉業から(いく)星霜(せいそう)を経たというのに、なぜ飛行機というものをこんなにも信用できないのだろう。あまりに目に見えて稼働している部分が少なすぎるからだろうか。エンジンによる推進力で進んでいるのはわかるけれども、遠目に見れば、そのエンジンが動いているのなんて見えやしない。実際には巨大な羽も可動する。それだって、離れればわからない。ましてや、最近の飛行機の主翼(しゅよく)尾翼(びよく)には人工筋肉が採用されていて、その動作はより滑らかになっている。


 挙動がほとんどないというのに、空を飛べてしまう、ということが恐ろしい。地上から見上げた飛行機は、すうっと、一定のスピードでゆっくりと流れている。大きな雲と並ぶと、どうしてもその姿は心許(こころもと)なく見えてしまう。いや、もちろん、飛行機が実際には高速で飛んでいるのだということはわかっている。それでも、この空の大きさのスケール感と比べると、やはり飛行機というものはあまりにも弱々しい。


 クリスから見れば、まだ鳥が必死に翼をはばたかせながら空を飛ぶ姿のほうが、その巨大なものに必死に(あらが)っているように見えて、よっぽど信頼できると思える。ただ、いまさら飛行機のその在り方について、クリス個人がどうこう言ったところで、どうしようもない。それに、飛行機の有用性はきちんと理解している。だから、仕事でこうして飛行機に乗ることも、受け入れている。それとこれとは別、ということだ。


 獣の(うな)り声のような重低音と、身体の芯をじんわりと震わせる振動にはもう慣れた。この感覚を感じると、自然と意識が整っていくのがわかる。きっともう、身体感覚と精神が紐づけられているのだろう。ルーティンとして確立している。それは進攻部隊員であるクリスとしては望ましい状態だ。輸送機に乗り込むだけで、自然と精神を臨戦態勢にまで持っていくことができるのだから。


 それに、別に飛行機が怖いというわけでもない。信用ができない、というだけで、落ちたならば落ちた時のことだ。


「おい、アイスクリームはもう張ったか?」


 装備のチェックをしながら、ジョシュは隣のポールに見向きもせずに言う。


「いや、まだだよ」


 そう返すと、彼は手に持っていた器具を放り投げた。細長い、筒状の黒い器具。


「さっさと張っておけよ、もうすぐ出撃だ」


「わかってるよ」


 と、クリスはジョシュから受け取ったその器具を、右目の真上にもってくる。そして、その器具の側面のボタンをプッシュする。すると、その先端から水滴が一粒落ちてきて、右目に入った。同じように、左目にも器具を持ってきて、水滴を注入する。


 何度か(まばた)きをして、その水滴を目に馴染ませると、視界が一面ブルーになった。それから二秒後、青は消えて、視界は元に戻る。けれども、元に戻った視界の中には、数多のデータや数字が浮かび上がって見えている。


 眼球(アイ)スクリーン。


 眼に差した水滴の中に、約二万のナノマシンが含まれていて、そのナノマシンが眼球にスクリーンを張り、直接目で見たものと組み合わせて浮かび上がる映像を送り込んでいるのだ。多くの情報を必要とする戦場では必須のアイテムだ。その名称から、現場ではアイスクリームという愛称で定着している。


 ――ああ、いや。これから向かうのは戦場ではないか。


 と、クリスは苦笑する。どちらかといえば狩場だ。これから向かう先での彼ら敵はあまりに弱く、無力だ。彼らの持つ対抗手段はひどく未熟で原始的で、クリスたちは一方的に奴らを狩ることになる。


 彼らは彼らで生き抜くのが大変なのかもしれないが、仕方がない。これは非常に重要な任務で、人類の存続が掛かっているのだから。それを妨害するものはどうしても駆除しなければならない。


「ねえ、今日も誰が一番奴らを狩れるか競争しましょうよ」


 なんて、サムは笑う。小隊で最年少である彼の笑顔はまるで、無邪気な少年のように見える。


「おい、あんまり調子に乗るなよ。奴らにも一応それなりの知能はあるんだから、油断してると痛い目に遭うぞ」


 そんなふうにサムをたしなめるのは、いつだって隊長であるウォルターの役目だ。とはいえ、その表情は厳しいものではない。当然だろう。彼らの掃討(そうとう)作戦(さくせん)が始まった当初には、それなりに死傷者が出たらしいのだけれども、出撃を重ねるたびにこちら側の装備は改良され、最近では怪我人も出ない。最後に負傷兵が出たのは二年前だったか。サムが入隊したのは一年前。彼にとっては、この戦闘もゲームのような感覚なのだろう。


 そのやりとりを眺めながら、黙々と準備を進めるのはケンだ。彼はあまり話さない。いつだって、必要最低限の単語しか発さない寡黙(かもく)な男だ。けれども、仕事は丁寧で確実で早い。戦場で最も信用できるのは彼だったりする。


「まったく、本当に緊張感がねえよな、この部隊は」


 と、ジョシュが笑いながらフルフェイスのメットをかぶる。ジョシュとクリスは同い年ということもあってか、こうやって意味もないようなことをよく話す機会が多かった。単純に、互いの波長が近い、ということもあったのだろう。戦場でもっとも信用できるのはケンかもしれないけれども、いっしょに組んでいてやりやすいのは彼だ。


「緊張感がないのはお前もだろ」


 と、アイスクリームに表記された自身のバイタル状態が正常であることを確認してクリスもメットをかぶる。首から下の装備も万端だ。全身の準備に不備がないことを確認したクリスは、()()()()()()()射出口に入り込む。射出口というのは比喩(ひゆ)でもなんでもなく、本物のミサイルや爆弾を打ち出す射出口だ。


「さあ、行こうか」


 と、誰かが言った。

 そこから彼ら小隊の五人は目的地に向けて、射出される。


 手ぶらで射出口に入り込んだ彼ら小隊は、武器はもちろん、パラシュートさえも背負っていない。けれども、それでいい。今や、武器や装備品はすべて全身を覆う鋼鉄製のスーツに備え付けられている。いや、正確に言えば鋼鉄製ではない。けれども、正式な科学的な名称も、そんなものはいちいち覚えるようなことではない。現場の兵士は、その素材なんかよりも使い方さえわかっていればいいのだから。


 そんな鋼鉄製のスーツで身を包む、というのは別に、有名な例のアメコミヒーローを模したというわけではない。敵からの攻撃を鋼鉄のスーツは無効化し、武器は手をかざせば備えつけられている銃が飛び出す。両手になにかを持つ必要性はなく、不意のアクシデントにより武器を失うこともない。そのスーツを身に纏いさえすれば、攻防に隙はないのだ。これほど理にかなった戦場兵器はない。合理性を求め続けた結果、この形状に至るのは必然のことだ。


 だからまあ、あのアメコミはそれだけ先見性があったということなのだろう。


「準備はいいか?」


 ウォルター隊長の声が訊ねる。

 全員が無言で頷き、ウォルター隊長はフルフェイスのメットをかぶった。


「射出まで5、4、3、2、1……」


 そうしてゼロ、の掛け声はなく、同時に小隊は射出口から飛び出した。


 直後、スーツから姿勢補助のジェットが噴射され、小隊の五人は編成を組みながら飛行する。もちろん、目的地まではすべて自動制御によって誘導される。浮遊感なんてものは微塵(みじん)もなく、最初から最後まで全身には負荷がかかり続ける。そうして射出から四十二秒後に五人は目的地に降り立った。


 摩天楼(まてんろう)のように切り立った岩山地帯。無数の岩石には数多の穴が開いている。その穴の中に標的はいるらしい。かつてはこの穴すべてに奴らが()みついていたのだという。知性を持ち、コミュニティを築くその在り方は、人類に非常に近い在り方なのだと研究者は言う。人類には遠く及ばないものの、ある程度の文明も持ち合わせているらしい。


 岩石に囲まれた隙間から覗く青空を、渡り鳥が横切った。白鷺(しらさぎ)だろうか。クリスは鳥の種類の知識には(うと)いものの、過去に見たことがある鳥のように思えた。


「数は?」


 ウォルター隊長が訊ねる。


「四十三です」


 すかさずケンが答えた。


 眼球のアイスクリームには赤い光点が明滅(めいめつ)している。その赤い点ひとつひとつが、目標である撃退対象の「ナムゥヌ」だ。物影や廃墟の中に隠れていようと、アイスクリームにはその居場所が明確に表記される。半径三百メートル以内にいる奴らの発する特殊な波長を感知しているとのことだけれども、やはりクリスはその理論を正確に理解していない。


「四十三か、少ないな」


 ウォルター隊長は呟く。


「でも、奴らが繁殖するだけなら十分な数がいますよ。叩きましょう」


 と、ジョシュは返す。


「ああ、もちろんそのつもりだよ」


 そう言ったウォルター隊長は右手を小さく挙げる。その合図に合わせて、部隊の隊員はみんな同時に右手の人さし指を伸ばす。まるで、子供が遊びで手の銃を作り出すみたいに、滑稽(こっけい)な仕草。けれども、彼らは鋼鉄のスーツに身を(まと)っている。スーツは彼らのその挙動と連動して、腕の部分が稼働、変形し、本物の武器となる。あとは、その人差し指を標的に向けて標準を合わせるだけ。それだけで標的は排除される。


「七分ってところか」


 と、サムは笑う。七分で片付けられる、ということだろう。事実、この程度の数のナムゥヌが相手ならば、部隊の装備で十分に可能な時間だ。


「おい、何度も言うが……」


「油断は禁物、でしょ?」


「……ああ、今さらナムゥヌ相手に負傷、だなんてみっともないからな」


「わかってますよ。隊に不名誉な記録なんて付けませんって」


 そう言ったサムが飛び出したのを皮切りに、クリスたちもそれに続く。

 その先に、二体のナムゥヌが見えた。


 全身が(うろこ)で覆われていて、その鱗の隙間から体毛がまばらに飛び出している。左右の長さが違う腕、大ぶりな上半身に比べて明らかに貧弱そうな細い脚。ブヨブヨに膨れ上がった頭部には目玉がいくつもついていて、そのすべての眼球の中には複数の瞳が強引に詰め込まれていた。口は縦と横に裂けていて、開けると異常に広がる。


 まるで、この世の人類すべての嫌悪するものや、不気味を詰め込んだような異様な容姿。吐き気を(もよお)すほどの外見を持つ怪物。それこそが、ナムゥヌだった。


 その怪物に向けてサムは右手を伸ばし、人差し指を向ける。


 直後、タタタタタ……と、軽やかな音が響いた。スーツの腕から飛び出した武器、マシンガンの音だ。この高機能のスーツにマシンガンというのは、少しローテクではあるけれども、ナムゥヌを倒すには充分な威力がある。怪物は、その外見の割には非常に(もろ)い。肉体の強度は生身の人間とほぼ変わりがない。


 音が鳴りやむと、そこには緑色の血液を流す二体のナムゥヌの死体が転がっていた。


「さあ、ここからだな」


 と、ジョシュが(つぶや)いた。


 ナムゥヌは大抵、こちらの襲撃に気付くと様々な行動に出る。個々の動きがあまりに多用だ。一目散に逃げだすナムゥヌ、隠れるようにして穴倉に逃げ込むナムゥヌ、反撃に出ようと向かってくるナムゥヌ。時には自ら命を絶つナムゥヌまでいる。


 向かってくるナムゥヌの処理は簡単だ。そのまま銃弾を撃ち込めばいい。隠れているナムゥヌも、ただ見つけて銃弾を撃ち込めばいい。自ら命を絶つナムゥヌは放っておけばいい。厄介なのは一目散に逃げだすナムゥヌだ。


 生命力も繁殖力も高く、低いとはいえそれなりの知能を持っているナムゥヌは一度取り逃がせば、またほかの地域のナムゥヌと合流し、その数を増やし、さらに慎重にその姿を隠す。それを再び見つけ出すのは骨が折れるのだ。まるでゴキブリのようにしつこい。根絶やしにしたと思った地域でさえ、たまに目撃されることがある。


 クリスはアイスクリームに表示された赤い光点を確かめる。その中でなによりも、自分たちとの距離を取ろうとする光点を見極める。


「行こう」


 と言ったクリスの声に、ジョシュとケンが反応した。

 標的の優先順位は決定した。あとは決定したその優先順位の高い標的から片付けていくだけだ。


 背中を向けて不格好に走るナムゥヌに人差し指を向ける。タタタ、という軽い音と共に崩れ落ちるナムゥヌ。走って向かってくるナムゥヌにも人差し指を向ける。タタタ、と響いて怪物はあっというまに緑色の体液を撒き散らして肉塊と化す。


 不意にキン、と金属音が聞こえた。


 向かってきているナムゥヌの攻撃がクリスの頭部に直撃したのだ。奴らにも武器はあり、拳銃のように鉛玉を打ち込んだり、爆薬を利用することもある。爆発を利用した攻撃はさすがに厄介ではあるものの、拳銃のほうはこの鋼鉄のスーツには当然効果はない。せいぜい、その塗装をはがすのが精一杯、といったところだろう。


 案の定、クリスの頭部に負傷はなく、その攻撃を放ったナムゥヌはその直後に倒れていた。


 そうして危なげなくナムゥヌの駆除を続け、今回の作戦は予定通り、部隊の損害ゼロで終えることとなった。


 向かってきたナムゥヌは十。逃げたナムゥヌは二十二。自殺したナムゥヌ、三。隠れたナムゥヌ、八。


 隠れたナムゥヌはすべて、摩天楼のような高くそびえ立つ岩石の洞穴の中に逃げ込んでいた。それの駆除はサムに任せている。サムは、ジェットを噴出させて立体的に機動しながら岩石を登りつつ、器用に隠れたナムゥヌを発見し、銃弾を撃ち込んでいる。


 メットを外したクリスは、ナムゥヌに撃ち込まれた銃弾の(あと)を眺めていた。風に栗色の前髪がなびく。


「大丈夫か?」


 ジョシュが(たず)ねる。


「まあね。この程度じゃぜんぜん問題ないでしょ」


「ま、そうだな」


 そう言って両腕を組むジョシュの隣では、ケンがスーツの端末を使って黙々と報告書を作成している。


「しっかし、ナムゥヌたちが隠れるあのでっかい岩山、まるごと爆破しちゃダメなんすかね?」


 唇を尖らせながら、ジョシュはウォルター隊長に(ささや)く。


「当たり前だろう、いくらナムゥヌたちを駆除しても、環境をなるべく破壊しないようにしないと意味がないだろうが。環境への被害は最小限に、だ」


「へいへい、わかってますよ」


 そう言って肩をすくめたジョシュの足元を、小さなネズミが駆け抜ける。


「うわっ、ネズミ!」


 と、それを見たクリスは思わず驚いてしまう。


「ははっ、ナムゥヌは怖くないのにネズミは怖いのか?」


 ジョシュがからかうような口調でクリスの肩を叩く。


「うるさい、それとこれとは別だよ」


「ったく、そういうところはちゃんと女子なんだな、クリスティーナ。俺はいいと思うぜ。お前は少し可愛げがないからな。ちゃんとお前が女子なんだと確認できてホッとしたよ」


「だから、現場じゃクリスティーナって呼ぶな」


 そう言って、ネズミに驚いてしまったことに後悔しながら、クリスは耳を少し赤くして振り返った。

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