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18、心

『気分はどうかな?』


 独房と呼ぶには小奇麗で、客間と呼ぶには質素な部屋の中に入れられたクリスに、博士の声が問いかける。博士の姿は、部屋の中からは見えない。


「良くはない」


 不機嫌そうにクリスは答える。当然だろう。これまでの常識がすべて覆されて、自身は人間ですらないアンドロイドだとされ、さらに今はこうして自由のない部屋に入れられている。機嫌がよくなる要素はひとつもない。


『まあ、そうだろうね』


「なにか用でも?」


『やっぱり、僕たちの味方にはなってくれないのかな?』


「……それはまだわからない」


 まだ、気持ちの整理、情報の整理ができていない。受けた衝撃に、思考が追い付いていない。


『そうか』


「ねえ、どうして貴方は私たちがアンドロイドだと明かしたの?」


 彼らが、クリスたちのことをアンドロイドだと明かす必要性、メリットはなかったはずだ。現に、ウォルター隊長がその現実を受け止めきれずに自殺した。ならばやはり、アンドロイドだとは明かさずに、利用した方がよっぽど効率は良かったはずだ。


 彼の言う通り、記憶の改竄(かいざん)が容易にできるのならば、そうしてしまえばよかったのだ。なんでも言うことを聞く傀儡(かいらい)にしてしまえば、いくらでも好き勝手に利用できるようになるはずだというのに。


 そうしない理由がなんなのか、クリスには理解できなかった。


『…………』


 クリスのその質問に、博士が沈黙する。これまでずっと饒舌(じょうぜつ)に語ってきていた博士の初めての沈黙に、クリスは首を傾げる。


 けれども、その沈黙はさほど長くはなく、大きく息を吐き出した音がマイクを通して部屋に響いたかと思えば、次に博士の声が続いた。


『思ってしまったんだ……アンドロイドであるキミに、心があるんじゃないか、ってね』


「心……?」


『そう、アンドロイドであるキミが感情を持っているように見えるのは、記憶を与えられているからで、AIがその記憶に即した人格を表現しようとして、人間らしく見えるだけなのだと思っていた。けれども、キミはこのサブアース1に生き残る蝶を見て涙を流した』


「私が涙を流したから、心が存在するかもしれない、と思ったの?」


『ああ、そうだ。それは、絶対にありえないことだったから』


「ありえない?」


 たしかに、アンドロイドが涙を流すというのはありえないことなのかもしれない。けれども、クリスには子供の頃や、大人になってからも涙を流した記憶を持っている。だから、涙を流すということに特別な違和感はなかった。ただ、これまでに流した涙の記憶がすべて作られていたものだというのならば、もしかしたら、蝶を見て流したあの涙は、クリスが生まれて初めて流したものだったのかもしれない。


『アンドロイドにも涙を流す機能がないわけじゃない。目に入った異物やゴミを洗い流すために、標準的に備え付けられている機能だ。けれども、感情によって涙を流すアンドロイドを、僕は初めて見た。もしもキミに、キミたちに心というものがあるのならば、キミたちとは人として誠実に接しなければいけない、と思ったんだ。そうでなければ、キミたちの協力は得られない、と思った』


 彼のその言葉は、とても意外に思えた。だって彼は、トゥルーアースの滅亡を目指している、と言っていた。それなのに、その滅亡を目指しているはずのトゥルーアースから来たアンドロイドに心があるかもしれない、という不確かな理由で人として誠実に対応しようとする。そのブレに、不安定さに、クリスは初めて博士に対して人間味のようなものを感じることができたような気がした。


 ――彼は、決して根っからの悪い人ではないのだろう。


 けれども、彼が目指す結末、トゥルーアースの滅亡はクリスにとっては、到底受け入れられるものではない。たとえ自分自身が造られた存在で、記憶さえも捏造(ねつぞう)されて、彼らにただただ利用されていただけだったのだとしても。自分の思考がAIによるもので、しょせんはプログラムなのだとしても。それでも、多くの命を奪う博士のその選択が正しいはずがない、ということくらいはわかる。


「ねえ、博士。貴方はどうしてもトゥルーアースを滅ぼさなければ気が済まないのですか?」


 せめて、もう少しマシな妥協案でもあれば、なんとか協力できるかもしれないというのに。


『……ああ、そうだ』


「どうして?」


『それほどまでに僕は……トゥルーアースを恨んでいるということだよ』


「……そう」


『キミのほうはどうなんだい?』


「私?」


 唐突な問いかけに、クリスは思わず声が上擦ってしまう。


『そう。キミはトゥルーアースに対してまったく恨みがないと、心の底から言えるかい?』


 その言葉に、クリスは少し、考える。


 自分はアンドロイドで、造られた存在だ。記憶は捏造され、自らを人間だと信じて戦い続けていた。けれども本当の人類たちはまったく手を汚さずに、リスクを冒さずにトゥルーアースでのうのうと暮らしているのだろう。それを思えば、まったく腹が立たないというわけでもない。


 けれども、人類が取ったこの侵略法はたしかにアンドロイドに非情ではあるものの、非常に合理的だ。そもそも、人類にとってはアンドロイドに対して、情もなにもないのかもしれないけれど。


 自分たちはただの捨て駒で、いくらでも変わりの用意されている、使い捨てのインスタントな兵士。ただ、それはそれで合理的だと納得してしまっている自分もいる。自分がトゥルーアースに住んでいる一般的な住民だとしたならば、そのシステムをなんの疑問もなく受け入れているのだろう、と思ってしまう。


 だから。


「まったく恨みがないとは言えないかもしれない。けれども、だからといって殺してしまいたいと思うほどに憎んではいない」


 と、素直に思った通りに話す。


『は。まるで達観した坊さんみたいなことを言うんだな、キミは。それとも、AIが合理的な判断を下しているだけなのか……まあ、いいさ。ただ、キミたちアンドロイドの立場ははっきりとさせておいてほしい』


「立場?」


『そう、立場だ。キミの同僚機、他のアンドロイドたちまでもが帰還しない、となったならば、きっとトゥルーアース側だって、さすがになにかが起きたと気付くだろう。そうなったとき、もしかしたらやつらは、これまで以上の大軍を送り込んでくるかもしれない。そのときに、キミはどちらの側に味方をするつもりだい?』


 大量の軍、それがここに攻め込んできたとき。そうなったときにどういう事態になるのかは、想像するに難くない。きっと、彼らは成す術もなく殲滅(せんめつ)させられる。今回、彼らがクリスたちを拘束することができたのは、その数が少数だったからだ。


 ウォルター隊長への不意打ち、その混乱に乗じたクリスのアイスクリームへの干渉。それらがうまくいったから、彼らはクリスを捕え、それを助けに来た部隊のみんなと交渉することができた。


 けれども、さすがにたくさんの侵攻軍が攻め入ってきてしまったのならば、そんな不意打ちは無意味だろう。きっと、()()()()()()()()()()()()侵攻軍は不意打を警戒しているはずだ。アイスクリームへの干渉も、不具合が起きたのならば、すぐさま後方に下げてしまえばいいのだから、彼らにとっては脅威(きょうい)にはならない。


 侵攻軍によるサブアース1の人々への虐殺。


 そんなものを、許容できるはずがない。けれども、だからといってトゥルーアースの滅亡に手を貸すことだってしたくはない。


 結局、博士の質問に答えることができずに、クリスは黙り込んでしまう。


 ――どっちの人類の味方もできない中途半端な私は、やっぱりどうしようもなくアンドロイドなのだろう。


 どっちの世界も自分の味方ではないと知ってしまったクリスは、自らの所在を決定できないでいる。

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