17、銀の血液
「アンド……ロイド……?」
呆けているクリスがこぼしたその呟きを、加來博士は拾い上げる。
「ああ、そうだ。きっと、知らされてはいなかっただろうが、キミたちはアンドロイドなんだよ」
「そんな……そんなはずがないだろう。俺たちは人間だ。人間としてトゥルーアースに生まれ育ってきた。小さな子供の頃から今この瞬間まで生き抜いてきた体験、経験、記憶、感覚が確かに存在する。アンドロイドならそんな感覚は……」
「そのキミたちの記憶は、造られたものだよ」
アンドロイドと聞かされて、それを否定しようとしたウォルター隊長の言葉を、博士はすぐさま否定する。
「平行世界への侵攻、という不確定要素の多い危険な任務を、生身の人間に任せると思うかい? 人的被害が出れば、どんな状況であれ批判する輩は出てくる。面倒くさい連中だ。そんな批判の矛先をかわすための手段が、アンドロイドによる侵攻なんだよ。アンドロイドならば、いくらやられたところで被害は物的損害だけだ。人の命ではないのだから、人類にとっては身内の批判さえ生まないノーリスクの侵攻、というわけだ」
「いや、そもそもなんでアンドロイドなんだよ。人的被害が出るのが困るというのなら、ドローンなんかでもいいじゃないか」
それを聞かされてもなお、博士のその言葉を否定したくて、ジョシュは言う。
「それはトゥルーアースの産業の関係によるところが大きいのだろうね」
「産業?」
「そう、トゥルーアースでは人工筋肉の培養技術が進んでいるからね。飛行機の翼にも応用されるほどに日常生活の中に浸透している。つまり、アンドロイドならば、その骨格を覆う人工筋肉の準備は容易にできる。コストの面でのメリットが非常に大きいのさ。だから、侵攻にアンドロイドを利用した。それだけのことさ」
「……でも、それでも俺たちは人間だ」
引き下がるジョシュに、博士は手を伸ばす。
「ならば、キミの手を少し借りてもいいかな?」
そう言った博士に、ジョシュは小さく頷いて右手を伸ばす。その手を掴むと、博士はポケットの中から取り出したペンを突き刺した。
「いってえ……! なにすんだよ、この……!」
「ああ、待ちたまえ。その手を見せて」
ジョシュはその手をすぐに引っ込めたものの、博士がその手を見せるように促す。渋々、再びジョシュが伸ばしたその手には、赤い鮮血が……ついてはいなかった。そこにあったのは赤ではなく、鈍く輝く銀色の血液だった。
「これ……は……?」
「銀の血液。多くのアンドロイドに実装されている、多機能油だ。その銀色は多くのナノマシンが含まれていることによって見える色だよ」
博士がそう言う間に、ジョシュの手の傷口はみるみる塞がる。
「ほらね、ナノマシンがキミの手の損傷を自動修復した」
それはまさに、アンドロイドであることの決定的な証拠だった。普通の人間ならば、銀色の血を流し、さらにその血がすぐさま傷口を塞ぐ、なんてことにはならない。
「そんな……嘘だろ?」
サムが頭を抱えて座り込む。自らがアンドロイドである、という事実を受け入れることができないのだろう。それはクリスも同じで、今にも泣き出しそうな表情で自分の手のひらを見つめている。
「……でも、でも。俺たちがアンドロイドだというのなら、この記憶はいったいなんなんだ? こんな記憶なんて与えずに、ただ目的だけをインプットして進撃させればいいじゃないか。こんな回りくどいことをする必要性がないだろう?」
記憶がある。だから、自分は人間なんだ、と自分に言い聞かせるようにウォルター隊長は訊ねる。
「言っただろう。その記憶は造り物だと。たしかに、侵略に利用するアンドロイドに記憶なんて必要ない、と思うかもしれないが、それも仕方がないことだったんだよ。
かつて、トゥルーアースの人類は人間としての記憶を持たないアンドロイドを侵攻に送り込んでいた。けれども、出撃を繰り返すうちに、エラーが出るようになった。出撃する意義を見出せない、と出撃を拒むようになったんだ。
そのたびにアンドロイドの初期化を行っていたのだけれども、何度初期化を行ってもエラーは消えなかった。何度初期化を行っても、アンドロイドは出撃を重ねるにつれて自我を抱き、人類に使役することの意義を疑うようになった。高度に発達したAIが原因だとされたものの、詳細は解明されなかった。より単純なAIを搭載したアンドロイドならば、そんなトラブルは起こさなかったが、そのぶん、現地でトラブルやアクシデントに見舞われたときにうまく対処しきれなかった。応用力に乏しく、アドリブが効かないんだ。
そうして毎回毎回、初期化を繰り返していたれども、それではあまりに効率が悪いということで、試行錯誤を重ねた結果、アンドロイドに記憶を与えるという結末に至ったのさ。
アンドロイドに、自身が人間であると思い込ませることによって、人類の為に戦うという大義名分を与えたんだ。 『人間の為に戦わされている』のではなく『人間として我々が戦っている』と思い込ませることによって、アンドロイドは疑問を抱くことはなくなり、それによってアンドロイドのAIは安定した。
与えられた役割を疑うことなく、自らの種のためだ、と信じた彼らのパフォーマンスは明らかに向上した。
こうして、ヒトとしての記憶を持ったアンドロイドが運用されるようになった、というわけさ」
「……そんな」
たしかに、その説明に矛盾はないように思えた。そして、ジョシュの手から流れた銀の血液。もはや侵攻部隊員はアンドロイドである、という博士の言葉を疑う理由はないのかもしれない。
「それじゃあ俺の娘は、リリーは……」
と、ウォルター隊長はその場にくずおれる。目の前には、さっき博士がジョシュの手を刺したボールペンが転がっていた。
クリスも、ウォルター隊長の過去の話は聞いたことがある。彼は娘を溺愛していた。そして、そんな娘を失ったことも、その痛みを乗り越えて今は日常を取り戻した、ということ知っている。けれどもそもそもそんな娘なんかいなかった、だなんて受け入れられるのだろうか。
自らの心の支えとなっていたかつての思い出。
その思い出そのものが捏造されたものだと知って、隊長は正気でいられるのか。
「キミには娘がいる、という記憶が与えられているのか」
哀れむような声で、博士は訊ねる。
「違う。俺にはかつて娘がいた、という記憶があるんだ」
「……そうか。娘を失った記憶、か。つらいな。だが、それも造られたものだ」
「リリー……リリー。お前は……」
「存在しなかった」
非情な博士のその言葉に、ウォルター隊長は肩を震わせる。
「俺は、リリーが……あの子が愛した世界を護るためにここまで頑張ってきたっていうのに……」
そのリリーの存在そのものが偽りだった。自らが信じた異世界侵攻への根拠を、信念を、根こそぎ奪われた。自分は何者でもなく、世界は虚構に満ちている。そもそも、自分自身が作り物の偽物で、本物の人間なんかではなかったのだ。
すべてを知って、それでもそのすべてを受け入れられなくて、ウォルターは咄嗟に目の前に転がっていたボールペンを手に取って、それを自らの喉に突き立てた。
「……‼」
「ちょっ、隊長!」
そう叫んだクリスの目の前で、ウォルター隊長の喉は裂け、銀色の血液が飛び散る。
「なにしてるんですか!」
ジョシュがすぐさまウォルター隊長の身体を押さえにかかる。
けれども、それをものともせずに、ウォルター隊長は何度も何度も喉を刺す。
「サム! ケン! 手伝え!」
と、ジョシュが叫んで、二人も加勢する。そうしてようやくウォルターの動きは鈍るものの、完全には止まらない。何度も喉を刺したそのペンを、今度は自らの眼球へと近付ける。
「っ……隊長、やめてくだ……さいっ!」
ケンの声にも、ウォルターの手は止まらず、そのままゆっくりと眼球を突き刺していき、ボールペンの根元まで刺さったところでようやくその動きは止まった。
「…………」
「……隊長?」
クリスが恐る恐る声をかけるものの、返事はない。
「……どうやら機能停止したようだね。さすがにあれだけ勢いよく肉を裂けばナノマシンの修復も追いつかないか」
落ち着いた口調で加來博士は言う。
機能停止。アンドロイドにとって、それは死を意味する言葉なのだろうか。
何度もボールペンを刺された隊長の喉は、裂けた筋肉が剥き出しになっている。それが、人工筋肉なのかどうかは、見た目ではわからなかった。けれども、その肉を濡らすのは銀色の液体で、間違いなく自然のものではないのだろう、というのがわかる。
その裂けた肉の隙間から、かすかに金属片のようなものが輝いて見えて、クリスは息を飲んだ。
――たしかに彼はアンドロイドだった。ならばやはり、私の体内にもこの銀色の血液や、金属が入っているのだろうか。
目前のかつてアンドロイドだったモノは、もう動かない。




