16、プログラム
結果から言えば、ウォルター隊長を説得することは思っていたよりもずっと簡単だった。彼の目のアイスクリームは加來博士をナムゥヌとは認識しなかった。博士は元々トゥルーアース側の人類だから、サブアース1側の人類として認識されないらしい。そう博士は仮説を説明していた。
そして、ヒトの姿をした博士からこの世界の説明を聞き、ウォルター隊長の目の前にひとりのナムゥヌを立たせた。そのナムゥヌの目の前でアイスクリームをシャットダウンしろ、と言ったのだ。
ウォルター隊長は何度もアイスクリームのシャットダウン、再起動を繰り返して、驚きながらもナムゥヌが人類であることを受け入れた。実際に自らの目で見てしまったものは、紛れもない真実なのだと受け入れざるを得なかった。
それからウォルター隊長が外で待っていた部隊員たちをこの地下施設に引き入れた。
「……マジかよ」
ジョシュはすべてを知って、そう呆けた。
「いや、もうなにがなんだかわけがわかんないっすよ」
と、サムは頭を抱えた。
「…………」
ケンは無言のまま、眉間に皺を寄せていた。
「だがまあ、こうして目の前でナムゥヌの正体を見せつけられてしまっては信じるしかないだろう?」
ウォルター隊長は肩をすくめながら三人を見回す。ジョシュ、サム、ケンは不服そうに、けれども仕方がない、といった表情で隊長の顔を見る。
「でも、これからどうすればいいんですかね、俺たち……」
ジョシュは不安げに、誰ともなく訊ねる。それは、クリスも含めた部隊の全員が思っていたことだった。
この世界の真実を知った。けれども、だからといってなにができるというのだろうか。トゥルーアースに帰って世界中にこの事実を公表したとして、誰が信じるだろうか。自分たちが平行世界の人類たちを虐殺して資源を奪っていた、という事実を、どれだけの人々が受け入れることができるのだろうか。
きっと、大半の人々がその不都合な真実から目を逸らそうとするに違いない。だって、そうしなければ自分たちは滅び去ってしまいかねないのだから。資源を奪う為に平行世界の人類を虐殺していたという事実を、真実なのだと受け止める精神的な強さなんて持ち合わせてはいない。
そもそも、無事に帰ることができるのかどうかさえも怪しい。明らかに、トゥルーアースのお偉方はこの事実を隠蔽していた。ならば、真実を知った部隊員を元の生活に返すとは思えない。最悪の場合、生きては帰さない可能性だってある。むしろ、この平行世界の人類に対する仕打ちの残虐性から見れば、そうする可能性の方が高いようにさえ思える。
「ここで見聞きしたことは絶対に他言しません、って誓約書に書けば元の生活に戻してくれたりしないですかね」
「元の生活……つまり、侵攻部隊員としてナムゥヌの殲滅を続ける日々か? それができるのか? すべてを知ってしまった今もなお、ヒトに銃口を向けられるのか? いままで通りに変わりなく」
ウォルター隊長のその言葉に、ジョシュは口をつぐむ。
そう、たとえ元の生活に戻ることができたとしても、これまで通りにナムゥヌを殲滅し続ける作業ができるはずもない。相手はもう人間だと知ってしまっている。引き金を引くときに、必ずそのことが頭に過るはずだ。その罪悪感を、拒絶感を、嫌悪感を抱いて生きていくことなんて、まともな人間には不可能だ。そんなタガの外れた人間はウォルター部隊には一人もいない。
「ならもういっそのこと、ここの人たちに協力するのも悪くないんじゃないですかね?」
なんだか少し、投げやりにも聞こえる言い方でサムが言う。あまりに適当なその物言いに、けれども誰もなにも返さなかったのは、それが選択肢として十分考慮するに値するものだったからだ。
もう日常を取り戻せないのならば、新たな生き方を模索しなくてはならない。ならばここで、ここの人たちと共にトゥルーアースの侵攻に抵抗し、機を窺い、世界中に真実をつまびらかにすることを目指したほうがいいのかもしれない。
「……博士。貴方が目指す結末はなんですか?」
クリスが訊ねる。
彼が見据えている最終的な結末が許容できるものならば、協力もできるはずだ。
「……僕が目指すのは、トゥルーアースの滅亡だ」
けれども、博士が口にしたその目的は、とても容認できるようなものではなかった。その言葉を聞いた部隊員全員が息を飲んだ。
「そんなの、協力できるはずがないでしょう⁉」
「どうして?」
まるで、本当にどうしてなのかがわからないかのように、博士は首を傾げる。
「どうしてって……だって、それじゃあ貴方が目指しているのはトゥルーアースの偉い人たちとなんら変わりないじゃないですか。むこう側の世界を滅ぼすということは、罪のない人々までも殺してしまうということでしょう?」
「まさか。まったく同じであるはずがないじゃないか」
「なにを……」
「だって、先に仕掛けたのはトゥルーアース側からじゃないか。このサブアース1はなんの宣戦布告もなく唐突に襲撃に見舞われた。いわばこれは、通り魔に襲われたようなものだ。通り魔に襲われた人間が自らの命の危機から相手に反撃を加え、死に至らしめてしまった場合、それは殺人ではなく、正当防衛に当たるのではないのかな? たとえ自らの存続が掛かっていて、切羽詰まっていたのだとしても、平和であったこの平行世界への侵略は到底許されることじゃない。死を宣告されて自暴自棄になって、通りがかった人に襲いかかる通り魔に、同情の余地など無いさ」
そう博士が言い切ったところで、部隊員たちは全員が口を閉ざした。
たしかに、彼の言うことは間違ってはいない。トゥルーアース側が一方的にこのサブアース1を侵略した。彼らが反撃するのは正当防衛といえるだろう。けれどもそれは、相手側が全滅するまで徹底的にしなければいけないことなのだろうか。反撃を加え、むこう側にサブアース1の真相を暴き、一般の人々を味方に付けて、交渉にまでこぎつけることができたのならば、どちらか一方が絶滅するまでに至らない、もう少しマシな解決が望めるのではないだろうか。
「……でも、トゥルーアースの人類全員がそういう思考なわけじゃない。中にはなにも知らずにただ必死に日々を生き抜いているだけの人だっている」
「それはこの世界だって同じだ。そして、そんな世界をキミたちは滅ぼそうとしていた」
あまりに強固な意志を見せる博士に、クリスはもうこれ以上なにも言えなかった。それに、彼の言っていることはたしかに間違ってはいない。トゥルーアースになんの罪もない人々が暮らしているのと同様に、このサブアース1にも平凡な暮らしをしていた人たちがいて、そんな人たちの平穏な日々を、トゥルーアース側の人類は壊したのだ。
けれども、どうして彼はそこまでトゥルーアース側に憎悪を抱いているのだろうか。彼も、もともとはトゥルーアース出身だというのに。その研究を悪用されて、この世界を滅茶苦茶にされた、というのはたしかに動機として充分に思えるけれども、それ以上のなにかがあるのではないか、とクリスは感じていた。
「……そんな計画ならば、俺たちは貴方に協力なんてできない」
そう言ったジョシュに、クリスも、ウォルター隊長も、サムも、ケンも頷いた。
たしかに、トゥルーアース側の人類は、サブアース1に対してひどい仕打ちを行ってきた。こっちの世界の人々に恨まれているだろうし、そんな人々に報復されても仕方がない。けれども、それでも自分たちの生まれ育った世界であることに変わりはない。それを自らの手で滅ぼすだなんて、できるはずがない。
「そうか。ならば、キミたちは僕たちの敵だ。殺したり拷問したりまではしないけれども、拘束はさせてもらうことになると思う。それでもいいかな?」
よくはない。けれども、彼らに協力しないのならば、そういった扱いになるのも仕方がないだろう。彼らを手伝わないのならば、トゥルーアース側の人間だという事実は、裏切りの可能性を大いに秘めた邪魔者でしかない。むしろ邪魔者であるにもかかわらず、彼らへの協力を拒否したうえで生かされるのならば、悪くはない扱いだといえるだろう。
ウォルター隊長とジョシュとサムとケンは、顔を見合わせる。
長い沈黙。
迷いは、晴れない。
その沈黙を破ったのは、加來博士のほうだった。
「実を言うと、これは黙ったままにしておこうかと思っていたんだが……」
博士にしては珍しく、少しだけ言葉にするのをためらったものの、意を決したようにしてそのまま言葉を続ける。
「……キミたちの記憶をこちらでプログラミングし直して、自由に操れる傀儡にすることも可能なんだ。それを弄らずに、そのまま拘束するだけでも破格の対応だと思ってほしい」
「プロ……グラミング?」
その言葉の意味がわからなくて、クリスはそれを反芻する。
プログラミングというのは、いったいどういう意味なのだろうか。この博士は、人の記憶をプログラムを組み替えるように弄ることができるということなのだろうか。そんな技術、トゥルーアースでは存在しなかった。このサブアース1で独自の技術なのだろうか。それとも、この博士が生み出したまったく新しい技術なのだろうか。
けれども、そんなふうに思案するクリスもお構いなしに、博士は言い放つ。
「そう、キミたちアンドロイドの記憶を書き換えるなんて、僕にとっては造作もないことだよ」
その滅茶苦茶な言葉に、部隊員たちは全員、言葉を失った。




