15、世界の姿
ウォルター部隊が再びナムゥヌの拠点に降り立ったとき、クリスは草原の真ん中にただひとり立ち尽くしていた。
「クリス、無事なのか?」
クリスから少し離れた位置からウォルター隊長が訊ねた。
「…………」
けれども、その問いにクリスは答えない。
「おい、クリス。答えろ」
二度目の確認。
「……はい、無事です」
ようやく答えたクリスに、部隊員たちはけれども駆け寄らなかった。それが、罠である可能性が排除できなかったからだ。むしろ、仲間を生け捕りにしてそれを助けに来たほうを一網打尽にしようとしている、という可能性を考慮するのが自然だろう。前回はここのナムゥヌたちに一泡吹かされたのだから。トゥルーアース側の文明に干渉するだけの技術を持っているのならば、それくらいの罠を仕掛けるのも容易であるはずだ、と予測してしかるべきだ。
「お前は今、自分の意志でそこに立っているのか?」
「ええ、そうですね」
「ナムゥヌたちになにか弱みを握られたり、強制されたり、洗脳されたりはしていない、と?」
「ええ、そうです」
とはいえ、弱みを握られたり、強制されたり、洗脳されていたとしたのならば、この場でそれを正直に言えるはずもないだろう。質問をするウォルター隊長の背後でジョシュが眼球スクリーンでクリスのバイタルをスキャンする。
『隊長、クリスのバイタルは脈拍と呼吸はやや早いものの、基準値内でオールグリーンです。洗脳されている可能性は低いと思われます』
クリスには聞こえないように通信で隊長に伝える。
洗脳されている可能性は低い。ならば、彼女自身と意思の疎通ができる。弱みを握られたり、強制されたりしていても、彼女がその言葉の端になにかヒントを紛れ込ませることも可能だ。もっと情報を得るためにも、彼女の状況を理解するためにも、会話が必要だ。
「そうか。で、いったいあの後になにがあった?」
「……ナムゥヌたちに捕縛されていました」
「なるほど。それで帰還できなかったわけか」
「そうです」
「だが、今はこうしてここに立っている。ならば、うまく脱出に成功したということかな?」
クリスはその言葉にはなにも返さずに、真っ直ぐウォルター隊長から目を逸らさない。
「そして、スーツを奪われていたために途方に暮れていたとこで俺たちに出くわした、ということならば、好都合なんだが」
そうであるならば、あとは彼女を確保してスーツを奪ったナムゥヌたちを殲滅してしまえば、万事解決だ。
「……隊長に、みんなに聞いてほしいことがあります」
けれども、クリスはそんなウォルター部隊側の思惑を無視するように言う。
「いったいなんだい?」
やはり彼女は自由ではないのだろうか、と部隊の面々は内心身構える。
「いま、アイスクリームは装備していますか?」
「もちろんだ」
「そのアイスクリームで私はどう見えていますか?」
その言葉の意味がわからなくて、ウォルター隊長は小さく首を傾げる。アイスクリームで彼女をスキャンしろということなのだろうか。けれども、それはもう済んでいる。ジョシュから彼女自身に問題はないと報告を受けている。
「どうもなにも。クリス、キミがただそこに立っているだけにしか見えないよ」
「そう、ならまだ私は貴方たちの敵とは見なされていない、ということですね……ま、発見と同時に攻撃されてない時点でそれは明確か……」
「いったいなにが言いたいんだ?」
「ところでこの会話はどこまで筒抜けになってるんですか? 作戦会議本部? それとももっと上まで?」
「まさか。俺たちのアイスクリームを通して上が俺たちの会話を盗み聞きする、なんてことはないよ。それはお前だってよく知っているだろう?」
「ええ、そうですね。そうだといいんですけど」
――彼女は上層部を警戒している……?
けれどもなぜ彼女がそんなことを気にするのかがわからない。
「本題はなんだ?」
彼女の意図をとにかく確かめたくて、ウォルターは訊ねる。
「…………」
クリスはじっと口を閉ざしたまま、なにかを逡巡するように視線を泳がせる。彼女は、なにか迷っている。その迷いがなんなのかはわからないけれども、ここでその回答を急かしてはいけない、と直感し、今度はその沈黙から回答は催促せずにウォルターは待つ。
クリスはなんども声を発しようとしてはそれを飲み込んで、ときおり吹き込む風の音だけが聞こえてくる。そうして長い沈黙が続いた後にようやく声を出した。
「……ナムゥヌは怪物ではありません。彼らは人間です」
「…………」
やはり彼女は洗脳されてしまっているのか。いや、洗脳されている可能性は低いはずだ。ならば洗脳ではなく、そう思い込まされているのではないだろうか。アイスクリームに干渉ができる技術力を持っているのならば、それくらいのことも容易いだろう。
とにかく、それを確かめるためにも、状況を見極めなければいけない。
ウォルター隊長はなにも言わずに視線でその言葉の先を促す。
「えっと、なにから説明すればいいか……私たちは、偽りの世界を見せられていたんです」
「偽りの世界……」
「そう。そもそもこの世界にはナムゥヌなんて怪物は存在しなくて、そもそもこの世界は異世界なんかじゃないんです」
「異世界じゃ……ない?」
「ええ。ここはいわゆる平行世界。私たちの地球と大きく変わらない、もうひとつの地球。これまで私たちは、知らず知らずのうちに、騙されてこの平行世界の地球にいた人類を虐殺してきていたんです。ナムゥヌは、この世界の人類だった。私たちはもう多くの虐殺を繰り返してきた。いまさら手遅れかもしれない。それでも……それでもこれ以上の人殺しを看過することは私には出来ない。仲間たちがこれ以上虐殺に手を染めるのを見たくはない。なにより、ここの人たちが殺されてしまうのを見たくない。だから、ねえ、お願いです。私の言葉を信じてほしい」
そう言って、彼女は深々と頭を下げる。
正直に言ってしまえば、彼女のその言葉は信用するにはあまりにも突拍子がなく、どこかのSF小説の設定だと言われたほうがよっぽど信じられる。そんな妄想のような言葉は一蹴してしまって、目の前の彼女を強引にでも連れ帰ってしまったほうがいいんじゃないか、と思ったものの、頭を下げる彼女の姿から、ウォルター隊長は目が離せない。
彼女の言葉を信じたわけじゃない。
彼女の感情に心を動かされたわけじゃない。
けれども、深く頭を下げる彼女に、かつての自分の娘の姿を重ねてしまう。
『ああ
……お父さん、ごめんね、ごめんね』
と言いながら逝ってしまったリリー。頭を下げるクリスのその姿は、まるでそのときの彼女のように謝り続けているように見えた。
「その言葉を証明できるものはあるのか?」
「……ここにはありません。だから、見てもらえますか?」
「見る、っていうのは?」
「アイスクリームを通さない、本当のこの世界の姿です」
そう言ったクリスの足元の芝生が開いて、地下へと続く階段が現れた。
「この下に、ナムゥヌたちがいます。私たちが虐殺し続けていた、この世界の住人、この世界の人類が。その姿を自分の目で見て確かめてほしい」
「…………」
『隊長、これはあまりに怪しすぎますよ』
ジョシュが通信で伝える。
わかっている。この状況を客観的に見たのならば、明らかに罠だと一笑に付しただろう。けれども、今のウォルター隊長に、簡単にそう言ってクリスを切り捨ててしまうことなんてできなかった。
きっと、この決断は部隊の隊長の判断としては決してあってはならないものだっただろう。けれども、部隊の仲間であるクリスのことはそれなりに知っているつもりでもある。同僚として、戦友として彼女を信頼している。だから、そんな彼女に裏切られるのならば、それもまあ、仕方がないと諦めることができる。
「わかったよ。俺を連れていってくれ」
『隊長!』
「ジョシュ、サム、ケン。そこで待機しろ。一時間経って俺が戻らなければ、このナムゥヌの拠点を破壊し尽して徹底的に奴らを駆除しろ」
『……わかりました』
ウォルター隊長のその決意を理解したジョシュは、もうそれ以上なにも言うことはなかった。
「ありがとうございます」
クリスの表情から、ほんの少しだけ緊張感が緩んだのを、ウォルターは見逃さなかった。
「礼を言うのはまだ早い。俺はまだなにも見ていないんだからな」
「ええ、そうですね」
そうして二人は階段を下っていった。




