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13、アゲハ蝶

 博士に案内されながら、クリスは屋外に出た。


 途中、すれ違う人々はみな一様に彼女を睨みつけるか、不安げに遠目から視線を向けていた。彼らにとってクリスは恐怖の対象で、憎悪(ぞうお)(みなもと)のひとつなのだから、友好的な態度でないのは当然だろう。トゥルーアースへの反撃のために利用する、という価値がなければ、すぐにでも襲撃されかねない。今でもこうして無事でいられるのは、加來(かく)博士と共に歩いていたからなのだろう。


 そうして博士に見せられたサブアース1……いや、この平行世界はクリスが想像した以上に美しい場所だった。


 山々に囲まれていて、自然が豊かで、鳥もたくさん空を飛んでいる。


 世界中に核兵器が落とされた、と聞かされていたから、もっと荒廃しきった世界を想像していた。けれども青空は()みわたり、流れる川の中にも魚の影が見える。


「思っていたよりも美しいだろう?」


 まるでクリスの思考を見透かしたかのように博士は言う。


「……ええ、とても」


「トゥルーアース側の人類にとっての最大の目的はこの世界の資源だからね。すべてを汚染してしまっては元も子もない。使用した核兵器も、うまく威力を調節していたようだ。まったく、こういったことに関して人類は、本当に実力以上の天才的な力を発揮するものだね」


 自嘲気味(じちょうぎみ)の笑みを浮かべながら、博士は天を(あお)ぐ。


「まあ、けれどもそのおかげでこうして生き延びることができた。放射能汚染は局所的なもので、その場所にさえ気をつければいいんだからね。もともとはこの世界も人類の進歩と共に環境汚染が社会問題となっていたんだけれど、人類の総数の減少によってそれは解消された。それがいいことなのかどうかはさておき、自然はとても美しく再生しつつある」


 そう言った博士の目の前をひらひらと花びらが舞った。


 けれどもそれは、花びらではなかった。その風に飛ばされそうなくらいに小さなものは、ひらひらと宙を舞いながらクリスの目の前を通った。


「うわっ」


 思わず避けてしまったクリスを尻目に、そのひらひらとしたものは、クリスの足元に咲く花に止まる。


 黒い(ふち)に囲まれた、多くの黄色と少しの青とわずかな赤。

 それは、大きな(はね)(たずさ)えた虫だった。


「これ、は……」


「アゲハ蝶だよ」


「アゲハ、蝶……チョウチョなの?」


「ああ。これが、蝶々だよ」


 それを聞かされて、クリスは息を飲んだ。


 トゥルーアースでは蝶々はもうほとんど絶滅してしまった昆虫だとされていたからだ。


 中世の頃から蝶々はその美しさから、生ける宝石とされ、貴族たちの間で高額で取引された。生きている個体はもちろん、状態のいい標本でも高値で取引された。高額で取引されるということは、それを狙った商売人も多く生まれるということ。その頃からヨーロッパを中心に蝶狩りが広まりはじめ、近代では世界中に広まっていった。その間、蝶々の価値が下がることなく、むしろその数を減らしたことにより希少価値を増し、密猟者は増え続けた。


 そうして狩りつくされた蝶は現在ではもうほとんどが存在していないとされ、アマゾンの奥地やヒマラヤのごく一部に存在する可能性が指摘されているだけだ。


 そのアゲハ蝶はクリスが生まれて初めて肉眼で確認した蝶々だった。


「これが、蝶……」


 その美しさに、クリスはただただ見惚(みと)てれいた。


 ゆっくりと翅を動かしながら、花に掴まるアゲハ蝶。日の光に照らされたその翅はより艶やかに輝いて見える。


 生ける宝石と呼ばれるその所以(ゆえん)を知れたような気がする。


 気が付けば、その頬を一筋の雫が伝っていた。


「キミは……泣いているのか?」


 博士の声が聞こえて、クリスは慌ててその涙を拭う。


「いえ、これは……」


 けれども、拭ったそばから涙は溢れ出てきて、とめどなく流れ続ける。生まれて初めて目にしたその美しいモノに、魅せられてしまっている。


「まさか、キミが涙を流すなんてね」


 博士は心底驚いたような顔でクリスの顔を覗き込む。


「そうよ、泣いてるわよ、悪い?」


「いや、悪くはないさ。ただ……そうか。キミも涙を流せるんだな」


「うるさいわね、ほっといてよ」


 たしかに、今まではナムゥヌを無慈悲に殺す部隊員の一員で、彼らにとってはクリスこそが怪物なのだろう。けれども、それ以前にクリスはひとりの人間だ。当然、悲しかったり感動したりすれば涙を流すことだってある。あまりに驚いた表情の加來(かく)博士に、クリスは少し腹が立ってくる。


 ――そんなに驚かなくたっていいじゃないか。


 感動の涙に、悔しさの涙も混じって、もう止められなくなる。まるで、生まれて初めて涙を流したんじゃないか、と思えるくらいにそれを制御することができない。


「もちろんこの世界にだって、汚点はある。僕たちの世界では絶滅していないリョコウバトやステラーカイギュウはこの世界では絶滅してしまっている。それは、僕たちの世界での蝶と同じように、ヒトの乱獲によって滅びているものだ」


 基本的にトゥルーアースとサブアーズ1は平行世界で、そこまで大きな違いはないはずだ。それぞれの世界の人類の滅ぼした生物の種がほんの少し()()()だけのことなのだろう。トゥルーアースでは蝶が滅び、サブアース1ではリョコウバト、ステラーカイギュウが滅んだというだけのことだ。


 結局、ヒトの根本的な在り方は変わらないのかもしれない。トゥルーアース側の人類が平行世界へと移動する手段を先に開発したから、こんな状況になってしまったのかもしれないけれども、もしもサブアース1側の人類が先に平行世界への移動手段の開発を成功させていたのならば、サブアース1側の人類がトゥルーアース側へと侵略する立場になっていた可能性だって充分にあるのだろう。


「けれども、それでもこの世界が蝶を絶滅させずに残してくれていたことを、私は幸運に思う」


 べつに、それが理由となってこの世界に肩入れしよう、と思うわけではない。それを理由に彼らに協力しよう、と思うわけではない。ただ、この平行世界にほんの少しの愛おしさを感じている、ということにクリスは気付いた。

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