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11、贈り物

 クリスが帰還(きかん)しなかった。


 それは、前代未聞の出来事だった。これまでの異世界侵攻作戦において帰還者が出なかったことは一度もなかったからだ。作戦初期には負傷者が出たこともあったけれども、それでも死者や行方不明者は出したことはなかった。全員がきちんと元の地球(トゥルーアース)へと帰ってくることができていた。


 だからこそ、クリスが帰還しなかったことを侵攻軍の上層部は重要な問題だとした。いや、軍の上層部だけではなく、各国首脳からも、世界国家連合代表サミュエル・ミュラーからも懸念(けねん)の声が上がっていた。


 もちろん、そんなものはウォルターも理解していた。同じ部隊の仲間だ。戦友の未帰還を心配しないはずもない。


 けれども、お偉いさん方のその問題に対する意識はウォルターとは違うものだった。各国首脳、侵攻軍上層部はクリスのナムゥヌ側への捕縛(ほばく)による人類側の技術、情報の流出を恐れたのだ。決してクリスの身の安全を案じたわけではない。


 人類の技術、情報がナムゥヌへと流出した可能性がある以上、早急にクリスの状況確認が必要だった。ゆえにウォルター部隊の再出動はすぐに決定した。


 クリスの命そのものになんの興味を抱いていない上層部に不満はあったものの、すぐにでも彼女の救出に向かえることに関しては願ったり叶ったりで、ウォルターはその決定に素直に従った。


「隊長……」


 再出撃の命を受けて部隊の宿舎に戻ったウォルターを、ジョシュ、サム、ケンが迎えた。


「救出に向かうぞ」


 ウォルターのその言葉に、


「よしっ!」


「そうこなくっちゃ!」


 と、ジョシュとサムが雄叫(おたけ)びをあげ、ケンは小さくガッツポーズを作った。


「前回、俺たちは油断した。奴らの反撃を想定していなかったからだ。奴らにこちらの技術に干渉するだけの科学力があるのだと知らなかったからだ。だが、今回は違う。奴らにも対抗手段があると知っている。ならば、奴らにも対抗手段があると(わきま)えたうえで対峙するまでのこと。奴らに俺たち人類の強靭さを見せつけててやれ」


「はい!」


 ジョシュ、サム、ケンは端的に、力強く返事をする。


「まったく、クリスも世話が焼けるよな」


「っすよね。まあ、でも今回は相手が上手(うわて)だったから仕方ないっすよ。不意打ちも食らったし」


「だな。とりあえず無事に連れ戻せたら説教からしてやらねぇとな」


 ジョシュ、サムが軽口を叩きながら装備を取りに自室に向かう。その後ろに続くようにして、ケンが小さく笑みを浮かべながら付いていく。


 その三人の後ろ姿に悲壮感(ひそうかん)や危機感を感じられないのは、きっとウォルターの気のせいではないだろう。


 きっと、無理に明るく振る舞っているのだ。


 兵士ならば、敵地にたった一人取り残される、ということの意味をよく知っている。しかも、相手は狂暴な上に知能が低いとされている下等な怪物、ナムゥヌたち。その怪物のコロニーと思しき場所のど真ん中だ。あっというまに怪物たちに囲まれて、殺害されてしまっている可能性の方が圧倒的に高い。せめて囚われたその相手がもっと知能の高い知的生命体ならば、拷問等を受けながらもクリスが生き延びている可能性があるはずだ。


 とはいえ、その可能性も決して捨てたものではない。なぜならば、ウォルターたちの部隊に反撃を加えたナムゥヌたちは、明らかに何らかの科学的な技術を駆使していたからだ。もしかしたら、あの地区のナムゥヌたちは他の場所のナムゥヌたちとはなにかが違うのかもしれない。ならば、クリスが生きている可能性だって充分にある。


 そう自分に言い聞かせるように心の中で反芻(はんすう)しながら、ウォルターも自らの部屋へと向かう。


 ただ戦友だというだけではない。ウォルターには、クリスを救いたいもう一つの理由があった。




 ウォルターにはかつて、娘がいた。


 先天性色素欠乏症(アルビノ)として生まれたその子はリリーという名前を与えられ、大切に育てられた。身体的な弱さ、(もろ)さを持つアルビノの子は、その弱さ、脆さゆえに天性の美しさを神より与えられていた。絹のように滑らかな白い髪も、白磁(はくじ)のような(けが)れの無い肌も、雪が乗ったように白いまつげも、アメジストのように輝く紫の瞳も、まるでその身体(からだ)のパーツのひとつひとつに神が宿っているかのように美しかった。


 言うまでもなくウォルターは娘をこの上なく溺愛(できあい)した。アルビノという、他人(ひと)とは違う容姿を与えられた子だったけれども、だからこそ、この子は間違いなく神から与えられた贈り物(ギフト)なのだと、信じられた。


「ねえ、お父さん。私は長く生きられないの?」


 ある日、幼いリリーはそう訊ねた。きっと、他の同年代の子供たちよりも病院に通う回数が明らかに多いことを気にしたのだろう。


「まさか。そんなはずないよ。医療の技術は以前よりもずっと進歩している。確かに、リリーのようなアルビノの子は普通の子よりも少しだけ身体が弱いかもしれない。けれども、きっと長く生きることができるよ」


「本当に?」


「ああ、もちろん。少なくとも父さんよりは長生きできるさ」


 けれども、ウォルターのその言葉に、リリーは眉をしかめた。


「嫌よ。そんなのは絶対に嫌。そんなのは悲しいもの。お父さんもずっと長生きしてよ」


 リリーのその無垢(むく)な願いにウォルターは苦笑する。


「残念だけれど、そういうわけにはいかないんだ。父さんだってずっとリリーの側にいたい。けど、人間は老いていく生き物で、いずれいなくなってしまう。仕方がないことなんだ。だから、どうしたって父さんのほうが先にいなくなってしまう」


「それは、決まっていることなの?」


 リリーはその瞳に涙を浮かべる。宝石のようなその眼が輝きを増す。その美しい宝石を濡らす雫を、ウォルターは親指でそっと拭う。


「ああ。けれども心配はしなくてもいいよ。少なくとも、それはリリーが大人になった後の話だし、もし父さんがいなくなってしまったとしても、それは見えなくなってしまっただけで、ずっとリリーのそばで見守っているから」


「リリーのそばで?」


「もちろん。こんなにも可愛い娘を置いて、遠くに行ってしまうはずがないじゃないか」


「本当に?」


「ああ、本当さ」


「じゃあ約束よ?」


「ああ、約束する。だから、安心していいよ」


 その言葉に、リリーは微笑む。まるで白百合(しらゆり)のようなその可憐(かれん)な笑みにウォルターはつられて笑う。


 そう、たとえ娘が普通の子たちとは違うのだとしても、それでも幸福な毎日を過ごしていたし、ずっとこんな日々が続くのだと信じていた。


 けれども、リリーと交わしたそんな約束は果たされることはなかった。


 ウォルターよりも先にリリーが逝ったのだ。


 地球上の資源が尽きて、暴動や略奪が蔓延(まんえん)した一か月間。それを、人々は悪夢の一か月と呼んだ。


 そんな悪夢の一か月の間にリリーはインフルエンザに感染してしまったのだ。それは本当にただの平凡な、新型でもなんでもないインフルエンザだった。薬さえあれば、治る可能性の高いものだった。


 なのに、運悪く世の中は荒れ果てていた。病院はどこも開いておらず、ドラッグストアもスーパーマーケットも略奪者で(あふ)れ、解熱剤(げねつざい)はおろか、(せき)止めの薬ですら手に入らなかった。


 リリーは高熱にうなされ、呼吸もままならず、あっというまに息を引き取った。


「ああ……お父さん、ごめんね、ごめんね」


 と、謝りながら。


 彼女が謝る理由がわからなくて、ウォルターは涙が止まらなかった。彼女は悪くなんてないのに。せめてこの世の中に、この混乱した時代に恨みをぶつけながら逝ったのならば、少しは怒りのぶつける矛先を見つけることもできたのかもしれないのに。リリーはこんなにも酷い状況の世界を、それでも憎まなかったのだ。


 彼女は本当にこの世界を愛していた。




 そんな、世界を愛した神様からの贈り物(ギフト)であるリリーが今もまだ生きていたのならば、クリスと同じくらいの年頃だ。


 もちろん、容姿は似ても似つかない。クリスの髪は栗色だし、瞳の色は暗い緑だ。肌は日に焼けているし、なにより部隊員である彼女の肉体は屈強だ。インフルエンザでは死なないどころか、そもそもインフルエンザに感染することすらないかもしれない。


 けれども、それでもそんな彼女にリリーの面影を重ねてしまう。


 ――もしも彼女が今も生きていたのならば。


 と。もしかしたら、リリーがクリスと友達になっていた世界だってあり得たのかもしれない。そんな風に考えてしまう。


 ある意味、クリスにも娘に似た愛情を向けていた、ともいえる。それは、あまりに自分勝手なものなのかもしれないけれども、それでもそんな自分勝手な感情のために彼女を救いたい、とウォルターは思うのだ。

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