9、予備の地球
「これで現状は理解できたかな?」
白衣の男は最後にそう問いかけた。
現状の理解なんてできるはずもない。だって、彼の話はあまりに突拍子がなさすぎる。あまりに疑問点が多すぎて、何から突っ込めばいいのかわからない。
何から訊けばいいのかがわからないから、クリスは黙りこくってしまう。
「おい、理解できたのかって訊いてるんだよ」
若い男が不満そうにクリスに問いかける。
「……貴方たちが見たままのヒトだというのはわかる。けれども、私たちが知っているナムゥヌの姿とは似ても似つかないわ。それはいったいどういうこと?」
そう、彼らはどう見ても人間だ。クリスたちこれまでにが見てきて、倒してきていたナムゥヌとはまったく違う。ナムゥヌのその容貌は、まさに怪物と呼ぶにふさわしい異様な形容のはずだ。その外見がヒトと同じモノならば、攻撃なんてするはずがない。できるはずがない。ヒトとはまったく違うその怪物のような容貌だったからこそ、これまでの侵攻も躊躇することなくできていたのだ。ナムゥヌは残虐で醜い怪物で、慈悲なんて必要のない存在だと聞かされていたはずだ。
「ああ、そうだったね。その説明がまだだったね」
白衣の男はなぜだか少し楽しそうに答える。きっと、なにかを説明したりすることが好きなのだろう。クリスは以前に科学者というものはディスカッションをするのが好きな生き物なのだ、と聞いたことがあったのを思い出した。
「キミたちはいつもこの世界に来る前に必ず目にナノマシンを注入するだろう? 確か、眼球スクリーンと言ったか。ソレが原因だよ。眼球スクリーンによって、キミたちの視界は制御される。そうして制御されたキミたちの目にはこの平行世界の人類は怪物に見えるように細工されていたんだよ」
「そんなこと……あるはずがない」
「どうしてそう言い切れるんだい?」
「だって、そんなことができてしまうのなら、私たちが今までに見てきていたものすべてを信じることができなくなってしまう」
「事実、キミたちの世界のお偉いさん方たちは、信用するに値しない存在だと思うけれど。ナムゥヌという言葉の語源は知っているかい?」
彼のその言葉に、クリスは小さく首を横に振る。そもそもその言葉に意味があるとも思わなかった。ただその存在を認識するための記号だと思っていた。
「ナムゥヌという言葉はね、unhumanという言葉をただ逆から読んだだけの言葉だよ。namuhnuだ。ヒトではないもの。奴らは、この世界の人類をそもそもヒトとすら見做していない。そして、この世界に付けた名称も酷いものだ」
「……サブアース1」
「そう、サブアース1。予備の地球その1だ。奴らは、この地球を自分たちの地球のスペアくらいにしか思っていないということさ。このまま放っておけば、この地球の資源を奪い尽くした後に、また他の平行世界を襲い、資源を奪うに違いない。予備の地球その2、予備の地球その3と名付けて、そんな星をいくつも量産してね。人類は地球にとってのガン細胞だ、だなんてよく言うけれども、そんなものの比じゃない。人類は、すべての平行世界を蝕むガン細胞になりつつあるのさ。そんなえげつないことを考えるような連中に与えられたものを、情報を、キミは信じ続けるというのかい?」
その言葉に、クリスはなにも言えなかった。もしも、目の前のこの男の言うことが真実ならば、これはもはやクリスひとりにどうこうできるような事態じゃない。けれども、そもそも彼の言葉を鵜呑みにしていいものなのかどうかもわからない。この男が嘘をついている可能性だって充分にある。むしろ、互いに敵対し合っている立場なのだから、そう思うほうが自然だろう。
「じゃあ、私が貴方たちの言葉を信じる根拠をちょうだい」
短い沈黙の後にクリスは訊ねた。
その言葉を信用するに足るなにかを彼らが示せるのならば、少しは譲歩することができるのかもしれない。
「……ふむ、そうだな。オザワくん」
そう言って、目の前の男は若い男に目を向けた。どうやら、彼はオザワという名前らしい。
「はい、なんでしょう」
「席を外してくれたまえ」
「え? でも……」
「いいから。彼女にアレを見せる。キミは、見たくないものだろう?」
「……はい、わかりました」
少しだけ目を見開いて驚いた表情を見せてから、小さく頷いてオザワは部屋から出ていった。それを見届けると、男はテーブルの上に置かれたタブレット端末を手に取った。それは、とても古い型のものだった。もともとは白色だったのだろうけど、今はもうくすんでしまって、淡いセピア色をしている。クリスの世界ではもう二十年も前のモデルだ。
それを物珍しそうに見るクリスの視線に気づいたのか、男は少し照れくさそうに鼻の頭を掻く。
「まったく、酷いものだろう? この世界では最新のモデルのものはすべて失われてしまってね。ま、その最新モデルももう十年も前から新型は発表されていないけどね……廃墟の瓦礫の下からようやく見つけたのがこのビンテージだよ」
そう言って、彼はタブレット端末にタッチする。ほんの少しのタイムラグ。それから映像が再生され始めた。




