59 綿津見島 16
DING DONG
呪いあれ呪いあれ
DING DONG
呪いあれ呪いあれ
繰り返し繰り返し、まるで寄せては返す波のように耳奥を侵食する。叶った恋と若者の未来を寿ぐのではない終末に戸惑っていた観客の表情が次第に虚ろになっていくのにカノンシェルは眉を顰めた。警戒を高めて周囲を見渡し、コドウの瞳も焦点を失いつつあるのにぎょっとする。とっさに右の掌に自身の親指を押し当てた。綺を気付けに使っていた様を思い出したからだ。びくりと反発が返って、焦点が戻る。
「なるべく聞かない…集中しないようにしてください。」
「あ、ああ、そうするよ。----あなたは平気か?」
「私には今のところ効かない感じです。----シャイデ人だからでしょうか?」
冗談めかして言ってみたが、正解をかすっている気はしていた。
DING DONG
呪いあれ呪いあれ
DING DONG
綿津見の愛し子を奪いし男
DING DONG
呪いあれ藻屑と消えよ
DING DONG
呪いあれ血の海こそ相応しい
DING DONG
死神の鎌よ帆を切り裂け
DING DONG
破滅の腕よ絡みつけ
DING DONG
呪いあれ呪いあれ
DING DONG…と観客が唱和する。劇場が震えるような大合唱だ。
「なんだこれは・・・、」
海千山千の商人もさすがに顔色を無くしていた。
「何が起きている?」
分からない。カノンシェルは首を横に振り、遠く、全体を見渡すべく視線を投げた。そしてゆらゆら海草のように蠢く中で、たった一人真っすぐに起立する姿を見つけた。
導のように。
「向こう、行ってみましょう。」
「いや、ここから離れた方がいいのではないか?」
コドウは扉を振り向いたが、カノンシェルは、
「行きましょう。」
と、再度きっぱり言った。父と取引をした時のことが、未だかつてないほどに胸に甦り、自分を落ち着かせない。
「結末まで付き合わないと、帰れないのが、不思議譚の定石ではありませんか?」
【律は溶けよ、律は解けよ、律を繋げよ、律を調えよ、新たな律と在れ】
運命を覆すために、差し出した何か。
理を捻じ曲げたようないまこそ、その何かを支払うときでは、なかろうか----目印はない、けれど。
「実は、なかなか肝の据わったお嬢さんだったのだな?」
「それは違います。私はいつも自分が無事でありたいと思っているだけなのです。」
若者が動き出した。海草をかき分けるように通路を出て、前方----舞台に近づこうとしている。同様にふたりも、人の腕や体を避けながら移動を始めた。
「さっきの舞台なんだが。似た話を聞いたことがある。」
「北の花陸で有名なお話が土台に?」
「いや、世間はまったく知らないだろう。うちの両親がレオニーナの親とかなり親しい関係だから、何となく聞かされただけで。」
取り立てて急ぐ話題ではないが、喋っていると自分の声で、催眠調のDING DONGが遠のく、かららしい。
「冷酷非情国悪非道と各国が競って賞金を懸けた大海賊がいた。もともとの出自は奴隷だったとも言われている。金の髪を血で真っ赤に染めて、財宝も人命も狩りつくしていく様子から、黄金の魔王と呼ばれた。壮年を過ぎたある時、若く美しい姫君をどこからか攫ってきたんだそうだ。アジトに宮殿を建てて、その奥深くに籠めて、ただ一人を寵愛した。やがて姫君はこの世を去ったが、二人の間に生まれた子は宮殿で真綿に包まれるように育てられた。彼女の父だ。」
DING DONG と陰々とホールにこだまし続ける。
深い恨み言のように。
----誰、への?
「…なんとなく、連想しただけ、だがね?」
「…はい、」
頷き合って、けれど、もうどこか、確信していた。
この大掛かりな舞台は、本当の主役を舞台に上げるため----ではないか。
一心に舞台に向かっていく、その若者は----だれだろう?
カーテンコール、あるいは本当の終幕なのだうか、幕が開いた。
スポットライトの中には誰もいない。
先までの構成とは逆で、だれも立たないスポットライトのまわりには十人の舞い手。華やかに鮮やかに、いま舞台に上がった若者を誘う。
ひらりひらりと脇をすり抜けざまに、舞い手の指が若者の仮面をむしり取っていった。
二人は 一列めまで追いついていた。その顔を視認するには十分な距離だ。
は、とコドウが硬直する。
「海皇、」
商人の驚愕は理解できないカノンシェルだが、彼女なりにその面差しにひっかかるものを覚えた。
「…似て、る?」
年上の友の顔を重ねた。
「呪われろ!? お前たちの呪いが二人を殺したとでもいうのか!?」
舞台の上で、若者が吼える。若者ははっきりと怒気を纏っていた。そしてまるで、主役のような立ち姿だ。
すべては----彼に向けられ、彼を手に入れるためのもの。
「母はどこまでも…死の寸前までも幸せそうだった。父は、命日には必ず遠征から戻ってきた。----父はオレを庇って笑って逝った。残念だったな、お前たちの呪いなど海皇に届きはしないんだ!」
「っ、いけない!」
どことも知れぬところから現れた、黒い仮面フルフェイスで黒と赤の鱗に覆われた腕の遊伶の民が、どん、と若者の背を押した。あっけなく、若者はスポットライトの中に、消えた。何、と目を瞠った時には、その遊伶の民も、舞い手たちも忽然といなくなっていた。
「コドウさん!」
「おう!」
ふたりは階段を駆け上がり、光を減じていく輪の中に飛び込んだ!
いつ、とか、だれ、とかは置いて、ただ、受け止めてみることにした。理屈より、目の前の現実がすべてだ。
このまま、目の前を過ぎるままにするなら、ここに居る意味はない。




