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58 綿津見島 15

 天幕に入ってきた人の名を呼んだ瞬間に、また空間が切り替わった。

 カノンシェルには、動いていない馬車の、車窓の景色がカーテンを閉じて開けたら全くべつのものになっていたような感覚だが(驚きはするが身体的負荷はない)、コドウは真っ青になってぐらりと体を泳がせた。とっさに腕をつかみ、支える無茶は犯さずに、そこに見えた椅子に落とし込んだ。

「すみません、少し具合が悪くなって…、」

と、迷惑そうに目を向けてきた隣席の客に愛想笑いをした----客?

 とりあえず自分も席に座って、状況を確認する。

 薄暗い、天井が高いホール----桟敷席があって、舞台がある。劇場だ。一階席の、下手最後尾の端っこの二席。頭を抱え込むような姿勢のコドウの後ろに扉があるが、断じてそこから入来していない。

 ()()、跳んだ。

 仮面をつけたひとたちばかりだから、綿津見島で間違いない。けれど----ここは、()()、過去か?

『真白き林檎の花の都』にも劇場は大中小あって、学生の発表会や巡回の一座の興行が催されることもある。前者はともかく、後者で演劇なら足を運ぶことはない。なぜなら、最近人気の演目と言えば、≪白氷妃の擾乱≫に関わるものばかりで、吟遊詩人でも耳を塞ぎたいのに、自分()がいてそれをみんなが見ているなんて(身元を明かしてなくても)…恥ずかしくて()()()()()()()

 最低限の観劇マナーの身でも、幕が開いたら余程でなければ退席するものではないと分かる。が、コドウは動けそうもない。自分が平然としているのは二回目だからか、いや、最初も特に不調はなかった。体質?と、差異を考えているうちに、幕は開いてしまった。

 

 DING DONG

 お月さまのまわりをまわれ

 DING DONG

 お日さまのまわりをまわれ

 DING DONG

 お月さまの銀の花

 DING DONG

 お日さまの黄金の花

 DING DONG

 理は波間に消え

 DING DONG

 絶叫の風で帆をはらませて

 DING DONG

 血ぬられた旗を掲げる

 DING DONG

 呪いの船が行く

 DING DONG

 隠れていなさい

 DING DONG

 愛しき子よ


 歌詞とメロディがアレンジされた歌を、男声が重々しくに歌い上げた。DING DONG、その旋律だけが続いていく。

 スポットライト。

白いドレス。頭部をすっぽり覆う頭巾。中央のひとりを軸にして、十人の踊り手が円を描いて舞う。

 花のようだ、とすっかり目を奪われて、カノンシェルは思った。

 踊り手たちをバックにして、下手に少年が登場する。重そうな荷を背負って数歩進み、荷物を下ろしたと思うと、背後から現れた数人と諍いになる。奪った剣で、彼らを切り伏せた。よろよろと数歩進み、次に通りかかった数人を迷いなく切り殺す。黒子が巧みに衣装を変えていく。

 年若い少年から若者、青年、そして逞しい男へ。

 貧しい身なりから少しずつ上等なそれへ。

 虐げられる立場から、手を汚すのを何とも思わないならず者に。

 十一人から成る踊りが終わり、軸の一人だけ残して花びらたちは退場し(散り)、上手袖にはふてぶてしい佇まいの無法者が立っていた。

 舞台の上には二人。彼らの視線は交わらない。

 どちらも仮面(踊り手は頭巾)を付けているのに、わずかな首と肩の動きで花柱の彼女はひどく寂しげな目をしていて、男は険しく苦々し気であると伝わってきた。

 中央のスポットライトが消えた。下手から別の役者が登場し、「兄貴!」と男を呼んだ。幻想的な雰囲気は消えて、場面は港----船着き場になった。

「まったく商売に向いてない場所に何しに行くっていうんだ?」

「仕事じゃねぇよ。」

「まさか本当に物見遊山!? 泣く子も黙る黄金の魔・・・、ってぇ1!」

 最後まで言わないうちに、重たい(効果音である)拳から腹にうまった。

「ここは海の真ん中じゃないんだ。言葉に気をつけろ。」

「け、衛士が俺たちの相手になるかよ!?」

「蝿も多ければ潰すのが手間だ。」

 言葉に凄味がある。ぞくりとしたように後ずさる弟?に、

「今日一日だけだ。留守を任せた。」

と言い捨てて、上手に掃けた。

 白い頭巾の娘が、()()()()()()()()()()()()()()を一人歩いている。どこに行こうとか、そういうことではなく、ただ歩くのを----この場所に在ることを楽しんでいる、そんな風だ。

 上手に、神官の服装をした人物が現れる。

「かつての約束通り、今日一日あなたが出歩くことを許しましょう。ですが、物見の広場より先に行ってはなりません。また鐘と同時に仕事を再開できるように戻っていなさい。」

 命じることを当たり前にする傲然とした佇まいだ。

 楽しそうな彼女に、制約がかかっていることを知る。しかし、彼女はそんな陰を感じさせない。楽しそうな家族連れや、睦まじそうな恋人たちとすれ違う。娘は羨ましそうにではなく、微笑ましそうに肩を揺らして、けれど時折何かを確かめるような仕草をしながら、広場をあちらこちらと歩いている。

 下手から男が現れた。不機嫌そうな雰囲気に、行き会う人たちがぎょっとして身を引いたり、行き先を変えたりする。

 自分で好んで来たくせに、何がそんなに腹立たしいのだろうとカノンシェルは首を傾げた。

 楽しんでいる場所にわざわざ来て、負をまき散らすのが分からない。しかし、ふと周辺の気配を窺えば固唾を飲んでいる…ようだ。

「二幕、のようだね。」

 やや持直したらしいコドウが小さくこぼした。

 少しずつ、少しずつ、彼女と男の距離が近づいていく演出は、前段階があるのなら、ドラマチックな何かの予兆なのだろう。

 二人はすれ違い----振り向いたのは男だ。遠ざかる背を見送って、まさかというように首を振った。行きかけて、もう一度振り向く。

 何か呟いた。風の音の演出で男の言葉は客席には届かない。けれど、彼女は振り向いた。不思議そうな顔で。

 男は一気に距離を詰めた。棒立ちになる彼女に、ふわりと自身のマントを被せて(黒子による演出)。

「どうして、何一つ変わっていない!?」

 愕然と男は言う。

「あんたは、彼女のまさか娘か!?」

「わたし、」

 立ちつくす彼女。スポットライトが男に。

「オレはあの後、あちらの港こちらの港で、許される時間の限りに探し回った。でも、片鱗さえもなかった。」

 独白。

「あれから、もう()()()()----十代半ばの、そっくりの娘。」

 握った拳を、ゆっくりと解く。

「…母君に、昔祭りを一緒に回った少年は元気だと伝えてくれ。」

「ち、ちが、違う!!」

 言い捨てて、こちらに向いた背に彼女は飛びついていた。

「わたし、はわたし!」

 観客には聞こえない(演出)が、唇が男の名を刻む。眉を顰める男。

「母親から聞いたか?」

「違う!」

 聞き分けのない子どもに諭して言うように、

「彼女はオレと同じか少し上の年だった。オレは、こんなオヤジで、あんたは可愛い娘っ子だ。」

「外見は変化しても、中身は()()()()()。 外見は変化しないけれど、内身が更新された(アップデート)わたしだから、前と違うというの?」

 聞きなれない言葉。腰にしがみついた彼女を肩越しに見下ろす。

「…二十七年、だぞ?」

「理の通りに。」

「ひげのないガキが、こんなむさくるしくなる。」

「人とはそういうものなのでしょう?」

「では何故あんたは変わらない?」

 問われた彼女は、いっそあどけなく小首を傾げた。

「だって、私は()()()()()()。そう()()()()()()()。」

 男は表情を変えることはなかった。腰の腕を叩いて外させ、向かい合わせになる。そして、両の掌をすくい上げた。

「…では、あんたは何者だ?」

「わたしは、綿津見の娘。この島と共に()()の。」

 ジャンジャーン、と雰囲気を盛り上げる劇伴が鳴って、二人はしっかり抱き合った。

 暗転。

 綿津見()()また新たな言葉が提示されたが、とりあえず綿津見に関係した何かということで、ここが綿津見であることの裏付けということもうでいいか。

 明かりがつく。

 夕方の気配だ。ふたりは並んで、物見の広場の囲いに腰かけて、蜜柑色に染め上がる水平線と濃銀色と白銀色の波の重なりを眺めている。

「…次はまた二十七年の後か、」

「うん。わたしはもっと()()()()()なって、」

「次はない。」

 男はばっさりと言い、立ち上がった。(ライト)の加減で顔は見えない。

「生きていない。」

「だって、まだ人は生きていられる時間でしょう?」

 不思議そうな彼女の顔だけが見える

「明日も定かではない稼業で、年寄りに()()()()()()()()。」

「…もう、会えない?」

「二十七年後にはな。」

「----そう、なんだ。」

 悲しい、というよりは、気持ちが処理できない顔だ。

 彼らは上手寄りに居る。下手に、不穏な空気を漂わせた一団が現れている----彼女の迎えだろうか。

「それは、…それは、」

 彼女は言い淀み、言葉を探している。見つけるのを待つ気はない男が手を差し伸べる。立って、お別れを言うときだ、と彼女は素直に掌を預けた。

 ぐ、と思わぬ力強さで手は握られた。見上げれば、熱い瞳に射すくめられる。

「二十七年後は約束できんが、明日も、次の明日も、届く限りの明日まで共に居よう。」

 左の腕----丸太のような逞しさだった---に抱え上げられた。言葉もなく、彼女は男を間近に凝視している。

「----それとも、二十七年後の一日に賭けるか?」

「っ、いやっ!!」

と、反射のように言葉が出た。

「…待たなくて、いいの?」

「待つな。」

 唇を軽く合わせる。ぎょっと背後から窺う一団が硬直するのを尻目に、触れるぎりぎりで囁いた。

「行こう、」

「でも、」

 不安そうに武装した一団を見遣る。男は(決まりに従って)丸腰だ。

「オレはもう一方的に殴られる餓鬼じゃねぇ、」

 唇を再た、少し濃厚に押し付けて。

「顔を見ただけで我慢できるような青臭い餓鬼でもない。----紫苑海で、オレに敵うだれがいるものか。欲しいものを欲しいという力を得たのは、あんたのためだ。」

男にしがみついた彼女の首は横には動かなかった。

 男は彼女を抱えたまま一団を伸し、港に駆け去った。港にも彼らを阻もうという兵団がいたし、船を出航させないよう、妨害も数多降りかかった。殺陣に次ぐ殺陣。

 ()()()()、総てを薙ぎ払った男が、彼女の肩を抱き寄せて仲睦まじく船首に佇む。月光の道を辿る様に船は遠ざかっていく。

 幕が降りた。

 幸せな結末(ハッピーエンド)----そう、思ったのだけど。

 湧きあがった拍手を掛け消すように、歌声が聞こえてきたのだ。

 

 DING DONG。


 祝福ではなく、弔いの鐘の音だった。



 


 


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