55 綿津見島 12
仙桜はかつて千桜だった。
『狼華』が侵攻する以前、封印された≪竜王≫を祀り、その力を用いて、一都市ながらに絶大な影響力を一帯に敷いた。
従わぬ国には、聖塔から竜の雷が放たれて、軍勢やときに街一つ灼いたと記される。
その99年。千桜を中心とした沿海地方は平和であった。千桜は、盟主として多くの国から朝貢を受け、大使館が軒を連ね、各国の王族の子女が「遊学」の名のもとに滞在していた。富と権力と、この世の栄華は千桜にあった。
歴史が幾度となく証明するように、奢りは終焉の入り口になる。
界魔の異能を借りて、直接千桜を陥落させたのは『狼華』だが、各国は、それを黙認、あるいは後押しすらしたようだ。見返りは竜王の解放だったが、竜王の力を我がものとする誘惑より、千桜の振舞いへの疎ましさと恨みが凌駕した。
そう、解放----と晴れがましいことのように記すところに、当時の逼塞がある。
竜王は聖宮と聖塔など当時の千桜の半分程度を吹き飛ばしたが、嘆きの言葉もなく、千桜は仙桜と名を変えた。
綿津見島の最初の記録はそれから、ずっと後のこと。99999日ではないかという学説を唱える研究者もいる。
綿津見島の最奥、最も高い位置にある宮殿は、高い尖塔が印象的だが、内部についての記録は少ない。
もしかすると、前回、解放された記録が初なのではなかろうか。そして前回は、此度より奥津城への立ち入りはむしろ緩かった。
城は無機的に建ちながら、その実、人の気持ちを吸い込んで在る、のかも知れない。
≪城≫は幾つか知っている。主にシャイデで、『遠海』王城とサクレ大公城、吹き飛ぶ前の『凪原』の王城も少しだけ見た。
『遠海』王城は、シャイデ最古の基礎部分を持ち、各時代の様式が見事に組み合わさって人目を奪う城だったという。半分近くが破壊焼失してむ、残った部分も荒れ果てていたが、奪還と見えてきた勝利の高揚もあって、温かな印象として残る。
対して『凪原』城は、外観は端正さを保ち、内側は静まり返っていた。都内や城門周辺では残存守備隊との小競り合いが起きていたが、城内は人の気配が絶えて、異界に入り込んだとその時はっきり分かった。
カチかちと、冷気が空気を鳴らしていた。
奥に進むほどに静寂と冷気は増し、息も白くならないほどの澄んで透明な冷たさに満ちた大広間に、白氷妃は立っていた…。
成程、傾城だと、まず評価した。憤りも仲間としての覚悟も本物ではあったけれど、やはり異花陸人であったからかもしれない。綿津見宮殿を奥へ進みながら、あの二人の気持ちが、今更ながら身に染みてきた。
一歩一息ごとに、こわい。望むものは手に入れられるのかと。
階段を上りきると、左右に廊下が続いて、その先に扉があった。右手の扉が半分開かれていた。
その扉は劇場の入り口だった。光が入らないようにと下げられた暗幕の端から、劇場内に入り込んだ。
貴族が個人的に楽しむ程度の小劇場かと思ったが、三階まである本格的なそれだった。そして 桟敷席も含めて席はいっぱいのように見えた。券はどうなのか、と一瞬立ちすくんだが、薄暗がりの中、係員だろう影がすかさず近づいてきて、空いている席に誘導された。
ちょうど、劇は始まろうというところだった。
DING DONG
お月さまのまわりをまわれ
DING DONG
お日さまのまわりをまわれ
DING DONG
お月さまの銀の花
DING DONG
お日さまの黄金の花
DING DONG
その誓約はまことか
DING DONG
その幸運はまことか
DING DONG
鐘が鳴るまでに還っておいで
DING DONG
DING DONG
DING DONG
輪の中に
歌詞とメロディがアレンジされた歌を、女声が寂し気に歌い上げた。DING DONG、その旋律だけが続いていく。
スポットライト。
蕾。または咲き初めの花。
白いドレス。頭部をすっぽり覆う頭巾。くるくる、ひとり旋回し、やがて蹲る。
ひとり。下手から。縦横に舞台を跳ねて、やがて蹲ったひとりへと。
ふたり。くるくる。踊る。
ひとりめ、また蹲る。ひとりめは掃けた。
ふたり。くるくる。縦横に舞台を跳ねた。蹲ったひとりが立ち、ふたり、まわりを回る。
ひとり。そのまま停止。ふたり。上手に。
四人。
六人。
基本は同じ。花柱に見立てたひとりのまわりを、花びらに為って円舞する。そして散って、また新しい花びらが集う。花柱役?のひとりの位置は変わらない。ただ、はじめは立つ蹲る、だけで、花びら役?に一瞥もくれなかったのが、回数を追うごとに、少しずつ気にし始める。表情も見えないのに、身体の動きだけで伝えてくる。上手い。
六人の、散っていく花びらたちを、惜しむ様に、寂し気に見送った。
ここで、新しい展開となった。次の花びらたちは現れず、暫く、じっと立ちつくしていたひとりが、ふと周りを見渡した。おそるおそる、スポットライトから、まず手をだし、ひっこめ、また出し、ひっこめ…何も起こらない、あるいは誰も来ないのを確かめて、そして、光の中から出た。細い、ライトが後を追う。花柱役は、ゆっくりゆっくり上手に進み、袖に入る手前で自分がいた場所を一度振り向いた。
暗転。
港だ。鴎の声と、威勢のよい人足の声が響いてそれと伝わる。着飾って、楽しそうに歩いていく人々(仮面あり)の中に、金の髪、浅黒い肌で、南の花陸の血を引いていると分かるみすぼらしい姿の少年(仮面あり)がひとり、荷を運んだり積んだりしている。お約束的に、他の水夫が何人が通りかかって、せっかく積み上げた荷を倒して、「しっかりやれよ」とげらげら笑いのいじめシーンで、少年の立ち位置が知れた。
そこで、俯くのではなく、「ふさげんな!」と叫び、「何言ってくれてんの? 」「奴隷のくせに」と蔑む台詞(説明)に、「オレは奴隷じゃない! 家族に渡すために三年分の給料を前借しただけだ!」(説明)「お綺麗な顔だと徳だ」「男娼」と嘲笑われて、小突かれ、倒れたところを蹴られる。「商館長に損をさせるわけにはいかないからな!」と唾を吐きかけて、男たちは退場した。
倒れ伏したまま、ちくしょうと呻く少年を、傍に白い衣の少女が上から見下ろしていた。あの、花柱だ、と観客は気づくか少年は分からない。
「…見世物じゃねぇ、あっち行けよ!?」
「見、世物? ちがう、暴力。さっきの人たち、だめ。」
「…何言ってんの、あんた?」
体を起こそうとして、いててて、と呻いた。生々しい呻きと、顔に滲んだ血に、少女がびくりとする。
「いたい?」
「そりゃまあ。でも、慣れてるし。あいつらも、殴り慣れてるから----ま、折れちゃいない。」
あばらの様子を確かめて、それから少年は、風変わりな意匠の真っ白なドレスを着て、鼻まで頭巾を下ろした少女をまじまじと見た。
「…あんた、なに?」
スポットライトが彼らを抜く。劇的な効果音。
少年は少女と出会った----恋物語だったのか、とレオニーナは理解した。




