49 君待つと 4
役立たず、ど怒鳴っている。
予想通り、押しかけてきた一同の気配を前に、カルローグは退室を決めた。追い出されるのは瞭然だったから、ちょっと扉を開けておいてほしい、と詳しくは後で報せてくれ、とカティヌに囁いて、別室に退いていた。
----筒抜けに近い。
特に、若き日に軍陣にいたという(その年齢では殆どだが)老伯の肺活量は、まだまだ現役らしい。
とはいえ、見えないので、後からカティヌからもたらされた情報で補完する。
怒鳴ったのは、
「ティバレスどのにか?]
「いいえ、」
カティヌは、寝台に横たわる孫息子を一瞥した老伯の眼差に身震いした。
「ごくつぶしは、どこまでも、ごくつぶし、と。」
いっそ静かに吐き捨てた。あまりの言いざまに、涙が滲んでしまった。衝撃がすぎるのか、すっかり涙もろい。
「では役立たずとは、」
「治療師たち----五人、伯についてきました。」
「そうだったな。」
テダンが斡旋した。
「領主もいました。」
陰気な顔の男だったが、ぎらぎらした上昇心を感じた。
「五侯国か。」
これもまた面倒ごとだ。『遠海』領内なら抑えもきくが。
レージ同様、ガレシの衛星国家だが、小尾川に面して運輸が盛んだ。人の出入りが多く、新しいものも面倒ごとも入り易い。
「やり直します!」
と、テダンの領主は叫んだ。老伯は、恐ろしく冷ややかに応じた。
「当たり前のように大金を求めてこのていたらく、北の花陸じこみの治療法とやらは、所詮は眉唾であった。」
双異翼の柱の倒壊から、30年近く。紫苑三花陸とのやりとりもだいぶ普通になってきた---が、交流は良いことだが文化摩擦は、ある。
「さっきまでは順調だったではありませんか。ちょっと調整すれば、戻りますとも! …そうだな!?」
治療師たちの声は届かないが、状況は把握できた。
紫苑からの新しい治療法という触れ込みだったわけだ----それは、一縷の望みをかけたくなるかも知れない。
ただ----向こうのなにもかもが、優れていて有難いわけではないとカルローグは思っている。
警邏任務の中で、一攫千金の山師どもの仕業に、苦々しい思いをしたことも何度もある。
悲鳴と、ものがとんでぶつかるような激しい音が伝わってきて、壁にもたれていた背を伸ばしたところで、カティヌが件の部屋から飛び出してきた。
「止めてください! ティバレスさまを無理矢理連れていこうと…死んでしまいます!!」
一瞬ためらったのは、(守備範囲外の)外交問題がちらついたからだが、カティヌの必死な顔と室内から聞こえるナナアの悲痛な声に、腹は決まった。
「失礼しますよ。」
と、あえて軽い響きの声を出して踏み込んだ室内で、カルローグは迅速に動いた。ティバレスを持ち上げようとしていた二人の間に体を割り込ませて、奪い返した。そのまま寝台に戻す。押しのけられて床に尻もちをついていたナナアが、きっと唇を噛んで立ち上がり、再び覆いかぶさって夫を庇うのが何ともいじらしい。
「しっかりして!」
手荒な扱いで、ティバレスには意識はもうないようだった。
彼らと治療師たちの間に立って、ティバレスはやれやれ、と肩を竦めて見せた。
「枕も上がらぬほどに弱っている人を、こんな夜半にテダンへ移送するんですか? 」
「貴卿は、?」
「ガレシ伯にはお初にお目にかかる。わたしはカルローグ・コンデであります。白公領の駐留隊で副長を仰せつかっています。このような場ではありますが、ようやくご挨拶がかないまして恐縮です。」
ばっちり皮肉がこもった大仰な仕草の挨拶に、老伯は鼻と杖を鳴らして応えた。
「お前が、かの混じり物の騎士か。」
あからさまな侮蔑だ。今でこそ、他花陸の血をひく子は増えてきているが、カルローグの年代ではかなり珍しい。ましてや、騎士を出すような階層では皆無といっていい。異国風の容姿は今でこそ羨まれることもあるが、差別的な目の方がなじみ深い。
----もう、ずっと飲み込んできたことだから、カルローグは真っすぐ顔を上げて、にやりと笑った。
「おや、高名なガレシ伯にまで菲才な身のウワサが届いていることに恐縮の至りです。」
「なぜ我が館に? 招待した覚えはないぞ。」
「イシュロア卿の上司が友人でして。」
「セリダのイシュロア、か。暁におるのだったな。」
剣豪として知られる男の体躯の前では、治療師たちなど棒、ティバレスは枯れ枝のようものだ。孫息子と健康極まりない男を見比べた老伯の目には、苛立ちと憎悪がある。
ガレシ伯がカルローグの身の上を理解しないように、カルローグも蒲柳の質の子や孫をもつ伯に配慮する理はない。堂々と胸を張る。
「と、いうのは建前でして。」
一転、重々しく声音を抑えた。
「私は四方公爵エアルヴィーン様からの特命を受けて参った次第です。」
この台詞は、カルローグが思った以上に----いや、はるかに老伯を刺し貫いたようだった。
新国王への伺候もせず、独立がまことしやかに囁かれるほど、『遠海』と距離を取りたがっているようなガレシ伯が、はっきりと狼狽したのが不思議であった。
「まことか!?」
それは疑うというより…、
「え、ええ、この通り。」
カルローグは、老伯のそれが何だか判断がつかぬまま、預かっていた印章を示した。
身元を証明するための印章だが、四方公爵の場合、だれにも偽れない身の証明があるため、代理人が使うことが通常だ。
「お、おお!」
そこで感嘆の声が上がるのか。爛々と、くぼんだ眼を輝かせて。
「朱公爵閣下は、我をちゃんと見てくださっているのか!」
カルローグの背を、今まで感じたことのない、ぞわりとしたものが駆け下りた。
「やはり、ガレシはお役に立たねばならぬ。きっと、きっと、誰よりも朱公爵に相応しくあらねばならぬ!」
次回は再び綿津見島です。




