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48 君待つと 3

 いつか、そんなに遠くない()()()、別れが来る恋だった。


 「こんな…死神の鎌に刈り取られる朝を、ずっと怯えてきた人生だったけれど、きみが毎日来てくれるようになって、次の朝が楽しみになった。夜に、どんなに苦しい咳や痛みがあっても。だから、」

 ずっと年上の、身分のずっと上の人は、病的な白さの肌で熱で赤らんだ頬をしたいたけれど、この時はそれだけではない、上気した顔をしていた。

「だから、もし君が…ぼくとその朝も一緒にいてくれるのなら、ぼくはその時を微笑んで迎えられる、と思うんだ。」

 一進一退ならぬ、三退一止。病状は坂を石が転がるようだった。今度の春は迎えられても、次の春には届かないだろう、と…。

「どうか、ぼくと結婚してほしい。ぼくが、その朝を怖がらずに迎えるためには、きみが必要なんだ。」

 恋をしていたわけではなかった。

 毎日、まいにち。少しずつの時間が降り積もって----でも、この瞬間に恋に落ちたのだ。

 命をぜんぶ差し出して、乞い希われて。

「いいよ。」

 申し込んだくせに、やけに吃驚した目で見てくるから、駄目なの?と聞くと、ぶんぶんと横に首が振られた。あ、これは具合悪くなる、と慌てて両手を伸ばして頭を抑えた。

「ほんとに? いいの?」

 赤いのに冷たい頬。掌の温度が気持ちよいのだろう。目を細めた。

「おじさんだし、こんなに体は弱くて、」

「うん、知ってる。」

 出会った時から、ずっとだ。

「どこにも連れていってあげられないし、」

「そこの中庭までしか出たことないね。」

「楽しい話も知らないし、」

「あたしが本を読んであげたら、感想を言ってくれるでしょ。ティバレスさまの感想は面白いわ」

 彼に本を読み聞かせられるように、彼の祖母はナナアに家庭教師を付けてくれた。

「…それでいいの?」

「うん。今までと同じでいいんじゃない?」

「…それは、結婚はしなくても、ということ?」

 落胆したように呟くのに、

「いいよ、って言いました。ティバレスさま?」

 挟んだままの掌にちょっとだけ力を入れて瞳を覗き込む。

「あたしがまた明日って言わなくなることだけ、変わるんです。」

「そう、だよ。うん、そうだ。」

 嬉しそうに笑った。

「その(あす)を、どうかぼくと必ず一緒に迎えてください。きみが僕の(あす)なんだから、ぼくをきみのものにしてくれなくては。」


 「----婚約自体に、障害はありませんでした。彼のおばあさまが後押ししてくださって、傍系の養女として籍を整えてくださいました。時をおかずに結婚するはずでしたが、」

 ナナアの指が、ティバレスの前髪を柔らかく梳いている。彼女は寝台のヘットボードに背を預けて、ティバレスを膝枕している。

 閨を思わせるから、未婚のカティヌは困り切った顔をしているが、ティバレスが落ち着くならば仕方がない、とそちらを見ないようにしてやり過ごしている。一方、この程度でカルローグは動じるはずもない。冷静にティバレスの容態を観察している。

「おばあさま…ガレらシ伯夫人が亡くなり、喪に服すことになりました。一年、それはわたしたちにとって絶望的な長さでした。ですから、ご自分がもう危ないと考えられたおばあさまは、その枕もとでわたしたちを結婚させてくださいました。」

 カメオのペンダントのなかに小さく畳んで仕舞われていた《結婚証明書》が広げられた。カルローグは、立会人と聖職者の署名を確認して、確かにと頷いた。

「ということは、あなた方は既にご夫婦であった、と。」

「ティバレスの、別棟の者は勿論、本棟の使用人たちも知っていると思います。もちろん伯爵さまも。」

「名前もありますしね。」

 家長として、承認の記名がある。

「貴賤結婚だから、取り消すと伯爵さまがおっしゃるのなら、それも許されるのでしょう。」

 地方の頂点に立つガレシの権威は絶大で、逆らうことなんて思いもよらないと諦めたように目を伏せた。

「そんな一方的なことはできない。」

「時代遅れがすぎますわ!」

 聞き手二人は一緒に声を上げていた。どうぞ、とカルローグがカティヌに発言を譲った。

「婚約ならまだいざ知らず、正式な婚姻を解消するための取り決めは、『砂鈴』や一部の小国をのぞけば、《双異翼柱に関わる協定》時に、各国が取り交わした条文にて定められました」

 《双異翼柱》が喪失したことにより、三花陸からの干渉が増えると予想し、混乱を抑えるためには花陸内の価値観をできるだけ揃えておくべきだ、という『遠海』の全権大使であったクロムダート大公が提唱した盟約だ。

「では、わたしたちは変わらずに夫婦で良いのですか?」

 もちろん、と頷かれたナナアとティバレスは指先を絡めて微笑み合った。

 ティバレスの涙はいま止まっている。かわりに、右半分の痙攣と白濁した右瞳が白目の中を、あり得ない動きで()()()()()()

「----痛みや違和感はないのですか?」

「感覚がないのです。ただ、気持ちはいまとてもいい。」

 細く息を吐いて、ティバレスは言う。

「ずっと、テダンの屋敷で目が覚めた後から----長い夢の中を歩いているようでした。夢で話すように、動くように、確かに自分が感じているのですが、自分の意のもとではない…あんな感覚です。あなたともお話したような気はしますが、」

 カルローグは頷いた。

「何もかもすべて遠くて----でも、ナナアが現れて、ナナアの声が聞こえて、ああ、起きなくてはと思って、」

「ティバレスさま!」

「ティバレスだよ、ナナア。ぼくたちは夫婦なのだから、そう呼んではだめだ。」

 甘い空気を醸し出す二人に、暫し退席した方がとカティヌはカルローグを見た。男は肩を竦めたが、まだ立ち上がらなかった。

「あなたがテダンで受けた施術とやら、どんなものなのかお分かりですか?」

「----申し訳ない。きっと成功して、ガレシの家を継いでいくことができますよ、と彼らは言ったが。具体的なことはなにも。祖父は分かっていると思うけれど、ぼくには説明がなかったし、テダンに移送された時には移動が祟って、もう意識もなかったようだよ。」

「まあ…、」

 なんてこと、と絶望的にナナアが呟く。

「施術が成功して、きみとこうしてまた会えたのだけは、本当にありがたいことだ。」

 穏やかにティバレスは言う。諦めることなれた人生を物語る目とはこういうものか、という色を映して。

「ぼくは少しだけ、欲をかいてしまった。きみがぼくと結婚してくれて、(あした)を迎えてくれて、それはほんの数日叶うだけでもいいと思っていたのに…少しでも長く、と。祖父の誘いに、頷いたのは、ぼくだ。ただ、ずっと一緒にいればよかったのに。ぼくのこれは、身の程を忘れた欲の報いで。きみにはただ辛い思いをさせて…ごめん。」

 言葉なく抱き合う二人から顔を背けて、それのどこか、欲なのかとナナアは顔を手で覆う。第三者が自由に泣いていいところではない。だが涙で前は見えなくて。

 たくましい手が、静かに肩に回った。

「----向こうに控えています。」

 次の間で、堪えきれなくなったカティヌの背を、あやすように触れてくれた手はただ温かかく、頼もしかった。

 







 

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