46 君待つと 1
「あなたの選択肢は二つだ。」
部屋を訪ねてきた騎士は恐ろしく真剣な様子で言った。
「一つはこのままナナア嬢を残して予定通りに『真白き林檎の花の都』へ戻る。」
錯乱している。心を病んでいる。と、あの騒ぎをすべてナナアに被せて、ガレシは説明したようだった。
「ナナア嬢は退学届けが提出され、戻された実家でほどなく若くして死亡するだろう。」
不吉すぎる予言を吐くのに、縁起でもないと顔を顰める。
「婚約者だと思い込んだ哀れな娘が、身分違いの相手に恋焦がれて----狂い死にか、自死か、衰弱死か。小説家としては、どれが読者の涙を誘って、惹きつける?」
「不謹慎です。」
現実として望んでいるような言い方に、睨み返していた。
「彼女は悩んでいる様子はありましたが、冷静でした。心を病んでいたということはないと思います。」
「ああ----だけど、そうしたいんだ。あなたの物語にも出てくるんじゃないかな? 権力者の言うなら、白も黒、黒は白になる。オレノではガレシに逆らっては暮らしていけないだろう。」
カティヌが、はっとしたところで、カルローグはティバレスとナナアの関係を説明した。
「大人しく、『真白き林檎の花の都』に留まっていれば問題なかったのに、どういう巡り合わせかオレノに戻ってきて、しかも晴れがましい、新生ティバレスの披露目にケチをつけた、ただの商家の娘に、老伯は寛容でいられるかな?」
小説の中なら、権力者の横暴は、主人公が正して展開を盛り上げていくか、非道に晒された人々の話を聞いて(見て)、これでは駄目なのだという絶望から立ち上がるカタルシスとなるものだが、いまこの現実に主人公はいない。筋もない。
「ガレシを去るのは間違いではない。病ということで収めたいのだから、『真白き林檎の花の都』の管理責任を問うてきたりはしないだろう。他の生徒に言い含めて帰っても、あなたに不利益はない。」
「…挑戦的におっしゃいますのね。」
こういう物言いをする人物を描いたことがある。主人公を動かす役回りだ。企みと知りながら敢えてのるタイプと、気づかずはめられるのと。
「わたしはこれでも教師の端くれです。」
そして物書きだ。雑に放り出された筋書きを、そのままにするなどとんでもない。
そこで『真白き林檎の花の都』の名のもとに、面会を申し込んだのだが、興奮の度合いが激しく服薬させたため、眠っているという。では、付き添いをします、とカティヌは申し出たが、彼女の実家から身内を呼んだので、ときた。
「学校として、その身内にご挨拶を、」
と粘ったが、ナナアの様子に心を痛めていてそれどころではない、と言われれば強くも出れない。
とりあえず、ナナアが収容されている(という)部屋に近い応接室を一つ借りることだけはできた。
「監督不行き届きですもの。」
病なのだから、気にされるな、と言い張ってくるのに、
「ありがとうございます。そう言っていただけると、ほっとするのですけれど。でも、ご家族に一言なしでは、わたし、戻ってからなんと報告すればいいのか・・・実は、わたし、正式な採用は今回の引率が恙なく終わってこそなんです。もしかすると、これで見送られてしまうかもしれません。ちょっと落ち着いたら、一瞬だけでも。近くにいさせていただいて。」
虚構も混ぜ込み、殆ど泣き落としのようなもので、漸くだ。
たかが男女のもつれ、とカティヌは思っている。 めでたい最中に不幸は引き起こさないという希望的観測をもとに、明日の昼の狩猟会、夜の舞踏会までは猶予がある、騒ぎに紛れて始末されて、後から発表の危険性もあるなどと、騎士は言い立てるが、まさか、そんなことが起きるはずがない。
頑固そうなご老人ではあったけれど、物語ではないのだから、そんな悪役そのもの、なんて。
なのに、頑強に扉は閉ざされているから、まさかと少しだけ気がかりが増していくのだ。
日はもうとっぷりと暮れている。館は晩餐会が賑々しく行われており、使用人たちはみんなそちらに駆り出されているし厨房もてんてこ舞いだ。そのため、予定外の場所に(無理に居る)カティヌに食事は届かなかった。そこにカルローグが軽食を携えて顔を見せた。
「ありがとうございます。」
仕方がないか、とは思っていたが、やはり空腹だったから、ほっとした顔になって受け取った。スコーン数個とジャム入りのお茶だ。
紳士らしく扉は半分開けて、少し離れたソファにカルローグは座った。食事中の会話に、渦中の件は適当ではないと思ったのか、ふと、
「巨人の庭、と呼ばれている場所があるらしいな、」
と振ってきたから、カティヌは収話済だった昔語りを披露したのだが、
「----お家騒動があって、白公が介入して収まった、という、悪いことは露見して報いを受ける、という教訓話…?」
というのが、聞き終えたのちの男の身もふたもない感想であった。
「そんなものかも知れませんね。」
領主家の内情とか、剣士たちの関係とか、人間関係に濃く味付けしたなら、メロドラマ入りの冒険譚に仕上げられる、というのがカティヌの分析であるが、いまは、そんな場合ではない。
状況は膠着している。一瞬で状況をひっくり返せる剣はない。
ここにただ居ても内には入れてもらえないし、ガレシの意向に従うしかない家族が出てくることもないだろう。気にしているという主張としては機能しているが、何とか面会にこぎつけたい。カティヌが案を挙げていく。
「火事が起きて、そのすきに忍び込む。」
「火つけは大罪だ。」
「盗賊が侵入して、警備が追っているうちに」
「その役回りができる心当たりがない。」
「動物を放つ。猛獣系の。」
「どこから調達する? 」
筋立てをことごとく潰されて、お前の想像力は所詮現実では絵空事だと言われているようで、カティヌは大きなため息をついた。
「じゃあ、あなたならどうするの?」
気づかぬうちに、口調はかなり砕けてきている。
「おれはただの騎士だしなあ、」
気楽そうな口調で、しかし継がれた言葉に頬が強張った。
「ガレシを制圧してしまおうか。」
まじまじと年上の騎士を見つめてしまった。微笑んでいる。でも、目は----。
ふい、と視線は外された。独り言のように首を振りながら。
「この場所は、どう攻めたらいいのか、とか守ればいいのか、とか、つい、考えてしまうのは、軍人の習性のようなもので。吃驚させてしまって、申し訳ない。」
胸に手をあてて、簡易な騎士の礼をした。
「…ええ、騎士さまですものね、そういう風に考えるものなのですね。----勉強になりました。」
「さすが、作家の先生だ。」
言葉は、穏やかに重ね合い、途切れる。どちらともなく視線は閉ざされたままの扉に向かう----が、果てして同じ扉を見ているのか、と冷たくなる指先を握りこんで、カティヌは思った。
どれくらい、沈黙が横たわったのか。
「…おや、」
カルローグが声を漏らした。大きく肩を揺らしたカティヌに、ちらりと視線を投げて、何でもないように微笑んだ。
「どなたかこちらに来るようだよ。」
よろめく様な足取りで、廊下の陰の中を歩いてくる人影が見て取れた。酔い覚ましに晩餐会を抜けてきた酔っ払いだろう、と思った。
----が。
明かりの下にまろびでてきたのは、
「…ティバレスさま?」
絢爛たる衣装に身を包んだ、本日の主役たる人としか見えなかった




