45 綿津見島 6
船着き場は賑やかだった。
港の容量には限りがあるから、船を所有しているからといって、好きに乗りつけていい訳ではない。昔、むかし。綿津見島の浮上がまだ珍しかった(現在でも珍しいと思うが)ころ、上陸しようと船が押し寄せて、衝突事故が多発して多数の人死にがでたという。(因みに、船着き場以外に船をつけようとすると、例外なく転覆の憂き目にあうとのこと。)
犠牲の経験から、「出現」時期が近づくと、入札で仕切りの業者が決められる。
儲けは約束されるし、名誉なことで、うまく切り盛りすれば名は上がり、信用度は爆上がる。だが、生半可な気持ちでは申し込めない。たった一日だけで、リハーサルも反省会もできないのだ。ぶっつけで、事故を起こさず、一定の満足度を保障して、一便から最終便まで、スケジュールを詰め込んでも滞らせない、というのは、業務としてかなり難易度が高い。
船着き場には、さまざまな船が着けられている。仙桜からこのあたりまでは通常(島がない時)は、うまく風を捕まえれば四半時だという。が、出現統計によると、向かい風になり、行きは漕ぎ手が必須らしい。大型のガレーは、島の港に入らない。小型船での行き来は効率が悪い。そこで取り入れられているのは、母船形式でのピストン輸送だ。大型船数隻を湾ギリギリに停泊させて、仙桜から大型船、大型船から島、と乗り換えることで、人数と時間の調整をするのだ。
綿津見島に直接乗りつけられる数少ない枠は、王族や大商人が糸目をつけずに買い入れるので、そこからそんなに裕福ではない人にも訪問の機会が得られるような仕組みを立てさせて、そこに補助出す。
業者には利益と名誉を確保させ、しかし一方的に儲けさせるのではなく、庶民への配慮も代行させる。
民も一方的な施しではなく、自分の懐に合わせて参加のかたちを選べるのも自尊心を保つのに大切なことだ。
最も長い行程は、一日(十二時間)。次いで八時間、半日(六時間)、四時間、二時間、一時間・・・と都合に合わせた選択ができる。ちなみに十二時間だと夜中に大型船まで移動し、浮上と同時に島に向かう予定だ。邸宅で浮上を見たかったレオニーナが選んだのは、八時間だ。
と、いうわけで、次々に船は着いて、これからだから四時間以下の行程の人々を下ろし、半日以下の帰り足の人々を乗せて、直ぐに出航していく。完全予約制だから遅刻は許されない。
念のため早く戻ってきたり、上陸の雰囲気だけ味わいたい高齢者や一時間行程の訪問者のため、テント営業の店が港には幾つもあって、そこそこ繁盛していた。
「ここはうちの天幕だから、どうぞ好きに過ごしていてくれ。」
と、カップと紙に包んだサンドウィッチを手渡しながら、コドウは柔らかく微笑んだ。
「仙桜から運んできたものだよ。」
言い添えられたのは、綿津見の食べ物に手が伸びないことを、はや情報共有されたということだ。
「…ありがとうございます。」
「なんの。そういう自衛は大事だ。多少の傷みでも口にする船乗りの胃腸と、大抵の人は同列じゃない。」
天幕の近くには帆に「調」と染め抜かれた小型艇が停泊していた。話に出てきた糸目をつけない商人の一人であったらしい。
「だから、積んできた飲食物の売れ行きはなかなかだよ。この分なら、帰りはかなり軽くなる。もしかして、出航に送れる人がでても乗せてあげられるよ。」
だから、と男は言を継ぐ。
「時間になったら、あなたは船に乗りなさい。彼女のことは、気にしなくていい。」
----この人は。
は、と目を瞠って、顔を見返した。
そのために、ここにきたのだ。彼女のための、準備なのだ。
「おれは先の広場まで戻る。大人しく待っていてくれるといいのだが。」
真剣な顔で言った後、ベンチの空いているスペースに一抱えほどのこぐまのぬいぐるみを座らせ、少女と見比べてにっこり笑った。この子と留守番を、ということのようだ。まさか随分子どもに見られている?と愕然としたが、つぶらな瞳は、ささくれた心を撫ででくれた。
「----可愛い、です。」
「母の新作です。」
「お母さまの…ご趣味で?」
「手慰みといえばそうなんだが、母は人形師をしているんだ。注文は数年先まで埋まっている売れっ子なんだが、…注文が溜まると、突然、作風と真逆の、こういったモフモフしたものを作り出す。専門家の手だが、売り物ではない。」
つい撫でた頭は、ふわりと柔らかくて、口元が緩む。
「抱きしめても構わない。お好きにどうぞ。」
にこにこと言う。
「女の子が、可愛いものといるのはいいね。レオニーナも昔からとても似合うのに、傍に置きたがるのは弓とか剣ばかりで。」
嘆かわしい、と愚痴をこぼすのに、微笑ましさいっぱいの笑みを浮かべて、カノンシェルは男を見上げた。
「えーと、あの、レオニーナさまのこと・・・、」
何といえばいいのだろう。既に覚悟している人に、お願いします、は僭越すぎるし、がんばってくださいも今更だ。
「お、応援しています…?」
目を瞠って、破顔一笑。顔見知りから知り合いくらいまで近くなった空気感で、見送った。
あの大戦中もずっと見送る立場であった。
行ってくる、と頭を撫ぜて、扉の向こうに行ってしまう彼らとどんなに一緒に行きたかったか。
あの頃の彼らと少し年が近づいたが、結局カノンシェルは行けない。
当時は年齢だった。現在は立場だ。望んだものでなくとも、身に預かった責任が少女を射すくめる。それでも、少しだけでも娘らしく、と無理を押して成人までの猶予をもぎ取ってくれた二人を思えば余計に。
綿津見島の体験を、面白いではなく、何かあってはいけない、と自制がかかる。ましてや、今回少しだけと甘えたことが、この顛末であることも、少女の思考を頑なにする。
潮風がさら、と前髪を跳ね上げた。畳んだ包み紙と空のカップが風に攫われる前に片付けてしまおうと思った。立ち上がったその時に、目の前に青色の球が転がってきた。
「お姉ちゃん、拾って!」
と、遠くから子供の声。海に転がり落ちる前に、と急いで回り込んで腰を屈めた。指先が球面に触れた瞬間、首筋がざらついた。身に覚えのある感覚----狩鈴。
「鳴る前に壊せばいい。」
大戦中、身バレ防止のため、突きつけられる狩鈴を、余りある綺で潰していた青年の言い草だ。
学院では綺がないことになっているため、訓練度は止まっているが、体が成長すれば容量は増えるものだ。
触れた指先の下、球面に罅が走り、狩鈴は沈黙を保った。なぜ、こんなところに狩鈴が、と首を傾げながら掴み上げた。綺に触れなければ、ただのきれいな球だ。北の花陸では、縁遠いらしい綺だから、たまたま紛れ込んだそれで子どもが遊んでいただけ、かも知れない。
返してあげよう、と振り向いた先、ごく近くに黒い仮面。
黒と赤の鱗に覆われた腕。
----それきり、意識は絶えた。




