43 綿津見島 4
真昼の青に、鐘の音の余韻が吸い込まれるように溶けて----溶けた青から、ガラス細工を空に透かしたふうに、透明な何かがせり上がってくる。
鐘、と思ったそれは、よくよく見れば鳥籠であった。
大人が立って、両手を広げても余りある大きな鳥籠は、ゆっくりと広場に降りた。
空に在った時は、空の青が透けるような透明だった籠目に、高度を下げるごとに質量が加わって、純白へと変じる。大きさはともかく、貴族邸宅のベランダに下がっていそうな瀟洒精緻な外観だ。
呆気にとられて静まり返る広場に、シャーン、と甲高くシンバルが打ち鳴らされた。それを合図に遊伶の民たちが一斉に鳥籠の前に進み出た。鳥籠を中心にして二重の円を作る。それに伴って、訪問者たちはその外側を取り囲む、三重めの円と為った。仮面と半仮面の間に楽団が陣取り、音楽を奏で始めた。
はじめは微かに、緩やかに。
何の曲だろう、と耳を傾けた人々が、あぁ、と頷いた時、歌が合わさった。
深い響きの男声と澄んだ女声の二重奏だ。
【DING DONG
お月さまのまわりをまわる】
二重の遊伶の民が互い違いに動き出す。
群舞。手足や首、腰に下げた鈴がシャンシャランと鳴る。
【DING DONG
お日さまのまわりをまわる】
音楽の速さが上がっていく。
【DING DONG
お月さまには銀の花】
耳が奪われる。
【DING DONG
お日さまには黄金の花】
袖や裾、髪のリボン、長い腰ひも、マントが翻る。
【DING DONG
誓約の花を掲げて 】
まるで色の渦だ。
【DING DONG
幸運の印は額を飾る】
目が飲み込まれる。
【DING DONG
鐘が鳴るよ】
広く知られた伝承歌だ。歌えない者はいないだろう。
それぞれの口の端に歌が乗り、体がリズムを刻む。
【DING DONG
馬車が来るよ】
踊りたくないとか歌いたくないとか、そんな個の意志を押し流して、三重の円が動き始める。
【DING DONG
お隣さんと】
熱気。あるいは狂喜。または恍惚。
【DING DONG
輪になって踊る】
蒼天に、打ちあがった残響を空が吸い込んで、また静寂が広場を覆う。
遊伶の民は静かに片膝をついて、顔を伏す。あんなに激しく踊ったのに、息を荒げる音はしない。は、と我に返った半仮面たちは、それぞれの没入度に合わせた呼吸音を立てながら、次幕が始まっていることに気づいて視線を、そちらに向かわせた。
鳥籠のちょうど扉の前。遊伶の民は赤い絨毯が敷かれているごとく、空間を開けてかしこまっている。
空っぽの、向こう側の見える鳥籠。
----空っぽ、なのに。
閉じたままの扉を、内から押して、鳥籠の中から、ひとが出てきた。
確かに、だれもいなかった。----のに、まず扉が動いて、開いて、出てきた。
まるで、内にいた、ように。
目を疑い、ヒ、と引き攣れた空気から悲鳴に変わる直前、シンバルとベルが陽気に打ち鳴らされた。
鳥籠から、出てきたのは、何色もの原色を組み合わせたダボダボの派手な衣装、先の尖がった靴を履き、濃い頬紅、瞼を赤と黄色に塗って、上弦の月状の口、丸い赤鼻の、白塗りの仮面をつけた、
「…道化師、」
「道化師、だぞ、」
「・・・、そうか、」
これは奇術なのだ、と気づいた人々の肩から力が抜けていく。
「さすが、綿津見、」
「こんな大掛かりな奇術なんて、見たことがない。」
「仕掛けがまったく分からないわ!」
動揺は興奮にすり替わった。
拍手が起きる中、道化師の側には、貴族邸の執事のような身なりの男が立っていた。こちらは真っ黒な仮面を付けている。
「紳士淑女、御子息御令嬢、ようこそ綿津見の島へ。」
遊伶の民の団長(興業主)と言った役回りか。朗々と挨拶を述べる。
「9999日ぶりの、我らの興行でございまする。まずは、お楽しみいただけましたか?」
高くなる拍手と歓声。団長は満足そうに観客を見渡して、ゆったりと一礼した。
「さて、前回の興行に参加されたかたも、もしやおいでになるかも知れませぬが、我らは二度、同じ興業は打ちませぬ。この鳥籠は今回のための特別仕立て。」
煽るような物言いをして、大げさに両手を広げる。
「まだ、ただ出てきただけ。びっくりしていただくのは、まだまだこれからですぞ!!」




