42 綿津見島 3
わっ、と歓声が上がった。
何事だろう、と飛びつくようにレンガを積んだ低い壁に寄って、人々は下の層を覗き込んだ。
「パレードだよ! パレードが上ってくるよ!」
声に誘われるように、カノンシェルとレオニーナは足を止めた。次の門まで、レオニーナを送って、カノンシェルは船着き場に引き返して、そこで彼女を待つことにした。カフェでそのまま別れるのは、せっかく誘ってくれたのに、余りに薄情だと思ったからだ。
「まあ、すごく華やかよ。」
少女の決断に気を悪くした様子もなく、むしろ気を遣ってくれる彼女はやはり大人だな、と思うと、気持ちを優先する自分では子どもすぎるかと自己嫌悪しながら、何だかトボトボと歩いてしまっていた。
彼女の声に誘われるように目線を上げて、くぎ付けになった。
大人が見上げるような人形を乗せた山車が次々に坂を上ってくる。陽気な音楽を奏でる楽隊と、華やかな踊り手たち。顔をぴったり覆う仮面と、一つとして同じものがないような様々な衣装を身に付けている。
虹色の長い髪、猫ような、あるいは犬のような耳、尻尾、腕のかわりに翼、または背中に生えた薄羽。かぼちゃのかたちの被り物。黒いマント。とんがり帽子。牙を剝き出しにした赤や青の仮面。頭に生えた一本か二本の角。その他、たくさんの、形容しきれない多様さで進んでくる。
追いかけてくる子どもに、作り立ての綿あめを配る移動屋台。大きな籠に詰め込んだ花をまき散らしながら進む、驢馬がひく荷馬車。
誘われるように、人々の足はパレードを追って動き出した。カノンシェルも例外ではなく、人波のひとりになって、そうしてレオニーナと離れてしまったことにも気づいていなかった。
パレードがたどり着いたのは、二の郭の広場だ。ブランコ、滑り台、大きなシーソー、トランポリン・・・などなど、極めつけは大きな傘の下を、たくさんの木馬がぐるぐる回っている。
「メリーゴーランドだ!」
カノンシェルは初めてみたのだが、三花陸では知られた遊具であるらしい。
「なんて、大きいんだ!!」
誰がが賞賛の叫びを上げた。
わっとまた歓声が上がり、空間の熱と圧が増した。
木馬たちが回る、トランポリンが人を跳ね上げ、ブランコが宙に舞う。
人が巡る。人が回る。人が揺れる。
だれもが酔ったような、上気した頬をしている。
楽団の奏でる音楽に合わせて、ダンスが始まった。ステップを踏む集団に巻き込まれ、抜け出そうとしたカノンシェルはくらり、と足元を崩した。横合いから伸びた手に引き寄せられて、事なきを得る。
「あ、ありがとうこざいます!」
虹色の髪を塔のように巻き上げた奇抜な髪形で、黒い仮面をつけている。他の遊伶の民のような、動物の耳・尻尾・角はなかったが、肘までまくり上げた両腕はそれぞれ黒と赤の鱗でびっしりと覆われていた。
軽く会釈をして、カノンシェルから手を放す。カラフルな巻貝みたいな男の後ろから、オレンジ色の仮面の、同じ色の猫耳としっぽの女が抱き着いて、そのまま腕を絡めた。あっちに行こう、と言っている、ようだ。彼らの声は----聞こえない。口は動いているが、どうしたわけか読唇もできなかった。彼ら同士でしか通じない言葉を、彼らにしか聞こえない音域で囀っているようだ。
両手が羽毛に包まれた、鳥の仮面をの女が、逆の腕にしがみついた。スリムな猫女と反対の、なかなかにメリハリのある肢体の鳥女はたぶん「わたしと行きましょう」的なことを言っている。二人の女はつん、と顔を背けあい、ぎゅっと男の腕に力を込める。
この巻貝男はそうとうにもてるらしい。
二人を連れて離れていく背を見ると見なく見送って、カノンシェルは自分の頭の奥が覚めていく感覚を感じていた。
なんで、こっち来てしまったのだろう。船着き場とは逆方向で、しかもレオニーナと離れたことにも気づかなかった。
まるで、自分の意志ではどうにもならない夢の中を歩いていたように・・・、ここにいる。
ふわふわした温かさは消えて、背筋を冷たいものが這う。
慎重に人波をくぐって、門に近い位置まで引き返した。途中、何度か首やかかとを伸ばしてレオニーナを探したが、やはり見つけることは叶わなかった。
落ち合う時間と場所は分かっているし、別行動になるつもりてはいたが、こうなってみると心細い。向こうも、突然はぐれてしまったから、困惑しているに違いない。
----為ってしまったものは仕方がない。
予定通り船着き場まで降りて待とう、謝罪はその時だと決めて再び動き出したカノンシェルの視界を大きなシャボン玉が過る。
ふわりふわり。無数に、シャボン玉が舞い上がる。
目の前に飛んできたつるりとした表面に、萎んだ顔の自分が写って溜息が出た。
パチンとシャボン玉が割れた。その向こうに、こちらを見つめるかのごとくに並んだ幾つもの仮面。狼のような猿のような豚のような熊のような。扮装を凝らした遊伶の民たち。
反射的に身を引いて、そのまま逆の方に走り出した。心細いせいなのか、なんだか不吉な影が膨らむ。半仮面----観光客だ----の人ごみの中に身を置いて、・・・どこからか鳴り出した鐘の音を聞いた。
正午の鐘だ。
近辺に鐘楼は見当たらないが、空の高い所から響いているから、もしかすると、もう一つ上の郭で鳴っているのだろうか。
二の鐘、三の鐘・・・、七の鐘、八の鐘・・・。
ぼんやりと聞き入っていた半仮面の人々は、仮面の遊伶の民が虚空に向かって両腕を差し伸べるのに気付いた。何の儀式だと、ざわめきを広げていく。
まるで何を手繰り寄せるような、その手の動きを見つめ----そうして、十二の、最後の鐘が鳴る。




