40 綿津見島 1
ひとのウワサはすごいというのが、カノンシェルのその朝一番の感想だ。
曙光と共にどこからかまずは透けた姿で浮かび上がり、光が強くなるごとに質量を増して、ずっとそこにあったごとき威容を誇る«綿津見島»に確かに呆気にとられた----が、びっくりしたのは、街を往く人々が、勝手に「女王」という言葉を好きにふくらませていることだ。
「女王のまつりに参加する」
女王とはだれか。そも、綿津見島に女王がいたのか。
まつりとは何か。だれがどこでなにをするのか。
流言飛語とはこのように成立するのか、と短い時間で体感した。
女王。
女王のまつり。
もしかして女王が選ばれるのではないか。
選んで、女王を讃えて。
まつりは盛り上がる。
今回の«綿津見島»は、そういう趣向なのではないか。
女王に選ばれると金貨が与えられる。
身の丈と同じくらいの。
宝石の冠が授与される。
好きなだけの宝飾品が受け取れる。
----一生暮らせるほどの富が得られる。
に、違いない。
「・・・、すごい人、」
新年の祭りでもないわね、と答えるレオニーナに手を引かれて、カノンシェルは島の大門をくぐった。
ともすれば流れに押し流されそうだが、カノンシェルはつながれていない手をぺたり、と手近な壁に押し当てた。ざらり、とした当たり前の感触である。ちなみに壁に触れて首を傾げているのは、少女だけではない。
「9999日も海底にあったとは思えない感じ・・・、」
素直な感想である。
「そうでしょうねぇ。」
揃いのつぱ広の帽子を被った二人は、仲の良い姉妹のようにみえることだろう。因みに、銀と深い青で彩った仮面も揃いだ。
「海底には沈んでないもの。」
さらり、と応じられて、少女は勢いよく振り向いた。
「そうなのですか?」
「潜って調査した記録が残っているわ。あたりと同じ、何の変哲もない海底。そも、このあたりの水深では、あの尖塔の半分は常に海上に出ていることになるし、丘の上の建物が船底にひっかかって大変。」
「・・・まあ、」
これから登っていく丘の、最も高い所に建つ尖塔を見上げ、
「やはりシンラか界魔の仕業ではありませんか?」
何事か突き止めねばならない、という警戒心が眉間に宿るが、
「そんなにぴりぴりしないで。楽しみなさいな」
と、レオニーナは相変わらずさらりとしている。どうにも嚙み合わないことに、少女は溜息をつきながら、人の流れに従って、坂をのぼっていく。
街は古い城塞都市の形容だ。船着き場から短い階段を上がって、城壁内に入る。円周に沿うような狭い緩やかな坂を進み、まず一つ目の門を越える。つぎは互い違いの階段をのぼって、二の門。また城壁に沿う坂を上がって、三の門。三の門の内側は、四方に突き出した物見の塔がある広場となっていた。ここから先が市街地になるようだ。広場の一隅にはこんこんと水を湧きたたせる泉があって、そこから水路がのびている。
指先ですくって口元に運んだレオニーナが、
「真水ね。」
と判じた。
物見の塔の入り口は閉ざされており人の気配もないが、青と白のタイルが壁面を飾って美しく煌めいて目を楽しませる。湾に船を出して見るのとは違う高みから望める仙桜の街並みも、また一見の価値がある。そして広場の石畳には、創世神話や伝説・歴史などの場面絵があちこちにはめこまれており、一つ一つ眺めたくなる精緻さだ。
「一つは荒れ狂う風に千切られ、一つは渦巻く昏き波間へと、三つはなすすべもなく寄り添った。」と謳う花陸創造の創世神話から始まった。
天空神のもと、十二人の神によって、さまざまな生き物の形が作られ、花や樹木、数多くの植物が生み出されて、世界が調えられる。
神の遣いであるシンラたちは、背に生えた翼を広げて空を飛ぶ姿で描かれる。
《幻惑の洞窟》《紫苑の魔眼鏡》《双異翼の柱》。
《界落》と、変じた奇怪な生物に立ち向かう騎士たち。
竜王と天に昇る船。
二人も絵を辿りながら、広場を進んでいった。が、後半の絵は、場所柄、三花陸の歴史にまつわるものばかりであったから、カノンシェルにはよく分からなかったし、レオニーナもさほど興味がないようで、足を止めることがなくなり、畢竟、速度も上がって、もう気持ちは広場を出たつもりになっていた。
しかし、縫い留められるように、足が止まった。
広場のきわ近く、隣り合わせの2枚の絵。最も大きな絵は花陸誕生で、横が十人の大人が両手を広げたサイズだが、これはその1/10くらいでだ。
左の絵は、崩れる《双異翼の柱》と、帆船。帆船には男が乗っていて、前方をしっかり見据えている。
「---いい度胸だわ。」
冷ややかに呟いた彼女の腕に、少女が耐えきれないというようにしがみついてきた。震えながら、右の絵を凝視している。右に視線を移して、レオニーナもぎょっと目を瞠った。
ひとりの男と、宙に浮かぶ四本の剣。ご丁寧に、四色に色分けされている。
----当人を入れた四人の旅の仲間と、少女とその父だけが知る秘密、としか思えない絵だった。




