幕間 語られぬもの
軍師ヴォルゼ・ハーク。東ラジェの傭兵エヴィ・マアユ。エアルヴィーン・朱,あるいはエアルヴィーン・朱玄。青年は時々に様々な呼び名で記録されている。
(貴)綺族院への出生届は現存しており,アルセゼール・朱の二子として届が残されている。『凪原』の侵攻時に死んだ先代の朱公が,異母兄となる。母の名前と血統は記されていない。ちなみに朱家はその二代前も母親は名前しか記されていない。青年は平民で側妃の母を持ち,青年の父の祖母は正妃だが平民だということだ。
何にせよ,朱剣を継ぐに相応だ。
問題は玄剣である。
玄公家は『凪原』侵攻時以前に直系の断絶により,空位となった。最後の公爵は後継を置かず,王家にお任せすると遺した。遠縁を手繰れば見つかろうに・・・と訝る者も多かった。
系図などの「公的」な「記録」によれば最後の玄公,クレースハークは長命であった。先代の長子として生まれ,弟が二人いた。記された生年月日から,双子の兄だったことが分かる。双子の弟は十代で没年が記され,やや年の離れたいま一人の弟も,三代前の朱公が名を成した戦役に従軍し,戦死している。自身は妃との間に4人の子供がいた。
しかし末娘は二十歳を迎えず早逝し,息子の二人を流行り病で,一人を海難の事故で亡くした。次々に近親を亡くした孤独な老公を都人は気の毒がり,まるで呪われているような悲劇と囀った。呪われている,と言われないのは,玄公家も老公自身も,綺族としては穏やかで慎ましい生活・人柄で周知されていた賜物だろう。代々権勢を誇り,女性関係も賑々しかった朱家ならば,きっと断言されていたに違いない。
さて。
ここから記すことに如何なる裏付け資料はない。当時,エアルヴィーンが語ったということを同席した複数人がそれぞれに書き残したものからまとめたものである。
玄家は文人肌で,学者や文官に任官するものが多い家系だったが,その中で変わり種だったのがクレイスハークの双子の弟だった。外見こそ、一さやの豆のようだったが,幼いころから性質は真逆だった。クレイスマーユは,活発で人好きのする人柄だったが,【真白き林檎の花の都】を卒業した十代後半から家出を繰り返していた。
家族仲が悪いとか,賭け事にハマったとか,悪い輩とつるんで悪所に入り浸っているとか,身を持ち崩していったわけではなく,最高位の家柄に生まれながら,綺族の生活に馴染まなかった。日に焼け,恐らく労働による筋肉なのだろう,もとは同じ骨格だったのに上腕や首回りがすっかり逞しくなり,戻ってくるたびに綺族の子息に見えなくなっていく。
雰囲気がかけ離れた二人を,知らなければ双子と見る者はいないだろう,と兄が感じた時,弟はさらりと,もう戻らないと告げたという。
妃を娶り,父から家督を継いだ時,兄は弟が家を去った日を没年として届け、受理された。
もうずっと弟公子の姿を見たものはいなかったから,都の人々は長く患っていたのだろうとありきたりの短い噂話をして忘れていった。
クレイスハークの日々は穏やかに淡々と過ぎていった。領地はうまく治まり,家庭も大きな問題を起こすことなく。だから,この時期の玄海家関係者の「記録」は皆無に等しい。二十歳の末娘が病没した「記録」までは。
その後,櫛の歯が抜けるように,彼の近親が欠けていったのは前述の通りである。
では,この話と朱家に生まれ付いたエアルヴィーンがどう関わるのか。
青年の母は,王都郊外の大農園の娘と爵位はないが,辿れば朱家に繋がる騎士との間に生まれた。
平民の出ながら,朱家の側室に入れたのはこの父の血筋のせいだろう。問題は母の母,すなわち祖母と,彼女を娶った祖父である。
祖母の父は,クレイスハークであった。
祖父の父は,クレイスマーユであった。
クレイスハークの「死んだ末娘」が,「死んだクレイスマーユ」の息子に嫁いだのだ。既にクレイスマーユ――マアユと名乗っていたようだ――は故人であり,娘が農園の跡取り息子と結婚すると言い出した時,娘を死んだことにして嫁ぐのを許したのは,弟の忘れ形見だったことは、きっと大きな理由だ。
繰り返すが,いかなる記録も残っていない「系図」だ
ただ,青年が玄剣を継承した――その事実が「証拠」だろうか。
薬師姫と海賊姫は納得顔で頷いて,一言申したという。
出奔と身元詐称はお家芸だった,と。
オリヴェイラ・ワゼン著「『遠海』伝 四方公爵家の末裔」より




