39 問われるもの 4
窓もなく閉めきられているというのに,どこから舞い込んだ風なのか,ふうわりと青年の髪が揺れた。
窓のない広間なのに,光が差し込むような筋が彼にかかる。
人々はその違和に気づいて、どこから,とそれぞれ視線をめぐらし,玉座の背後の四つのくぼみ――聖印と言われる――にたどりつく。
北の位置のくぼみを、玄印。東を蒼印、南が朱印、西は白印。つまり、四方公家を表し、王家を守護するというしるし、だが、大人の拳大のただのくぼみだ。そのはずだ。
しかし、いま、そこから光がもれていて、その光はふわりふわりと光は青年の上で揺れている。そして、光が撫でていくたびに、青年の髪は栗色から別の色に変わっていく。
「水いらねぇじゃん」と隣の傭兵が呆然と呟いたのが聞こえたが,そんなことを言っている場合かという言葉も出てこない。
淡い金に,深紅の房が幾筋も散る特徴的な髪。
古い記憶を揺らされて,元帥と同年代以上の者たちは,あちらもこちらも食い入るように青年の横顔を見つめ始める。
青年は肩留を外した。儀典用の薄地のマントがさらりと彼の体を滑って床に落ちた。それはまるで抜け殻のように見えた。
召喚を軽んじている,とレッテルを貼りたい一派が画策していたが,青年は正式な儀典服で現れた。「どこから」と舌打ちして,マントを外したら当て布がありそうだと嘲笑っていた。
遠目にも最上と分かる艶やかな漆黒だ。ちょうどマントが隠す左胸から背面にかけて銀糸の刺繍が覆っていた。船と木と四羽の鳥。国章である。サイズと位置は異なるが,王の上着と大公女のドレスにも同じ意匠がある。王は操舵輪が金,いま立場が正式ではなく一般王族の大公女はすべてが銀だが,皇太子と定められれば木に金糸が使われるようになる。そして四方公爵家は,それぞれの鳥を自家の色で縫い取る。南の位置の鳥が朱い。そして左胸にも朱の鳥がいる。それは当主の意味だ。
――・・・誰であるというのか。
東ラジェに住まう,商隊の護衛を専門とする傭兵。戦功で成り上がった平民の,思い上がった振る舞いを叩いて,あわよくば追い落とす。台頭する天旋関係者の影響を削ぐ。
査問,だったはずなのだ。
考えも及ばぬような,恐ろしく重大な何かが起ころうとしている。最初とはまた別の,空恐ろしいような,のしかかるような,息を詰めさせる緊張が広間を満たした。
――神気だと,後から知ることになる。
「亖剣の間」の玉座は低く,階段五段ほどの高さに設えられている。青ざめつつ,じっと成り行き見つめている大公女に、青年がわずかに口角を上げてみせる。それだけが、いつも通りで。
何かに誘われるように、国王が古めかしく仰々しい,石づくりの王座から立ち上がった。
青年は一歩前に踏み出し,国王は段を下りる。
一段を残して立ち止まった王へ青年は再び立礼を取った。
そして。
唇から流れ出るのに,歌うような響きの古語。
「《創世に一剣あり。焔を走らせ,雷光を閃かせ,大地を鳴らし,水を舞わせる。創国に四振りあり。我らの護りなり。我らは柱なり。我らは鍵なり。我は,》」
左掌を右上腕から滑らせる。左と右の掌が重なった時,その間に赫い光が揺らめいた。
「《我は朱なり。》」
ひたりと仰ぎ見る位置の王の瞳を見据えた青年の右掌の中から,眩い光を放ちながら抜身の太刀が滑り出る。
現世のものでない証に,彼が国王に向けた柄から手を放しても,そこに浮いている。
朱剣。
四方公爵の一,朱公の血族に連なる者だったのか・・・と知識があるものは系図を思い浮かべて該当者を連ねようとしたのだが,残念ながらそんな余裕はだれも持てはしなかった。
青年は右掌を左上腕から滑らせる。また、右と左の掌が重なった時,その間に黒曜の光が揺らめいた。
「《我は玄なり。》」
青年の右掌の中から,眩い光を放ちながら抜身の太刀が滑り出る。現世のものでない証に,彼が国王に向けた柄から手を放しても,そこに浮いている。
真っ白になった。
と、後々だれもが述べた。
びっくり箱を開けたように。
そう歌う吟遊詩人もいるが,そのフレーズを聴いた立ち会った者は一様に首をひねる。
箱がある。
何が入っているのか。わくわくする。どきどきする。素敵な贈り物でも,びっくり人形でも,箱に入っているものである。箱のサイズに合わない,そもそも箱に入るものではない,いやそもそも箱ではなかった・・・言葉を尽くしても,適切な言葉で表せないのだ。
思考の外側,というべきか。
「朱と玄の生命と,エアルヴィ―ンの忠誠,そして我が家からの守護を,『遠海』と国王陛下に。どうぞお受け取り下さい。」
もう、随分と長いこと、それは形式となっていた。
最後の継承者は、三代前の朱公で。
あとはずっと、剣がそこにある、ように振る舞う公位継承の形式だけを見て、きた。
「…なんと、----なんと、神々しい。」
シュレザーン元帥の口から、感極まった声が落ちる。
太刀を浮かべたまま,両手を胸に交差させた青年が腰を折る。波打つ胸を何とか抑えて,
「許す」
と、国王は声を絞り出した。
青年は刹那、面を上げ、国王と目を合わせた。何が瞳に浮かんだのか、知るのは国王だけだ。
また深い礼をした。
二振りは国王の両脇をゆっくりすり抜けて,玉座のくぼみのうち,北と南のしるしに吸い込まれていった。
瞬間,赫と黒曜の煌めきが「亖剣の間」を満たした。だれもが顎を落として立ち尽くすしか,もはや術はない。
ややして,仕掛けた人物が冷静に両手を打ち鳴らした音で光は消えたが,人々は彫像のままだった。
青年は困ったように首を傾け,対峙していた国王は大きく息を吐き出した。勢いよく胸倉を引っ掴むようにして引き寄せた。いつもの彼らのやりとりのままに。それが人々を彫像の呪縛から解き放つ。
「とっとと言え!」
ギュッと抱き込むような抱擁に目を瞠り,王の背を軽く叩く。
広間にはすすり泣きと叫び声が入り混じる。こぶしを突き上げる者、腰を抜かす者。あとはただ興奮のるつぼであった。




