38 問われるもの 3
「――つきましては陛下,」
もう一度頭を下げてから,青年は立ち上がった。
「これから先を語るのに《聖約の破棄をお許し願いたい。》」
流暢な古聖語と――何か・・古い絵巻を切り取ったような立礼。
「《聖約》!?」
アヴァロン留学時代(半年)で止まっている王はあまり得意ではない。聞くのはともかく,話すのは片言レベルだ。
青年が流暢に古聖語を操るのは天旋では知られた事実だが,ラジェの傭兵あがりとしか見なかった都貴族たちはぎょっと目を向いている。綺族でもない,下位貴族ではそもそも青年と国王の会話を聞き取る学歴を持ち得ない。それは天旋側も同様で,各陣営内の各所で慌ただしく通訳が行われる。
「《国王陛下の名へ聖約いたしました》」
この「国王」は個人ではなく,『遠海』王座に在る者という意味だ。
「何と《聖約》したんだ?」
「《一つ,人目に晒さぬこと,二つ,出自を語らないこと,三つ,いずれの国とも関わりを持たぬこと,四つ,》」
わずかに逡巡が入った。
「《・・・・血筋を残さぬこと。》」
「子供になんてことを強いるの!」
左の真ん中あたりから悲鳴のように、年配の女性の声が上がった。
「いえ,俺には結局甘い父親の顔しか向けなかったと思います。『遠海』に忠誠を誓うのなら,施術して機能を失わせるべきでしょう。そもそもをいえば出奔を認めるのが間違っていたと思います。十三なんてどう変節するか知れたものじゃないし,他国に身バレしたら,監禁の上,た,・・・?えーと・・・無理にも配偶者をあてがわれて,・・・次代が他国で生まれる危機管理について,いまなら問いただしたいところです。」
その叫びに対して、焦ったように言い訳、というか、だれかを庇うような言葉が紡がれる。
「俺は、大切に育てられた、と思います。」
「…そう、」
あれはだれだ、と姿がみえぬ婦人に、あちらがざわめく。
「お前を監禁・・・?」
何故か不思議そうな国王に,
「体は損なわずに人間の意志を破壊するクスリはあまたありますから。盾の取られ方によっては黙って飲みもしましたね,きっと。」
家族と離れて。けれど,その十年を共に過ごした大事な相手がいたということなのだろう。
「・・・お前をここに立たせている決断にわたしは感謝する。お前が言うところの危機管理を徹底されていたら,わたしたちはいまここにいない。」
「だから,それが買い被りです。俺の役割をする者はきっと現れたと思います。」
「わたしはそれがお前で良かったと思っている。」
きっぱりと言って,国王は深い声で続けた。
「《誓約の破棄を,『遠海』の王統を継ぐライヴァ-トの名において認める。》すべてをお前に返す。」
「《畏まりてお受けいたします。》」
青年はまた膝をつき,祈るように両手を組み合わせ深く首を垂れた。
「では――改めまして,この査問はじめていただきましょう。」
どうぞ、と青年は微笑んだ。茶番を,と聞こえたような気がすると傭兵はのちに語った。
話が勝手に転がって、すっかり忘れられたようになっていた審判人らが,夢から覚めたような顔で定位置に付いた。
まずは右手の壁沿いに,ものものしく高く組まれた台上にあった「証拠品」が正面には運ばれてきた。
「あなたが朱邸から持ち出した剣はこちらで間違いないでしょうか。」
青年は鞘と身に分けられ,双方の両面を交互にみせてくるのを一瞥して軽く頷いた。
「ええ。」
「お手に取られなくても大丈夫ですかな?」
「贈られて,常用していたものを見間違ったりはしません。」
「----は?」
「それ,俺のです。」
あっさりとした口調だが、聞かされた方は咀嚼が追い付かない。
「八歳の誕生日に父から贈られたものでした。」
最初の帯刀が贈られるのは八歳と決まっている。いずれ体に合わなくなるが,守り刀として生涯そばに置かれることが多い。
「・・ちょっと,ちょっと,お待ちください。」
審判人は明らかに混乱した顔を互いに見合わせながら,早口に言う。
「それはその,」
「懐かしくて,つい手が出て,お許しもあったので・・でも,エヴィ・マアユが持ち出してよいものではないことを,うっかりしました。」
「あな、たの? しかし、これは朱邸にあった、のですよね?」
「どういう経緯かは分かりかねます。置いて出たので、その後の行方については関知していません。」
適当なことを、とあちらから声が上がるのを、お静かに、と審判人が制する。
「とても大事にしていましたよ。」
さきほどから聞こえていた老齢の女性の声だ。僅かに潤んでいる。
「あの子が亡くなる直前まで私室に飾っていました。遺言で、あたくしが預かりました。あなたに返せて、あの子も満足でしょう。」
青年は声の方に会釈し,微笑んだ。あちらの人々は人の肩越しに必死に視線を伸ばして,その婦人がだれなのか見極めようとする。前方の,視認できたあたりから,さざ波が広がるように「前の,いや前の前の,いやいや,前の前の前の」と。
----軍人として知られ,名将と国史に残る三代前の朱公。彼がその夫人を娶るに至る経緯は,武勲とともに広く巷間に物語られるものだ。
「そちらも、お控えを。」
と、奇妙な成り行きになってきた、と審判人の額にじわりと人いきれのせいではない汗が浮かぶ。
「あなたのだと証明はできますか?」
「鞘は母の大叔父が贈ってくれました。どうしても、と引かなかったようで。」
母方の大叔父? だれだ。青年の出自を探り当てていた国王や元帥も、予想外の言葉が出てきて?を散らして、余裕のない審判人の一瞥をくらう。
「子どもの幸福な未来を祈る送り主の名を刀身に刻むのが慣わし。ただ、前述の理由で、刀身の他に鞘にも名が刻まれています。」
審判人は、急いでふたつを確認する。
「確認したからなんだというんだ! 朱邸から強奪していたのだから、そんなものはちょっと見れば分かることだ!」
犯罪ランクを勝手に上げて、子爵が叫んだ。
怒号のような、さまざまな声が交錯する中,青年はそっと目を伏せた。審判人が震える声で、その名を読み上げる。
「刀身には、アルセゼール、」
「----鞘にはクレイスハーク。」
だれだ、と思いめぐらす暇は与えられなかった。
青年が目を上げる。
「誰のものかを証明するより、俺の身の証が早いでしょうな。」
『遠海』に縁のないリドラッドには、何が取り沙汰されているか全く分からないから、純粋に青年の表情だけを観察できた。
「----うン、悪い顔だ。」
百聞は一見に如かず、と仕掛ける顔をしていた。




