36 問われるもの 1
『遠海』の王城には複数の謁見の間があるが,最も格式が高いのは「亖剣の間」だ。
国王の即位式と四公の継承式をはじめとする国家にとって最重要と位置づけられる「儀式」が執り行われる。そこが「査問」の場所に選ばれたのは,一件がそれほど重要視されているから・・・ではなく,他の謁見の間が人を入れられる状態に戻せていないからだ。傷だらけの王城の中で,「亖剣の間」だけがなぜか全くの無傷で残されていた。
幾度の修復の記録はあるが,王城創建時と変わらぬ「亖剣の間」を初めて目にする感想は「遺跡」だ。「シンラの門」等に通じる装飾であり,古神殿のような雰囲気を湛える。ただ当時の城の規模の「大広間」では100人程度が相応なところに、現在は倍以上の人間がひしめき合っているから,荘厳さを感じるどころではない。
主役一行が通る時だけ「道」はでき,あっという間に閉じて,ホッと息をつくあからさまな気配に「詰め込みすぎだ」と軍人が苦々しく呟いた。過剰な集団がもたらす(にもたらされる)不測の事態がいくつも過るのだろう。
玉座周辺はさすがに空間が確保されていて,また主のいない玉座に一礼した青年は黙したまま膝を折った。護衛の二人は自分たちの側の壁際へと向かう。
上手と下手に見事に「陣営」は分かたれている。
単純な「くくり」をするなら,下手は「天旋軍」の関係者で,上手は王都の文官貴族だ。綺族ぶっているが,戦前ならそう名乗ることはできないかった程度の級だ。
こちらの中心であるシュレザーン元帥が「ご苦労だった。」と労いの言葉の後,唇だけで風向きを問うてきた。
信じます,とやはり声なく唇が紡いだ時,国王の来臨が告げられた。戦前のような大仰な先ぶれはない。限られた空間の中、何とか深々と頭を下げた一同は,「面を上げよ」という玉座からの一声に従い,そして抑え切れぬざわめきが場を満たした。
王座には国王,王妃のための隣席は当然空席だが,一段下がった王太子の席に小さな姿を認めたためだ。
『夏海』から帰れないままだったサクレ公女はいったいいつ帰城したのだろう。自分だけが知らないのか、と周囲を見渡し、同じように周囲を窺う目に気づいて、ほっとする。そんな人々からの視線に眉を寄せたが,公女は意志の強さを瞳に閃かせて,いっそ優雅に会釈してみせた。
国王と公女に続いて入場してきた薬師姫と海賊姫がスッとこちら側に入ってきた。二人とも異国人だが,「遠海」ひいてはシャイデ救世の英雄四人のうち,3人がこちら方だというのは心強い。・・・問題は,軍師だ。救われる気はあるのかと,空気はヤキモキしている。
「・・・立つが良い。」
救いたい残りの一人は国王である親友であり戦友であり,軍師と頼んできた相手を裁かねばならぬ苦悩を覆い隠した平静な声だ。
青年は深く首を垂れ,ゆっくりと立ち上がった。そしてまた一礼。
ライヴァート王子を旗頭にした自主抵抗組織であった天旋軍で「軍師」と呼んできたが,ライヴァート〈次期〉国王が統べる『遠海』国軍にはそんな官位はない。官位のないところで,天旋軍と同じように青年が仕切ったことが越権だと「槍玉」にあがってこの始末だ。
さらに,「収賄」と「違法接収」の疑いありと,罪を被せてきた。
『凪原』に阿っていた商人が,掌を返してすり寄り,「お納めを」と差し出してきたものをどうしたか,と問われれば,受け取ったのは事実だ。とはいえ、個人の懐ではなく,天旋軍の運営費として消費されたのだが,それを証明する帳簿の提出を求められても,あるわけがない。
事務官僚が同行する正規軍ではなく、軍事下という非常事態を加味して、国王も同罪であるし、始末書と今後の報酬返上くらいで手打ちにもっていける、とリセリオンの見解である。
しかし、今回の「査問会」開催の主眼は,青年が「視察」に行った朱海公の邸宅から剣を持ち帰ったこと----真っ向から、王命に逆らったそれである。
問題の舞台----朱邸。
四方公爵の血縁者は狩り尽くされて,他の邸は火をかけられて廃墟になっているのだが,朱邸は少なくとも外見は戦前のかたちを残し、唯一住人が残っていた。三代前の当主夫人が,敷地内の小館に健在だと報告があった。年の上下なく在都中の綺族は狩られたのだが,この夫人が残されたのは彼女が平民の出身であったゆえだ。
これから邸宅に立ち入り調査をさせていただきたい,と使節らしく畏まって小館のホールに立った青年を迎えたのは,おそらく夫人ほどに高齢の侍女だった。一族を殲滅された高齢の夫人が元気に出てくるとはもとから思ってはいない。丁重なお悔やみとお見舞いの言葉をお伝えくださいと青年が述べた。ピロティに出て,侍女が妙に目を瞬かせていたことを,「あなたの髪色が眩しかったようですね。」と,同行者----ヒースクリフ・イノカは、つい褒めたたえてしまったことを覚えている。
ちなみに、この日は黄色と紫に染め分けていた。非凡な青年に、二つとない髪色はよく似合っていた。高官として迎えられる(だろう)格式上,そろそろやめてほしいと眉を寄せるのはお為ごかしなだけで、趣味も丸ごと受け入れてこそだろう。
「なんでこんな莫迦みたいに広いんだ。」
青年のぼやきは部隊共通のものだ。手入れされず,うっそうと茂った庭園の緑の向こう,本館の屋根はどこまでも続いているように見える,小館もこれがひとつではない。効率の良い「公邸内の探索」のために,二十人の小隊は二人組に編成され,区画が割り振られた。彼には上官らしくこのあたりで待機してもらう予定であった。ところが、ちょっと目を話したすきに、青年は姿を消したのだ。
意識は傭兵のまま「なんでも自分でしたがる」とよく分かっていたのに、目を離したことを心底後悔している。
「莫迦みたいに広い朱邸」だから,だれも青年と行き会うこともなく,陽も傾きかけたころ,漸く青年は戻ってきた。冷たい目で「お疲れさまでした」と言ったところ,「・・・迷った。」とげっそりと返ってきた。野戦では,天空の神のように戦場を支配する青年は,建物の中に入ると笑えるくらいに方向感覚を持たないことを、一人、目の当たりにして、天にも昇る心地であった。
自分の不得手と勝手を棚に上げ,ぶちぶちと館の広さにこだわって愚痴っているのには、つい笑ってしまった。ほのぼのした空気が漂って,それもいけなかった。思えば,往路には手にしていなかった細長い袋を手にしていたのに。
ぐ、と拳を固めて、ヒースクリフは成り行きを見守る---しかない。
自分のせいだ。元帥は首を横に振ったけれど。浮かれていた----初めて、青年と二人きりの(部下は入らない)任務に就けたことで。
古参も新規も、任用に隔てを置かない人だと言われている。だが、やはり『旅の仲間』は特別で、次いで傭兵仲間と参陣時期が篩になって、王都直前で入ったヒースクリフが、篩の目をかいくぐって御傍に行くのは、何より運が必要だから、天の配剤ともいうべき今回だった。のに、結局、レイドリックとリドラッドが、一晩御傍にいたらしい。御自分の失敗に、気弱な顔などもされたのだろうか。見逃した自分も、一緒に籠めてくれたら良かったのに。彼らは、なんとお慰めしたのだろう。査問に向けて、どう励ましたのだろう。
羨ましい。ヒースクリフのむっつりした表情を、周囲は悔恨のそれだと思って、痛ましそうに見やっている。




