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35 扉をあけて

 姫君と青年は一時寝室に戻り、二人に戻ったところで、リドラッドが扉を開ける。

「おはようございます。」

「おはよう。」

 夜明け時というのに、花のような、という形容がぴったりの麗しい笑みを浮かべて彼女は立っていた。大きなバスケットを持って、大きなスカーフで髪を覆った召使い姿の少女を一人従えている。

 戸口、すん、と鼻をうごめかせ、

「…空気が濁っているわ。窓を開けて換気をなさい。」

と宣った。レイドリックが観音開きになっている片側を開け放つと、朝の冷えた空気が流れ込んできた。満足そうに頷き、次は夕食の皿や椀、空のボトルなどが雑然と積み上がっているワゴンを一瞥する。あなた、と衛士の一人に運び出すように指示をする。不満を示した衛士に、

「だって、この部屋から彼らは出てはだめなんでしょう?」

 不承不承、衛士はワゴンを押していき、残ったいま一人の衛士が、

「扉は開けたまま、五分で。」

と、高圧的に念を押した。

「----エヴィは?」

「まだ寝ています。」

「まあ。わたくしは、ご要望に応えるべく、夜も開けぬ時間から厨房にいたというのに、」

 不満気に唇を尖らせて、

「起こしてらっしゃい。」

と、召使に命じた。

 思わず止めようとした男二人を目で制する。

「あなたたちは机を拭いて、バスケットの中身を出して並べなさい。五分しかないそうだから、急いで。」

 連絡文書や()()()の持ち込みを警戒しているから、バスケットごと置いていくわけにはいかないとのことだ。おかしなもの(または何かを隠そうとしていないか)がないか、衛士が戸口から凝視している。

 慌ただしく、パンや食材を包んでいた布や紙を全部外して皿に乗せる。果汁が入ったガラスボトルも取り出した。男ふたりが準備する中、彼女はまったく手伝わない。海の彼方、別の花陸からやってきた彼女は、海賊の娘を名乗るが、伯爵の娘や大公家の姫より、ずっとお嬢様然としている。

「…おはよう、」

と、寝起き感を出しながら青年が登場した。

「朝早く悪かったな。」

「ええ、本当に。ご要望の特製サンドよ。味わってお食べなさいな。」

 青年の後ろから出てきた召使は、静かにレオニーナの側に戻っていった。

「その前に、顔を洗って、髪も調えなさいな。まさか、()()()()出席する、なんてあり得ないから。」

「善処しよう。」

 どうだか、という様に肩を竦めて、

「----戻るわよ、」

 来た時より、少しだけ深くスカーフを被った召使を連れて、彼女は去っていった。


 海賊姫は大公女を「召使」に仕立てると堂々と退室していった。お仕着せの白い頭巾(スカーフ)をやや目深に被って,空になった籠を抱えた姿は,入ってきた「侍女」そのものだ。この部屋を監視している「目」も,「夏野」にいる大公女が,扉も窓も開けずに室内(ここ)に「帰国」しているとは思うまい。思ったら,おかしい。

 扉が閉まると「召使」が扉の向こうから姿を現した。着用しているのは、カノンシェルが来ていた乗馬服だ。そして、手に包みを抱えていた。どうやら、お仕着せのスカートに仕込んで持ち込んだらしいかった。

 包みを受け取り、中を確認した青年はしばらく険しい顔をしていた。着替えてくると一言を残し、洗面所へと消えた。

 部屋の隅に「侍女」は黙って佇んでいたが,とりあえず出すだけ出した感じの「朝食」を、ふたりが食卓に並べ直して,ふと振り返った時には姿はなかった。洗面所に続く扉が細く開いていた。最前線の傭兵と軍人であるふたりに気配を感じさせないのは,さすが海賊姫の手下と感心すべきか。二人は顔を見合わせ,扉越しに青年を呼んだ。

「メシ並べたンで,」

 水音がする。洗顔、いや洗髪か。

「――ああ,さきに食べてていいぞ。」

と言われて、がっつく程空腹なほけではない。食卓について待つことにした。何より青年が無事に戻って、気持ちが落ち着いたから、今の待ちは苦にならない。

「待たせた。」

 片手に持った上着とマントは椅子の背に無造作にかけて,青年は座った。青年の後ろから、従うように出てきた「侍女」----いや、()()が果汁をカップに注ぎ分ける。そういえば,昨日の夕食で飲んだ水が最後か、と呟いた青年はほとんど一気に飲み干した。小ぶりのパンにさまざまな具材を挟んだものを真剣な顔で見比べて,トマトとオイル付けの小魚を挟んだものを取り上げた。

「ちょっと変わったスパイスを使ってるな。北の花陸(ノーデ)の味付けか?」

「海皇の出自は様々ですので,自然と混じりあって独自の味付けになっているようです。姫頭領付きが準備しましたので、姫頭領がお好みの味付けではあると思います。」

「ああ,なんか納得だ。辛甘っていうのか?彼女が食事当番の時,こっちの調味利用では似た感じにならないと言いながら,いろいろぶちこんで・・・まあ,まれに成功もあったな。」

 遠い目をしながら,二つ目にチーズと炙ったハムのパンを取った。

「姫頭領が・・・調理,ですか?」

 お茶を入れながら、従者は耳を疑うような顔つきだ。

 この朝食はレオニーナ特製と謳っているが、彼女は立ち会っただけだ。

「俺らの中でいちばんのお姫様育ちだからな。いやあ,武勇伝がすごいぞ。今度聞かせてやろう。あ,査問会の結果次第では,お誘いに乗らせていただくことになるから,沈黙は金か?」

 台詞の最後にとんでもない一言に,呆然としていたふたりは我に返った。

「出るンすね!?」

「せっかく着替えたしな。」

「髪も切られましたね。」

「彼がいて助かったよ。ふざけるな!?と怒りを煽りそうな髪型になるところだった。」

「やはり少年,でしたか。」

 無言で一礼した少年を、リトラッドがやや残念そうに見やる。

「侍女姿も可愛い感じでよかったのに。」

「海皇という組織はなかなか奥深いですな。彼らがシャイ(こちら)デに進出して来るというのなら,我らは彼らについてよく学ぶ必要があるでしょう。ですが,あなた自らそれを調べに()()()()様な事態は想定しておりません。負けるつもりでは困ります。」

「いや、調べにじゃなく、就職(参加)・・・、」

「言語道断ですな。」

 ばっさりと切って、それから軍人は改めて青年に目を据えた。

「髪を切ったのは,清潔で、爽やかに見えてよろしい。あなたを知らず,傭兵だからと無頼者のように思い込んで尻馬にのっている連中もいますから。髪の色も,だいぶ自然な色になりましたが,()()細工はしない方が・・・」

「地だろ,それ。」

 傭兵が口を挟んだ。

「むかし,互いに細ッせえ餓鬼だった頃は,それだったよな? いつの間にか,カメレオンカラーが定番になってたけど。」

 金の髪に,幾筋もの真紅の房が混じって、華やかな雰囲気が醸されている。まだらな髪は珍しくはないが,絶妙に散っていて実に華やかだ。

「――よく覚えてるな,」

 嫌そうな顔で,だからだよ,と続けた。

 地・・・と口の中で転がすように呟いて,軍人は目を伏せた。目指した記憶に行き当たったのか,得心の色が頬に上った。喜色である。

「元帥のお屋敷で絵姿を拝見したことがございました。」

「―――飾って,そうだな。」

「たいへん尊敬なさっておいでですから。」

「あの年代以上が鬼門かな。理由は,ま,そういうカンジだ。」

「もう少しおとなしい色目で良かったのではありませんか?」

「それだと染める理由付けが難しくてね。派手に染め替えるのが趣味だと突っぱねれば,堅い義父どのも渋々納得する。」

 三つ目。今度は厚めに切って香ばしく焼いた鶏肉とレタスを多めに挟んだパンだ。

「派手な髪色に目がいけば,顔の造作の記憶は曖昧になる。一石二鳥だ。」

「なるほど。」

「おい,なるほど,じゃねぇッて。何の話だよ!?」

 二人が交わす「何か」を前提とした会話は,傭兵を蚊帳の外に置く。ムッと軍人を睨んだ。

「――少し早いな。」

 ちら,と扉を見やって薄く笑った青年はパンを果汁で流し込み,立ち上がった。同時に,扉がノックされた。

「ヴォルゼ・ハークどの,お迎えに上がりました。お出ましいただきましょう。」

 言葉は丁寧だが,端端から尊大な響きを感じたのは全員で,傭兵は眉間の皺はさらに深くして,腰ぎんちゃくめ,と低く罵った。座ったまま上着に袖を通した青年の前に従者が屈みこんでタイを複雑な--正式な型に-素早く編んでいく。

「閣下はいま支度中でいらっしゃいます。少々お待ちを。」

 扉に寄って軍人は丁寧に言葉を返したが,

「召喚の時間は迫っている。ただちに扉を開け,同道されたし。」

「確かにここは王城外縁部で,亖の間は遠いが遅刻を案じられるようなギリギリの刻限ではない。」

 新王の腹心であり,国土奪還の功労者の居室を,厨房棟の二階に割り当てる意地の悪さをあてこすって応じる。

「扉を開けないと申されるのなら,逃亡の可能性があると見なし,強制的に身柄を拘束させていただきますぞ!」

「開けないなど言っておらぬ。衆人環視の前に整わぬ格好で出て恥をかけとは,まさか言われまい!?」

「昨夕から部屋で謹慎を命じられていた身が,土壇場で準備が整っていないと言い出されるとは,まさかに思わぬことで!」

 遜ってしかるべきの相手にこうも高圧的に出るところから,()()()では()()勝利が確定のようだ。

 つい一刻前まで留守だったわけなので,痛いところなのだが,将軍を名乗った軍人は揺らぎのない声で返す。

「時間はまだ十分にある。何を慌てる必要がある。」

「――もしや,開けられぬ理由があるのではありますまいな。」

 鼻で笑いたいところだが、あえて真面目な声で応じる。

「警備体制に不備があると問題提起されるのか。」

 昨日,「謹慎」を命じられて衛兵に付き添われて部屋に戻ってきた部屋の主が入室した後,衛士という名の監視が扉の両脇に立ち,中庭の「巡回」警備も,篝火まで焚いて,侵入防止のため格子がはめられた窓を一点凝視だったのだ。自主的な護衛として入室した(ねじ込んだ)配下(自分たち)ともども一歩も出ていない報告も上がっているはずだ(上がっていなければ職務怠慢である)。更には,朝ごはんの差入れに訪れた海賊姫の籠の中まで調べるくらいに,蟻のはい出る隙も与えない!アピールをしておいて何をいわんや、だ。

「いま出る。」

 舌戦を制したのは渦中の人の一言だ。戦陣暮らしですっかり鍛えられた声は,特に張った訳ではないが,扉越しでも十分に響いただろう。表は一気に静まった。

 従者が差し出した小さな壺を頭上でひっくり返し,くしゃりくしゃりと髪を指でかき回す。

「・・・短いと楽だな。」

 指先を払い,少年には寝室に下がっているように言う。彼らが部屋を出れば警備も薄くなる。その後、人目を避けて退室することは、恐らく隠密行動に適応している少年には難しくはないだろう。

「結局,また染めるのですか?」

 簡易な髪粉(白髪隠し)だ(若者がファッション的に使うこともある)。青年が常用していた染粉とは違い,水で洗うだけで落ちる。

「――劇的な演出(サプライズ)は嫌いじゃない」

 水桶を用意しておいてくれ,軽やかに笑んで,濃い栗色の髪となった青年は勢いよく立ち上がった。黒一色のマントを羽織ると,上着はほとんど見えなくなる。

 傭兵が扉を開け,軍人が先に出て,青年を通す。慇懃に出迎えた「護衛」の一団に,ご苦労とねぎらいの言葉をかけた。参りましょう,と促され,歩き出そうとして,ふと青年は自室を振り返った。

 あちらが嫌がらせ的に割り振った自室ではあったが,実のところ利点は多かった。

「割と気に入っていたんだが。――戻れぬだろうな。」

 小さな呟きを聞きつけた「護衛」は勝ち誇った色を浮かべたものだが,果たして敗北宣言ではなかった。




 





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