7 王の来襲
11
書類やら台帳を片っ端から運び出す。時間は限られるから、バケツリレーの要領で、外で控えていた騎士の一団も総出だ。当然、気配は慌しくなって、真夜中のこととはいえ何事かと付近の住民が遠巻きに顔を並べていく。馴染みの詰所役人なら気安い口もきけるが、遠目にも身分のありそうな見知らぬ騎士たちでは不安げに見るよりない。混乱を招かぬためにも説明をすべきなのだが、たとえ声をかけられても、役人自身の中に答えがないのだ。
まもなく刻限となろうという頃、乱雑に置かれた荷物を寄せていると、ふとざわめきが大きくなった。
「城が・・・、」
「二壁の灯火が・・・」
ぼそぼそと囁きあう声を拾って、そちらを見た役人はぎょっと目を瞠る。
都の内側、いつもなら二壁の上に夜警のあかりが行きかうのと、城の灯火が遠く揺れるくらいというのに、あかあかと夜に主張していた。
士官と長官も気づいて、少し離れたところで、難しい顔を見合わせている。
「----篝火を、」
あちらもただならぬ、と判断した長官が明かりを増やすように命じた。詰所から、次の角まで手際よく篝火が並べられる中、三騎の騎士が飛び込んできたのだ。先頭の黒駒からから降りた騎士を認めて、長官がぎょっと息を飲んだ。
「あいつは!?」
真っ直ぐに、長官に声が飛んだ。
「どうされました? なぜ、このような場所へ!?」
「あの馬鹿が馬鹿だからだ!」
鋭く、居並ぶ顔を見渡した騎士は、そこに目的の顔がないのに、内かと建物を振り仰いだ。扉に向かう騎士の行く手に立ち塞がろうとしたが、鋭い眼光を浴びて立ち竦む。それでも長官はゆっくり顎を上げて、騎士と対峙した。
「なりません。危険です。」
「その危険なところに、何故あいつを置いておく!?」
「千の軍勢を相手どろうとされるなら、我らが盾になり何としてもお逃がしします。しかし、界罅界落の前では我らはむしろ足手まとい・・・お待ちくださいっ」
騎士は最期まで聞かなかった。
「この目で確かめる。また自分を賭けて何とかするなどと考えてるいやがるなら、知るものか、引きずり出す。」
異論を許さぬ迫力だった。が、元帥は食い下がった。
「お通しできませぬ。いま、これより先で起きていることが尋常ならざることで、そのように血相を変えて駆けつけられるほど、危険な場所となっているのであれば、遠海を支えるおふたりが、そこに揃われるなど、」
「シュレザーン、」
祖父ほどの年齢の家臣に敬意を示し、元帥、若しくは長官と呼ぶ人だ。
「王家の秘密に関わる。下がれ。」
長官は跪き、しかし、決然と顔を上げた。
「お供いたします。」
「いらぬ。」
時が惜しいとばかりに歩き出したその行く手に、長官はまわりこんだ。老齢となってなお長官も堂々たる体躯だが、騎士はそれよりも長身かつ、男ざかりに入ろうという堂々たる体躯だ。しかし、その身分にはふさわしくない舌打ちを降らせて、
「護衛など役に立たぬ。そう言ったのは、あなただ。」
「然様。」
軍人として幾多の戦場を生き抜き、地位を上げたことで、権力闘争にも巻き込まれてきた古強者は動じることはなかった。
「身分に差はあれ、我らも公爵も、陛下と王都王国を護る義務がございます。その為の指揮を公爵が執られ、我らを傍らにおかぬという判断ならば・・・・陛下っ!!」
ぐん、と大気の密度が増したのだ。騎士は---『遠海』国王ライヴァートは息を詰めるように空を睨む。
「お供いたします。」
長官は繰り返し,とうとう,ぐっと国王の腕を掴んだのだ。
「許さぬ、と仰せなら、どうぞ切り捨てていかれませ。」
「――ずるいぞ、元帥。」
国王は苦くため息を落とした。
「知らぬほうが、きっと楽だと思うんだがなあ。」
それが、きっと素の声なのだろう。
「だとしても、ここで国王を御独りにするなど、この国の禄を食み武に生きてきたものとして恥にございますれば。」
頑固一徹を体現するかのような長官に,国王はどこか哀れむような長いため息をついたのだ。
「聖亖剣に,その身とその身に連なるすべてを懸けて沈黙を誓約されるか。」
ことあれば,当人に留まらず一族郎党諸共に誅殺するという宣告にも長官は揺るがなかった。
「是。」
「・・・では来られるがいい。」
ここまでは、たいへん格好が良かったのだが、つい気になって、耳を欹てていたのが仇になった。奥から、
「――あいつが怒ったら、助けていただけますよね?」
・・・一同、聞こえなかったことにしたのは言うまでもない。
12
内部で何が起きたのか,外にいた者たちに語った者はいない。
セトムが見たのは,ほどなくして、都護府の分館が震えだし,緊張を孕んだ空気があたりを満たし,それに耐え切れないと誰もが思う寸前に、ふっと緩んだ。
そして、さらさらと、掌に載せた一つまみの塩を吹き散らしたように,石組みの建物が消えていく。非現実的な様に一同は目を剥き,直立した。「砂」は地に落ちることはなく,透明な瓶に水をいれ、長い棒でかき混ぜたときのような渦を巻きながら天に伸び,そして・・・消えた。
呆然と仰いでいた天から,答えを探すように地へ視点を戻した一同は,
「おれは断固抗議するぞ! なんだその一方的な四十八時間、口をきかないとか!」
「陛下は四十八日、口かきかない方が、いいということでしょうかね、長官?」
「お前は明後日の早朝には《暁》に発つんだろうが!ということは、実質、半年はおれと話をしないということだぞ! それでなくとも四ヶ月と十六日ぶりだというのに、このうえ、あと半年待たせるとか寂しいだろう!?」
「・・・気色の悪い台詞は俺の空耳ですね、長官?」
超現象のあとだというのに,それを起こした人(推定)と立ち会った人の口論は地を這うようなレベルだ。
「じゃあ、出発を延ばせ。」
「なにが、じゃあ・・・一方的に約束を破っておいて、しゃあしゃあと――ありえないですね、長官?」
どうやら「口をきかない」と言い渡したらしい公爵は,迂回路の使用を続行している。
「・・・閣下,どうかそのあたりで。小官が陛下に無理を押しましたゆえに、」
押し切った長官は、目の前で繰り広げられる仲違いに青い顔だ。
「長官の立場からすれば、陛下をひとりにできないというのはよく分かっております。陛下がわざわざ駆けつけなければ起きなかった問題です。」
「突然、召・・・いや、えーと、・・心配したんだ! よっぽどのことが起きたのだと・・・思うだろ!?」
「信じていただけないのは、臣として不徳の致すところ、なのでしょうね、長官。」
「――っ、」
硬く拳を握ったと思うと国王は,長官に目礼して歩き去ろうとした公爵の横合いからぐいと襟元を掴んで引き寄せたのである。
「うるさい。信じられるか、馬鹿! てめえの胸に手をあてて振り返りやがれ!!いま考えれば! サクレで、《橋》を消したのも,カドゥのアレも、テメェの仕業だろうが! で! 直後フラフラになって・・・!しかも,凪原王都では,二日も意識が戻らなかったそうじゃないか!」
路地に響き渡る怒声。相当に柄が悪い。
「・・・お喋りども・・・、」
手を払いのけながら,忌々しそうに舌打ちしたこちらの目つきもなかなかだ。
「大事な友を案じて、何が悪い!?」
ぐい、と王は身を乗り出し,
「千里離れてさえ居てもたっても居られぬというのに,」
公爵は一歩下がる。後ろは壁だ。
「目と鼻の先のかけがえのないお前の危機に駆けつけぬわけがあるまい!」
「いや、危機とかになってないし?」
横に身体をずらそうとするが,王はそれを許さず、囲うように両手を突いて真っ直ぐに見据えたものだ。国王がこぶし2つほど高く,筋骨も逞しいから,覆いかぶさるような形になる。
「お前を喪うかと思ったのだぞ。」
よかった、と吐息まじりに呟かれて,公爵は白旗を上げた。
「悪かった! 俺が浅慮だった!」
喚くように言った公爵は、勘弁してくれとばかりに額をおさえた。見てはいけないようなもののように視線を逸らしている周囲に頬をひきつらせながら,腕の下から脱出しようと試みるが,国王は巧みにそれを封じたのだ。
「・・・なんなんだ、お前は。」
「なにがだ?」
「暑苦しさが増している。」
「ひどいな。」
心外だと大きく目を瞠った。
「愛しいと思う気持ちを伝えてはいけないのか?」
ぴき、と固まったのは,長官を除く周囲である。長官は苦笑いを浮かべ,士官は数瞬後に、
「・・・聞きしに勝る溺愛ですな、」
と、妙な感嘆の声をもらした。言われた本人は,げんなりと息を吐き出した。
「人聞きが悪いって言ってるんだ!見ろ、引かれているだろうが。」
そうかな、と王に振り返られ,一同はまったく聞いていませんでした、という風に視線を飛ばした。とにかく,その隙に公爵は腕の下から脱出して,囲まれない位置まで移動したものだ。そして,ぐい、と士官の腕を取って、盾にするように前に押し出した。
「ヴァルティスだ。留守居を任せるつもりでいる。」
士官は慌てて膝を折ろうとしたが、国王がそのまま、と制止した。ここに己はいないことになるから,と片目を瞑ってから続けた。
「ようこそ、『遠海』に。そなたの決断を歓迎する。明日,胸を張って登城されよ。」
「明日は朝から登城するし,滞在も数日延ばす。」
そう言って,国王に笑いかけた公爵の表情は優しい。嬉しそうに笑み崩れる国王に帰城を促しつつ,彼はセトムたちを振り返った。
「影齧りの件はもう心配はいらない。街の皆にもそう伝えてほしい。」
とてつもなく「偉い」相手なのだが,先ほどまでと変わらない,というか,国王にも庶民にも同じ口調なものだから,それはそれで対応に困る。
「あー,いや,えっと,」
馬鹿,と役人が腕を引いて膝を折らせた。呆然としていた周囲もそれにバタバタと倣う。苦笑いの空気が流れて,身を屈める気配がした。顔を上げてもらえるか、と促された。
「小さな俺を覚えていてくれて,とても嬉しかった。そちらの都護府の方もすまなかったな。ヤツに分かりやすくするために,ここに留まりたくてね,無茶を言った。権力傘にきた面倒なヤツで,申し訳ない。」
目線を合わせるためにしゃがみこんで,頭を下げてくる。
「とんでもございません! こちらこそ,察することができず・・・」
「それは無理だろうよ。予定では,ひっそり済ますつもりだったんだが――」
あなたは結局派手好みなんでしょうよ,と士官の突っ込みに心外な、と眉を跳ね上げた。
「その方,名は?」
士官の問いかけに,面を伏したまま役人は名乗った。
公爵が立ち上がり,そっと《上》の様子をうかがったセトムは,彼と士官が目を交わし,公爵が長官に頷くのを見た。
――数日後,詰所を喪った面々に,軍管から護府制への移行を計画している〈暁〉への出向が申し渡されることになる。
そして,「建具師」であるセトムが〈暁〉の建設に携わるために移住していくのも,この日がもたらした後日談である。