33 留守居
熾の鐘が鳴った。
三の郭に通じる門が開いて,通いの下働きや荷馬車が王城に入ってくる。この季節,まだ陽は昇らず,篝火は灯されたままだが,一気に雰囲気は開放的になった。
僅かに開けたカーテンの隙間から,荷馬車から大きな籠や樽を次々に降ろされ,リレーの要領で厨房に運び込んでいく下働きを暫く眺めた後,その傭兵はまたぴったりとカーテンを閉ざした。
「・・・熱心なことだぜ。」
壁際の暗がりに立って,人の動きではなくこの窓を凝視する衛士に悪態をついた。
「それが任務だ。怒ってやるな。」
もと将軍はうっすらと笑いを刷いたものだ。それから、閉じたまま、人の気配が戻ってこない寝室の方を見遣る。
「…もう、あと一刻で限界か。」
「なあ、なンとか伸ばせないのか。査問会ってヤツ。急な発熱で、枕も上がらぬとか、さ。」
「医師が寄越されて、いないことがばれるだけだ。」
「替え玉を立てる!」
「誰がやるんだ、お前か?」
外部から調達する時間はない。
「戻られる、と信じてはいるが、…気は急くな。」
「信じるンだったら、カッコつけて喋ンじゃねぇよ!」
いらっとしたまま、リトラッドは吐き捨て、レイドリックは半目で見やる。
傍から見ると愉快らしいが、当人同士は不満しかないのに、どういう訳か二人きりで留守を守ることになってしまった。
報せを受けたレイドリックが軍師に割り与えられた私室の前に、何とか先回りした時に、何も知らないリドラッドが通りかかったのである。そこに、タイミング悪く、軍師が連行されて来て、どういうことだよ!?と詰め寄るリドラッドに事分けて対応していると、肝心の機会が失われる危険があったから、問答無用で巻き込む決断しかなかった。
軍規を犯したのなら正当な裁きを受けるように、天旋側として査問会まで彼を監視する、と申し出たのだ。空々しいとは思っても、まだ姓は戻していないが、シュレザーン元帥の跡継ぎと見なされている著名な騎士の申し出だ。無碍にはできない。
「あなた方も、部屋から出ないとお約束してもらえれば。」
「もちろん。」
「面会もご遠慮いただきますよ?」
「構わないよ。」
自室とはいえ一人、向こう側の監視だけて籠めることは決してさせられない。向こうの覚悟はどれほどなのか。査問会によって名誉を貶め、追い落とすことに留まらず、彼の完全排除のために、査問会前に何かあるとも限らない。拉致、暴力、不審死…明日まででも、最悪はいくらでも想定できる。
引き渡すものがあるというので、リドラッドが入室し、青年が指定した場所から布に包まれた「証拠品」を取ってきた。
「なンすか?」
確認のため一度青年の手に渡る。
「剣。」
布を半分外して中身を向こうにもみせた後、青年はどうぞ、と差し出した。
「た、確かに。」
悔しそうでも惜しそうでもない、あっさりとした様子に、向こうはいささか不満気だ。勝ち誇る気持ちを満足させるには、もっと落ち込んでほしい、というところか。
部屋に入るよう促され、レイドリックは言い出すことにした。
「夕食には葡萄酒を付けてくれ。三人だから最低でも一人一本、銘柄と色はバランス良く。」
「冗談ではない!」
「差し入れは権利だろう?」
この場には、レイドリックに付いてきた天旋側の者たちもいる。
「好物、入れますよ!」
と乗ってくるのに、向こうは渋い顔だ。
「食事はこちらできちんと・・・、」
「おかしな誤解が出ないよう、飲食物は此方で用意した方が無難ではないかな? 勿論、チェックはしてもらって結構。」
薬物の関係は潰したい。が、心外だ!侮辱だ!と、抗議を食らう可能性も高い。案の定、ぴくりと頬が動いたが、
「オレ、サラミとチーズ! あとハチミツ。あ、チーズはハードとクリーム両方。」
空気を読まない声が、その空気を蹴散らした。
「健康のためには野菜スティックもよろしく。辛子マヨネーズ付きで。」
「リドラッド、宴会の注文では・・・、」
「いいじゃないか。エ・・じゃない、ヴォルゼもほら、何かリクエスト!」
「俺はどうでも、」
「せっかく、皆が用意してくれるンだから、」
せっかく、というのは、この状況に相応しいのだろうか。
「…朝は、レオニーナ特製サンドを希望したいな。あれは目がさえて力がつくからな。ただ、早朝に一人で三人前は難しいだろうが。お前たちにも食べて欲しいから、補助を付けるなりして、作ってくれると嬉しいが。」
「おお、それは食べたい! 」
頼んだ~、と陽気に手を振ったリドラッドと、軍師を室内に押し込むように入れて、ではそのように、とレイドリックは宮廷風の笑みをもって、向こうの鼻先で扉を閉めた。施錠して、立て籠もることにする----断じて、閉じ込められているのでは、ない。
「----で?」
するり、とリドラッドの顔と声が変わった。
「なにがどうなっている?」
御しやすそうな、考えのなさそうな傭兵の顔はもうない。
「査問会って言ってたよな? あンたを査問して追い出す陰謀かい、これは?」
「----ちょっと気が緩んでいた。」
朱家から剣を一振り持ち出したことを明かされて、
「そンなことで査問!?」
「いや一事が万事ではある。」
「いやいや厳重注意とかくらいだろ。」
「一兵士ではなく、最高司令が陛下の命に背いたというのは、しめしがつかないことではある。」
「あンたは誰の味方!?」
こんな口の利く者は、もう随分とレイドリックの周りにいないから、腹立たしいから一周半回って、最近では年の離れた弟をみるように、微笑ましくなってくる。
「ライヴァート様が、そンなことぐらいでエヴィを罪に問うなんで、ないだろ!?」
「それは、あってはならない。」
ようやく青年が口を開いた。
「だれであろうと、罪は罪であるべきだ。」
「だから、べき、とか杓子定規すぎるって、」
「法とはそういうもので…、」
「わざと、ではありませんね?」
レイドリックは青年を問いただした。
「引責で幕引きとか、そのつもりだったり、とか?」
ポン、と青年は手をうち合わせた。
「なるほど、その手があったか。」
立ったままでは、とソファに移動した。
厨に品を入れる商人たちが利用する門が見渡せる部屋だ。場所柄、『凪原』の破壊を免れた建物ではあったが、下層区域すぎる。
ここを幹部宿舎に割り振るとは天旋軍を見下しての仕業ではないかという声もあったが、城外への出入りがしやすいという条件を叶えている、と軍師は抗議はしなかった。しかし、改めて眺める軍師が使っているこの部屋は、二間つづきで風呂洗面所も備えた作りだが、壁紙も家具もあり合わせを貼った置いたという感じで、彼の功績に見合った場所とはやはり思えない。
「その手、は思い浮かべなくて結構ですから。」
縁起でもない、と切り捨てて。
「どうされるつもりか、伺っても?」
「どう、すべきなのか、は悩ましいな。」
「え? くだらン難癖をつけてきた連中をぎゃふンと言わせて終わりだろ?」
他にどんな選択肢が、とリトラッドは不思議そうだ。
「それはシンプルでいいな。」
前髪をかきあげ、天井を見上げて暫し目を閉じた。
「面倒になるのは、嫌なんだよ、俺は。」
「お言葉ですが、このままあなたを蔑ろにされる方が弊害は多い。」
断固立つべきです、と訴える目に、色を感じさせない吐息が落ちる。
「どちらにせよ、今すぐにすべきことは一つだ。」
「それは?」
「『夏野』に行って、王女を連れ戻してくる。」
「----は?」
『夏野』と『遠海』の間に直通の街道はない。双ラジェでは渡海が必要だ。片道二週間はみる。国内だけ替え馬を使うなら、十日程度には短縮できるだろうか。
「査問会は明日の朝だぞ!?」




