32 革命前夜
事実上の「宰相室」と,呼ばれる方も,そう呼ばれているのを聞かされる方も不本意である「天旋軍統括室」は,この日付をもって廃止となった。
異変が生じたのはじき夕方という頃であった。
廊下が騒がしい,と室内の手が止まり,剣呑な気配を察して入口付近の数人が立ち上がった。
「失礼する!」
衛士の制止を数で押しのけたらしい勢いで,扉が開かれるのと同時に一個小隊かと思える人数が入室してきた。
「ヴォルゼ・ハークどのはご在室か?」
宰相位が約束されたように、胸を張って入場してきた先頭の男は、
「閣下と、お約束されてましたでしょうか?宰相次官補佐官付補佐ゼーデラムどの」
慇懃に肩書を呼ばれて,分かりやすく顔を顰めた。
「---宰相補佐官付補佐リセリオンどの、」
対応した方が、二十ばかり若い。かつ、肩書が少しだけ短い。
とぢらにせよ補佐官の補佐という微官である。と後者は思っているが、訪問者は自分の正当な職権が侵されているとばかりの目で、書類の行きかう室内を睨んでいる。
「いったい、だれの許しを得て、好き勝手に内務を動かしている!?」
「陛下でいらっしゃいますが。」
即位式は未定だが、ライヴァート王子は法令上はすでに国主である。
「ライヴァート様はまだお若い!」
そうでしょうとも、と室内の者は事実として頷き、室外の者は、そのとおり、と確信を込めて頷く。
「軍略がたまたま優れていたからといって、政務も秀でているとは限らぬ。ろくに教育も受けておらぬ傭兵には所詮、目先の利益しか計れず、先々には災いをもたらすに決まっておる!」
人手(信用に足る)不足で、ここには軍属の文官が多い。長短の差はあれ、軍師の采配に目を瞠ってきた面子だから、はっきり殺気を立たせるものいる。
旧政権の官僚とは、まだ事を構えるのは尚早とおもっていたが(忙しいから)、さっさと片付けた方がいいのではないか、と、穏健派(を自称する)リセリオンですら心を決めそうになった。
「俺に用ですか?」
ダン、と机に手を置いて立ち上がったのは、わざとだ。訪問者たちがびくりとして、やはり粗雑な、という顔をしたが、青年が牽制したは身内だ。
「皆さんには、長年の知識を生かして、『夏野』がぶちまけたり持ち出したり燃やしたりしてくれた文書の把握と整理をお願いしていたが。さすが! 終わったということで?」
「いや、それは…、」
取り立てられないことをぐちぐち言い合っている時間の方が長いことは、把握済みだ。
「では、新しい仕事の話はその後で、」
「この、奸賊め!」
いきなり、最大級の侮辱表現が出て、青年もリセリオンたちも、さすがにポカンとしたものだ。
「ゼーデラムどの、」
穏便にとはいかない。彼らが押し入ってきたときも、青年が目配せで止めたから護衛は動かさなかったが、もはや強制的に追い出すべきだ、リセリオンはそう判断した。しかし、青年が軽く手を上げて、また止めた。
「そうはっきり俺を非難されるのなら、相応の理由をお持ちですな?」
「無論だとも!」
大きく、丸いお腹をすず、と揺らしながら、詰め寄ってくる。
「貴様、先日、朱公邸の視察に行ったな!?」
貴様…とは、なんだ貴様、と執務室側が気色ばんでいるが、青年は平静であった。
「挨拶要員で同行したが、」
王都の治安回復を任されたシュレザーン元帥の要請で,軍師の承認の下,天旋軍の部将は担当の区割りを行い,麾下から巡察部隊を編成した。主な任務は治安維持,人的物的損失の把握と欠けが甚だしい貴族館の現在の住人名簿作りだ。さすがに四方公爵邸は指揮官クラスでないと非礼だという判断で,青年が国王の使節として遣わされたのが朱邸だった。
「まったく盗人猛々しい! 御気の毒な先の朱公夫人を脅して家宝を強奪したと、証言が上がっている!」
「家宝を強奪、へぇ?」
「ライヴァート様が触れを出しましたな?」
口を挟んできたのは、司法部の下級文官だ。
暫時、貴族の館からのいっさいの荷物の移動を禁じた。占領下で略奪しつくされて,その大方は『凪原』に移動されているのだが,宿舎として接収されていた幾つかの館に集められた品もある。全部の品をもと通りにとはいかないが,二次三次の「略奪」問題を引き起こして,所有問題をややこしくしないための措置だ。
「なるほど、朱邸から持ち出したものがあるか、と言われれば是、だな。」
彼らは喜色を浮かべ、それを提出しろ、と口々に叫んでいる。リセリオンは、壁際に立つ騎士に視線を投げた。
「また、貴様は天旋軍で軍師を自称し、収賄と違法接収についても告発されている!」
鬼の首でもとったように言い募る。
「家宝はどこにある!? 売り払ったか!?」
「まさか。部屋に置いてある。」
「では、ただちにそれを提出し、そのまま部屋で謹慎せよ! 禁足である。」
そちらこそ、どういう立場で青年に命じているのか。
「取り調べはしないのか?」
さらに雪崩れ込んできた、彼らに付くことにした衛士に囲まれ行く手を示されるのに諾々と従いながら、青年が聞いている----聞かせている。
青年が大人しいから、彼らは観念したと思って、負け陣営に特に注意を払っていない。
なりは大きいし容貌も派手なのに、猫科のようなしなやかさで、特に注意を払われずに傍らにやってきた古馴染みに、リセリオンは小声で指示を出す。
「小シュレザーン…レイドリックどのに、ただちにヴォルゼどのの私室に向かってもらえ。レイドリックどのが見つからねば、最悪、お前でも構わない。彼を絶対に一人で籠めさせるな!?」
「最悪ってなんだよ」
ボヤキはしたが、騎士----カルローグは、それ以上問うことなく、す、と場を離れていった。
彼らだけが主導ではない。もう少し身分のある別動隊が同時に動いている。だから、青年はここであえて論破かないのだ。
「傭兵とはいえ、貴様は我が国の軍人であった。ゆえ、明日の午前、ライヴァート様の午前で査問会を開く! 申し開きはそこでするがいい!」
まるで、革命の始まりをつげるように、高らかに宣したものである。




