30 小夜更けて
「シンラの門! あれを、また!?」
ぶる、と体を震わせる夫人に青年が目を瞠った。
「フォガサ夫人は、シンラの門をご存じのうえ、通ったことがある・・・?」
すごいな、と心底感心したように言われて、夫人は複雑そうな顔をした。
「いつ、どこのです?」
「サクレが落城した折、テュレまで逃れるために。」
「起動は大公が?」
「いえ、姫様が・・・、」
夫人がそう呼ぶのは、カノンシェルの母だ。
「やはり王家には口伝とか残されていたのかな。ライはぜんぜんだったけど、国王レベルの情報はあるだろうし----どうしました?」
もの問いたげな視線に気づいて、首を傾げた。
「----お前はあのときどこに?」
「あの時?」
「サクレが落ちた夜です。」
「報せはラジェで。短期の護衛から戻ったら、やたらに戦時関係の依頼が増えていて、俺は引き受ける気はなかったのに、こうなっているのは、どうしてですかね?」
参陣についてはずっと不本意だから、やはり繰り言を混ぜてくる。
「----そう、」
そうよね、と夫人は呟き、
「きょうだいはいるの?」
「どうしたんですか? 突然。」
世話にはなってはいるが、高貴な方々に気安すぎると当初から渋い顔で、青年が昇進した後も、一線を引いていた夫人である。前大公の一人娘の乳母を務めた彼女は男爵夫人であったが、出自は伯爵家(没落した)だそうだ。カノンシェルの側付きだから、《天旋》草創期から関わりがあるが、一貫して異邦人であるレオニーナと傭兵であるエヴァにはよそよそしく、今まで個人的なことを聞かれたことはなかった。
「…いましたけど、」
「上?」
「二つくらい?」
「似ている?」
「さあ。」
苦笑いの理由は、彼女たちには知る由もないが。
「母親違いなんで、面識がないんですよ?」
「ばあや、失礼だわ。」
踏み込みすぎる質問を、少女は咎めた。
「お嬢様はおぼ…いえ、」
夫人は強く首を振った。
「むかし、お前と似た者にあったことがあったのよ。短絡的に血縁かと思ったの。」
「世界には三人そっくりがいるといいますから。」
特に気にした様子はなく、青年は出発準備を促した。
「夜明けには、王都に戻っていないといけない。」
シンラの門前提とはいえ、
「どうして、そんなに急ぐの? というか、なんでこんなに急に。」
帰りたかったから、嬉しいが。
「ああ、明日の朝、俺の査問会が開かれるから、それに出席しないといけない。」
理由が揮っていた。
「だれの、何ですって?」
「俺の、査問会ですよ、夫人。」
「な・・・、!」
喚きたてそうな気配を察して、人差し指で、し、と抑えた。
「・・・、何をしでかしたんです?」
「メインは法令違反です。」
わなわなと震えている夫人に対して、あっけらかんとしたものだ。
「とある貴族邸の査察に行った折に、どうぞ持ち帰って、と言われて持ち帰ったのが、まずかったようで。」
「脅し取ったの!?」
「と、言われてます。」
面白そうに言う。
「ついでに、《天旋》の活動費についてもあやを付けてきまして。収支報告が穴だらけなのは、私的流用とか賄いが横行していたからだと。」
「まあ、それは…、」
夫人は、大きく頷いた。
「私財を流用していた、の間違いでしょう。」
身分はお眼鏡にかなわなくとも、夫人は公正だ。立ち上がって暫く、というか、立ち上がる前は、各自の持ち金を寄せ集めていたことを、知っている。
「勝ち目はあるのでしょうね?」
「勝っていいのかは悩ましいところですけれど。」
不思議なことを言った。
「査問会で負けたら、エヴィはどうなるの?」
「追放が手っ取り早いんじゃないかな?」
「…困るんじゃない?」
「俺は困らない。」
と、『遠海』での地位は要らない、元通りラジェで傭兵をする、と言い張っていたが、用兵の天才を、他国に解き放とうなんて、…馬鹿げている。落としどころはあるのか。子どもでも心配するレベルだ。
「ま、」
不安そうな顔に気づいたのか、青年は肩をすくめてみせた。
「唆される連中を一掃するにはいい機会だな。」
唆す。そして、一刻を争いながら、ここにいる。
「俺が失脚すれば、恐らく『夏野』は本腰を入れてカノンシェルを手中にしようとするだろうし、…俺が切れ抜ければ、恐らくは----お前を邪魔にする。俺たちをもろとも暗殺するほどの、梟雄志向ではないだろうから、事故死のおわびに、王女を押し付ける方へ舵を切られては、たまらん。」
なかなか物騒な仮定だが、天眼の、と称される青年には多くの未来図が見えているに違いなかった。
それでも後手になるのは、 『夏野』が悪辣というより、『遠海』が甘いのだ。うまく振る舞えているような気がしているだけで、政に関しては隙がまだまだ経験値不足しているということだ。
「俺は、ちゃんと仕事をしなければならん。」
本来の仕事は護衛だからな、と悪ぶった顔で笑う、真面目な人だ。
「というわけで、どちらに転んでも、カノンには明日を『遠海』で迎えてもらいたい。夫人、さすがに二人同時には連れていけない。一度、カノンを門から送って、それから、」
「結構ですよ、」
と、夫人は素っ気なく言った。
「わたしは残ります。」
「ばあや!?」
「迎えがきたから送りだした、と耄碌手前の老女らしく申し述べてやりましょう。」
「でも、何か酷いことをされたら、」
「一応は病床の身の年寄りをなぶり殺しにはしませんよ。一応は同盟国ですし。」
一応が多い。
「投獄するのなら、何罪にあたるのやら。主人を止めなかった罪か、主人なしで高きところに留まっている不法滞在でしょうか。」
八つ当たりしてくるか、寛大を取り繕うか。『夏野』の沸点はどうだろう。
「城からは放り出されるのは、それは願ったりですからね。」
長年クロムダート大公(国王)に仕え、恐らくは幾たびも王宮の荒波をくぐってきた夫人は、さらりとしている。
「急ぐのでしょう? わたしは普通の道で、ゆっくりおそばに戻りますよ。」
あとは行動あるのみだ。少女と夫人は着替えに、青年は手紙をしたためる。着替えた少女が交替で置き手紙を書いている間に、夫人に二通の手紙を託した。
「城下に出たら、〈妖精の寝台〉を訪ねて、この手紙を渡せば便宜を図ってくれる。それから、こちらは彼女の手紙のあとで、王弟閣下----対応は彼だろう?----に渡してくれ。」
「ヴォルゼ・ハーク参上!みたいな代物ではないでしょうね?」
夫人は胡散臭そうに、ひらひらと手紙を振る。
「怪盗の犯行宣言じゃないんですから。」
苦笑いするが、『夏野』にすれば似たようなものかも知れない。
しかし、青年は一連の戦で、時の人となっているが、平民の傭兵からの手紙など受け取るだろうか----受け取りはしても、受け入れはしないだろう。
王宮への侵入を許したことも連れて逃げたことも、面子を潰された怒りと憎悪を煽るだけのような気がする。渡さない方がいいのでは、と考えたが、
「国書扱いで、とライヴァートから、許可をもらっておきますよ。」
事後承諾らしい。
「だから、越権がすぎると査問されるのです。」
弁えなさい、と睨んでから、
「内容はみせてもらってもいいかしら。」
外との連絡を警戒して、紙類は置かれていない。青年も少女も、手紙に用いたのは茶会の招待状やらご機嫌伺の手紙の、うらだ。
特に封もされていない。
「構いませんが、」
という言葉でさっそく開いて、夫人ははっきりと硬直した。夫人の異変に、脇から覗き込んだ少女もぎょっと目を瞠った。
「国書なので、古聖語です。」
「----どういうこと?」
平民の傭兵が取り扱える文字ではない。




