24 「調」
「姫頭領、」
到着を待っていたのだろう。声をかけてきたのは、ほっそりとした少年だ。
「お嬢様、か、名で呼びなさい。」
と、彼女は渋面を作った。少女は目を瞠る。
「あの時の…弟さん?」
「本人よ。」
「私と同じ年の頃だったと…、」
「この子は界人だから。この「界」に馴染んでいくために、成長は緩やかなようよ。これでわたくしより年上というのは釈然としないけれど。」
彼女は軽く睨みつけて、少年はにこりと笑う。
「この見た目以外の特筆は、身が軽いくらい。」
あの、時はまさか界人とは思いもしなかった。
…界人と思うだけで、震えは来る。
けれど。
この人は手助けをして、くれた。レオニーナを支える一人だ。
「あの折はありがとうございました。」
微笑むことはできなかったが、丁寧に頭を下げた。
「ご丁寧に。」
少年----いや、そう見えるだけで、ずっと年上なのがよく分かる笑みだった。
「シャイデと三花陸、我等が普通に交流できるようになって、たかだか二十数年よ。同じに見えても、なかなか違うわ。こっちが常識も、向こうの状態が分かれば語れない。」
頷くより、なかった。
狩鈴と似ている、というのが最初の印象だ。
「たぶん…恐らく、技術の転用でしょう。」
綺を持つ人間に触れると光る仕組みの狩鈴。
調玉は、界人に埋め込むことで、この界の空気を呼び寄せて、変化を防ぐのだそうだ。あとは程度によって薬を服用するか、緊急時は注射もあるという。
目の前に置かれた調玉を親指と人差し指でつまみ上げた。小指の先ほどの、楕円形だ。指先に力を入れると、へこ、と形を変える。柔らかい。二度三度と力を加えても、罅が入っり割れたりすることはなかった。
「狩鈴とは違うわ…、」
アレは投げても、剣で叩いても罅一つ入らなかった。どこかの誰かだけは、ひっそり再起不能にしていたらしいが。
「これがあれば、界物はおかしくならない、というの?」
「体に合うように調整が必要なの。だから、界落後すぐに変化するような度合いでは無理。変化した後に入れても、変化した部分は戻せない。」
「…でも、そう…、」
還りたいという願いは叶わなくとも、相対した界魔が憎々しげにあるいは心を切り裂かれてたように口にした、「この世《界》で、ほかにどうすれば良いというのか」という叫びの答えになるのではなかろうか。落ちてしまった以上は覆せない、と自分は信じてきたけれど。
北の花陸に滞在していた国王は勿論、エヴィもきっと知っている。このことを、『遠海』は----シャイデはどう受け入れていくのだろうか。
「シャイデの界落頻度は、いま更に上がっていると聞き及んでいるわ。王都や東ラジェの街中でも起きているとか。あの当時も、絶対数が多すぎるのと、シャイデの界落はわたくしには信じ難いほどに、変化が速くて、しかも酷いと思った。」
異形も異能も----三花陸とシャイデと、同じ空の下にあるのに、いったい何が異なるというのか。
「ライもエヴィも考えていると思うわ。でも、持ち込むだけで万人に効く薬になるならともかく。歴史も事情も違うし。三花陸も、このかたちを当たり前にするまで、数世代が経過しているの。」
ついでだから、と自分の服用薬を受け取りに奥に行っていた少年が戻ってきた。姫…と言いかけて、
「お嬢様、」
と言い直した。ちなみに、界人用の薬だけではなく、その研究過程から生まれた一般向けの薬や化粧品も扱っていて、需要的にはそちらが多を占めているそうだ。
「少しだけ時間を、と主どのから申し出がございますが、」
「…まあ、いいわ。」
少しだけ眉を寄せたが、レオニーナは立ち上がってカノンシェルを促した。薬屋の裏に入る。表に立つのは愛想のいい男女だったが、進むほどすれ違うのは、いかにも研究職や技術者といった雰囲気を持つ人々になっていく。小さな畑や温室がある庭を、幾つかの棟がぐるりと取り囲んでいた。検査、調剤、施術の施設だろうこちら側が、「調」の本当の表だろう。
「ここの畑とかは一部の研究用で、実際は別に設けた幾つかの農場で栽培が行われているそうです。」
「なかなかのやり手よ、ここの主どのは。」
と前振りがあった主は、
「レオニーナ、お元気そうで。」
それは嬉しそうに彼女を迎え入れたのだ。三十代半ばくらいだろうか。仕立てのいい服に身を包んだ、一見優男風だが、騎士たちとはまた違う視線の強さが感じられる人物だった。
「五か月半ぶりでしょうか。相変わらず可憐でいらっしゃる。」
「あなたもお変わりなさそうね、コドウ。」
「今日は、可愛らしい方と一緒ですね。お嬢さん、おれは「調」の店主でコドウと申します。お名前をお聞きしても?」
「カノンシェルです。お邪魔しております。」
「すこぶる異国的な風情の方ですな。海皇の妖精姫と一緒にいるのが相応しい可憐さもある。」
異国的、という言葉にどきりとした。シャイデで異国的といえば、南の花陸や東の花陸のような容姿を指すが、レオニーナのような北の花陸の姿は、シャイデで目立つものではない。つまり、カノンシェルも目立つはずはないのだが、何か特徴的なことがあるのだろうか。
レオニーナがうんざりしたように溜息をついた。
「その恥ずかしい形容はいつになったらやめてくださるの? わたくしも、もうじき三十路なの。」
「いえいえ、あなたはいつまでもおれの海の妖精姫です。願わくは、どうか陸に上がって、おれだけの姫になっていただきたい。」
少女はぱちぱちと瞬いて、ここにいていいのかと周囲を見渡したが、レオニーナは薄い笑みを湛えたままだし、少年は無表情だ。
大人の社交辞令というものだろうか、と思ったが、いつの間にか店主はレオニーナの手を握っている…?
レオニーナはふわりと美しく笑ってから、柔らかく手を外した。
「剣だこのある妖精がいるとお思い? 陸の者は陸、海の者は海が相応よ? 」
「それを翻せるように努めましょう。」
「わたくしが三十路なら、あなたは四十路。お相手に不自由しているわけでもないのだから、いつまでも、おじさまたちに心配をかけるものではなくてよ?」
「頭領に連れられたあなたと初めて会った日から、おれの姫はあなただけです。」
「これも、毎回言っているけれど----それは、ぞっとするのだけれど。」
「つまり、幾つであってもおれの心は一つということです。」
少年が、もうじき終わりますから、というような目をしてきた。定番のやりとり、なのだろう。
「それで、」
と、レオニーナが会話を変えようとしたのだが、男はとても真剣な目をして、再度手を取ったのだ。
「お慕いしておりますよ、レオニーナ。でも、あなたはもう他の男に心を決めたのでしょうか?」
「え?」
「港鷗がさえずっておりました。姫頭領は、新しく迎えた航海士に執心で、ずっと傍に置かれていると。」
「は? ちょっと待ちなさい。」
これは数日前のやりとりと一緒だ。一緒だが、状況はもっと良くない。
「そういえば、ここにも何度もお連れになりましたね。陸であなたが特定のだれかを連れ歩くなど今までなかったのに。おれもうっかりしていました。」
「コドウ、ちょっと…、」
「デューンどのを選ばれるというなら、おれは彼に勝負を挑みたいと思っています!」
格好よく宣言して、どうだ、という面持ちであるが、レオニーナは思わず掴まれていない手で額を抑えた。
恐る恐る、隣に座る少女を見ると、ぽかんと目と口を開けていた。
「デューンって、え? …えええ!? 本当ですか!?」
「本当じゃありません!」
いや、この全否定も、関係者向けには微妙だなとは思うけれど。




