23 記念碑
かつては、三花陸も界落が多発していたという。
その絶望期は、竜王の封印で抑えられ、百年ほど混沌期を経て、竜王の解放後、激減した。
「---これが、竜王?」
シンラの門の名残がある噴水広場に、記念碑があった。見上げるほどの立派なものだ。碑にちなんで、この広場は竜王の間、と呼ばれて、露店や大道芸で、毎日、賑わっている。
空に昇る竜の背に、たくさんの人がしがみついている。
「還りたい、と希う界人をみんな連れて、この界を離れていったと伝えられているわ。」
浮き彫りの竜王の下側には三花陸が刻まれ、上部には竜王が目指す天を表すのか、でこぼこした刻みがある。竜王の両手に握られた玉は、力を表していて、これから竜王が天を破って去っていく様子なのだそうだ(説明板による)。
「天の向こうに去った竜王が、向こう側から天に蓋をしてくれたから、それから界落はほとんど起きなくなった…と言われているわ。」
「…本当ですか?」
「さあ? 竜王はいなくなって、界落が起きなくなった、という事実があるだけよ。」
少女の父親やだんなさまには、別の何かが見えているかも知れないが、彼女はちょっと変わった父を持つだけの、ただの海皇の一員だ。見えるもの、語られるものがすべてだ。
「界落が起きない…、」
竜王を見上げて、少女は噛みしめるように呟いた。
白氷妃らの動機も、突き詰めれば、還りたい、なのだろう。突然、意味もなく、異「界」に落とされた。その不運には同情する。
「実はね・・・綺、なんだけれど。こっちでは、いまは一般的ではなくて。昔は、聖と言っていたそうよ。ほぼ昔語りみたいな? もう、使う人はいないのよね。」
「…昔、語り?」
もう何度目の茫然なのか。
「エヴィなんかは、神代のシンラと同じ扱い?」
「シャイデでも、それは同じ、というか、シンラも別に---というか、島が、突然現れるのは許容なのに、綺は伝説って…」
少女は納得いかない、という顔だったが、はっとした。
「では、もしもの時はどうやって、界魔退けるのです?」
「言ったように、界落はほとんどなくて、界人もすぐ保護されて対処されるから、特には。」
「---では、こちらでは界人は死ねるのですか?」
「界」獣は、綺で灼きつくせば再生しないが、「界」人はその身体を灼いても、つぎの身体を探してうつろう。もの、けもの、ひとを乗っ取って、生をつなぐ。
---白氷妃も、滅したわけではないことを、少女は知っている。
彼が、あんなにも身を挺しても,叶えられない。
「…竜王は、」
と、次いで勢いよく振り向いた。たくさんのひと、を見る。
「竜王も、たくさんの綺を集めたのかしら? 」
綺を燃料にしようと画策した白氷妃のように。彼女たちの企みは潰えたが。
「竜王が根こそぎ持って行ったから、ない?」
「界人がいなくなったから、必要がないから、よ。例え持っていても、検査も訓練もないから、分からないだけかも知れない。」
見合わせた互いの目には、その答えはない。
「竜王が去った三花陸が、いま重視にしているのは«調»という技術よ。」
見に行きましょうか、と彼女は少女を促した。
竜王の間から、大路を山側に進むと聖宮跡がある。こちらも観光名所だ。往時の建物群は、その時にほぼ焼失したが、竜王が九九年にわたり封印されていた塔が、当時の絵をもとに再建されている。聖塔である。
保存にご協力を、という案内板と箱が置いてあって、100デン以上の寄附が一応入場には求められている。
表から、円塔を見上げて、
「中には何が?」
興味深げに尋ねたが、
「何も。」
「なに、も?」
「ウォルファ文化が入る前の仙桜様式のタイルが敷き詰められた内部は綺麗よ。高いところの四方に小さな窓が開いていて、陽射しで輝いているのも一見の価値はあるわ。」
自分が見学した時の記憶を語る。
「調度も展示物もないから、観光地を気取るならもう少しやる気は欲しいわね。」
入る?と問われて、
「…大丈夫です。」
道理で、だれも入っていかない訳だ。塔の前の広場は、竜の間以上のマーケットになっていて賑やかだというのに、塔の前だけ取り残されたように静かだった。
そうよね、と彼女は頷いて、二人は塔の前を過ぎた。小路に入る。幾つかの角を曲がった。
「調」と古聖語でかかれた暖簾を出した店があった。




