19 一石を投じよ
「ティバレスどの、この度はおめでとうございます。」
話しかけろ、という上官(上司ではない)の命だ。やたらと大仰な舞台を見ているような心地のイシュロアである。母はすっかり感動したらしく、顔見知りの御婦人方との話に夢中だ。
「セリダのイシュロアです。小さい頃、何度かお会いしたことがありますが、覚えてはいらっしゃらないと思います。」
会ったというより、傍を通り過ぎたが正しい。
「そうだね…すまない。あの頃は自分の身体のことで精いっぱいで、」
「無論です。お気になさらず。」
木っ端な小領主にも柔らかな物腰で、何より正直だ。感じは悪くない。
「イシュロア卿は、」
「わたしの方がずっと年下でありますし、どうぞイシュロアとお呼びになってください。」
「ありがとう。では、イシュロアは騎士、なのかな?」
ちなみに今日は領主としての参加だから、貴族の礼服だ。
「はい。よくお分かりになられましたね。」
滲み出る騎士感がある?もしかして、それっぽい筋肉だとか。
「いや、その背後の方かとお付き合いがあるようだから、」
「初めまして、ティバレス卿。」
ぐっ、とカルローグが場に入ってきた。滲み出る騎士感----筋肉の圧がある。
「わたしはカルローグ・コンデ。白公領駐留隊副長を務めている。所属としては王都の四軍だ。」
「初めまして、カルローグ卿。」
二人がまず握手を交わし
「こちらはカティヌ・クナウ嬢。レージ館の客人で、『真白き林檎の花の都』の教師で、小説家でもある。」
「それは才媛でいらっしゃる。ようこそ、ガレシへ。カティヌ嬢。」
掌をすくい上げ、唇は触れずに礼を送る。次はティバレスが連れを紹介する番だ。栗色の髪の娘はカティヌより少し年上だろうか。
「サリーカ・テダン嬢。」
カルローグは礼儀に沿って、その手を取ろうとしたのだが、娘はさっと手を引いた。
「こんにちは。騎士の方。」
名前を呼ばずに、騎士なんて、と蔑むような目をして、つっけんどんに言った。一地方の娘には、護衛兵士の一種類くらいの認識かも知れないが、カルローグは身分は男爵でも、国王や四方公爵に直言を許される、幹部の一人だ。つまり、ただの領主であるガレシ伯より、地位は高い。
「なるほど、婚約者以外には触れさせないと。貞淑な方ですな。」
胸に手をあてる礼をして、カルローグは色気もふんだんにまぶしながら、非礼をそう受け流した。騎士なんて、『遠海』なんて、と程度の差はあれ、サリーカと同じような目をしていた周囲の御婦人方が当てられて、そわそわと目の色を変えたのが分かった。大人の男とはかくあるものか、とイシュロアは感心している。
「ま、まあ婚約者なんて、」
サリーカは頬を染めて、ちらちらと隣の男を見遣る。
同時に、適齢期の娘たちとその保護者が緊迫している。次期ガレシ伯は、オレノで一番の婿がねである。
「婚約者ではないんだよ。」
ティバレスは微笑みながら、しかしはっきりと否定した。
「おや、そうなのですか。お披露目という大事な場にお連れになっているし、とてもお似合いでしたので、てっきり。先走って、申し訳ありませんでした。」
「…お似合い…そう見えますの?」
目に見えてがっかりしていたサリーカが、騎士の言葉に目を輝かせた。現金なものだ、と言いたくなるが、イシュロアにいま発言権はない。
「ええ。衣装も共布をお使いでしょう? どちらも妖精の寝台で仕立てられたものでしょう? ティバレス卿の手袋とお嬢さんの帽子は、不炎実のもので、対のモチーフが刺繍で入っている。」
「お詳しいのだな。」
ティバレスはびっくりしたように自身の手袋と、娘の帽子を見比べた。
「王都では貴婦人方の傍近くに上がる機会も数多いので。これくらいは弁えていないと、それこそ騎士なんて、と言われてしまいます。」
そういうものか、とイシュロアからの尊敬の目に、青年の上司にもう少し教育しろ、と内心呟いている。
事前の調査と、後は面の皮が物を言うのだ。
「参ったな、わたしは全然気づかなかったよ。」
照れたようにティバレスは笑った。イシュロアと同種の眼差しである。
「療養生活が長すぎて、こういった習わしはさっぱりだ。」
さもありなん。それなのに、婚約者気取りの装束を押し付けたのか、と周囲の目がきつくなったが、カルローグが呵々と笑って場を和ませた。
「なに、年若い女性の、かわいらしい独占欲ですよ。それを味わえるなど、ティバレス卿は罪作りなお方ですな。」
「そう、いうものなのかな?」
「ええ。」
「そうだね。お任せしてしまったのはわたしだしね。」
ティバレスは素直に頷いた。育ちのいい青年(というにはやや籐が立っているが)そのものだ。カルロークは、手を伸ばすとぐっとティバレスを引き寄せた。遠巻きにしている護衛が、緊張するが動くより前に放してやる。
「悪所に興味があれば、いつでも。」
ほぼ耳に唇をつけるようにして、低い声を流し込んだ。カルローグが身を引いた後、吃驚したように耳に手をあてたティバレスはじわじわと真っ赤になっていった。
「せっかくお体がよくなったのですから。すぐに相手を決めずとも、と気楽なわたしは思いますが」
「う、うん。そうなのかな、えーと。」
年はカルローグより上だと思う。長く病気を患って世間と隔絶されていたせいか、年相応ではない。
「まあ、ガレシのような由緒正しい家ではそうもいかないのでしょうけれど。」
「そうだね。祖父は高齢だし、わたしも若いとは言い難いからね。イシュロアのような年のころならば、まだのんびりも許されるのだろうけれど。しょうがないよね、こうやって人並みに動けるようには、いまでなければ、ならなかったのだから。」
それでいて、達観した口をきくギャップが面白い。
「じきに華燭の典も開かれて、ますますガレシは安泰でしょう。弥栄弥栄。」
「その時はぜひ訪ねてほしい。」
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで恐縮です。」
主役をこれ以上独占はできませんね、と辞去の挨拶に続くとだれもが思った中、ふと思い出したようにカルローグは言い出した。
「目は大丈夫ですか?」
「----目?」
先は両目を晒していたが、今は黒い眼帯で左目を覆っていた。
「披露目の場で涙を流されていたので。」
「いやだな、見られていたのか。」
照れたようにティバレスが応えた。
「薬の副作用なのかな。明るい場所だと、たまにああなってしまうんだよ。こうして塞いでいればいいんだけれど、さっきはさすがに外さない訳にはいかなかったからね。」
「そうでしたか。しかし、副作用ということは、じき収まるということですね。」
「薬ももう服用していないし、----やがてね。」
いまは一つだけの澄んだ瞳で、ティバレスは晴れやかに笑っていた。
カルローグ、いい仕事をしています。




