18 茶会は渦を巻く
息子を紹介しよう、と彼らの背後から老伯のしわがれた声が響いた。
楽団の演奏も、多くの人々の歓談の声も、ぴたりと止んで、あちらこちらを向いていた視線が、一つの方向に集まる。ごくなだらかに高くなった東屋にガレシ老伯は座を占めている。先ほど挨拶をしたときは、彼はまだ居なかった。いつの間に来たのだろう。赤銅色の髪が見えた。丘の下を見下ろして、その男は一礼する。
初夏の風が、そよ、と葉擦れの音を奏でる。午後の陽射しは鮮やかだが、高原特有のさらりとした気候のため、随所に設け下られた日傘や木陰の下ならば心地よい気温だ。
なのに。
ぞくりとしたのだ。背中をせり上がった不快感の理由は不分明だ。何てことのない風に意味なく体が震えてしまうこともある。生理的な反応と思おうとしたが、周囲でも、幾人かが奇妙な何を飲んだような、あるいは困ったように視線を泳がしているのが視認できた。
「次のガレシ伯を名乗るティパレスだ。長く病を得ていたが、先ごろ良き医師を得、良き薬師を得、快復した。」
伯の背後にいる数名が医療団と推察された。
「先生方は、嫡孫を亡くした後の我が家に、再び灯明を灯してくださったのだ。跡継ぎとして、ティバレスを立派な姿に戻してくださった、まさに神の技を持つ先生方には、厚く感謝するところだ。」
大仰な謝辞だが、それほどに老伯の感動は深いのだろう。
「皆の前に立つのは、ほんの子どものとき以来、随分と久方ぶりだ。不調法は儂に免じて許されよ。」
男は祖父の言葉に男は再び礼をする。中肉中背に見えた。遠目にしても、顔色や姿勢に長く病を患っていた気配が感じられないのは、伯の言葉通り、本復した証なのだろう。
「儂の不徳さ故、この年まで跡継ぎを定められず心配をかけたことを詫びる。」
朗々と老伯の声は響く。決して美声ではないが、届く声だ
「『遠海』も新しい主を得た。我がガレシも新しい主を迎え、さらに新しき栄の時代を迎えよう。」
はあ?というように、カルローグが頬を歪めた。たかが、一地方領主が国王を同列の引き合いに出す異常さに誰も気づかないのか。
ガレシ万歳、オレノ弥栄、と声が上がり始める。浮かされたような熱が一帯を満たし始めていた。余所者はひたすら居心地が悪いか、飲まれて一緒に渦に落ち込むか。
今まで黙って祖父の傍らに立っていたティバレスが、ここで一歩前に踏み出した。す、と手を挙げる。応じた群衆は熱はそのまま、声を抑えて、ティバレスの行動を待った。
「我はティバレス。スチュアード・ガレシの一子、フレイドルの子なり。我はガレシとともにあり、オレノを護るもの。正位に立ち、大道を行うと、いまここに誓う。」
抑揚は薄いが、声はよく通った。戴冠式か、と突っ込んだ一部を除いて、群衆の熱は急上昇した。再び、ガレシ万歳、オレノ万歳、スチュアード万歳、ティバレス万歳ーーと、声が上がる。熱を増して、声量は上がり、万歳万歳万歳弥栄弥栄、と波頭に砕ける波のごとくに重なり、熱狂が渦を巻く。
一つ掛け違うと群衆事故につながりかねない、と危惧するカルローグは、何とか外縁に移動できないかと思案していたが、その動きがむしろ危険をもたらしそうだ。晴れの場での惨事は望むところではないだろうから、ガレシの制御能力に期待して動きを注視するに留める。
「…泣いている…?」
てっきり渦に巻き込まれているかと思っていたカティヌは、冷静な目でこの一幕を見ていた。客観的な眼差しに、さすが小説家、と名乗るだけのことはある、と関心を深めた。
「だれが泣いているのです?カティヌ嬢。」
「あの、ティバレスと名乗られた方ですわ。」
すべて、祖父のお膳立てだろうから、と老伯や周辺の様子にばかり気に取られていたカルローグは改めて、主役に目を凝らした。
「あの方…ずっと左目から涙を流し続けているんです。」
顔は微笑んで、手を緩やかに振り続けているが、その左目だけは明るい太陽の下、瞬きの一つもせず、止まることのない涙をこぼして、頬を濡らしていた。




