17 箱庭考察
スチュアード・ガレシ伯爵----ガレシ老伯は、かの戦役時、主を喪った白公領の南西部を含むオレノ高原地域に、『凪原』を侵攻を許さず守り切った人物として地元の評判が高い。実際、白公領北部は物的人的ともに相当に荒らされたが、老伯は交渉力と統率力を発揮して、侵攻を食い止めた----という。
それはあくまでこちら側の評価だ。向こう側は、見捨てた、壁として利用した、と憤る。自領も守れず何を吠えるのかというのが老伯の言い分だが、老伯は傘下を守るために利敵行為を行っていたという訴えは、終戦後度々王都に届けられていた。王府はプラスにもマイナスにも、老伯を幾度も召喚したが、高齢を理由に丁寧な返書が戻されるだけだ。
国土を守った志士なのか、利己的な売国奴なのか。未だ、論功行賞も断罪も滞っている。『遠海』に余裕がなかった---とは、怠慢の言い訳か。
「門前払いかなしのつぶてのオレノVS矢の催促の王都の板挟みで、トーゼス様も、うちの隊長も、禿げそうだと愚痴ってました。」
上司たちに対して飄々と二番格のネイドグが言う。カルローグは、カティヌのエスコートを遂行中で、内苑の方に行っている。
「あの二人の上をいくか、ガレシ老伯は。」
「そりゃ、年季が違うって言うか。我らの年のころなんて、あちらからしたら、殻を頭か尻につけたヒヨコでしょうよ。あり得ないですよね、四方公爵の代官を袖するとか。『遠海』の領主なのに? とにかく塩対応すぎるから、オレノは独立宣言でもする気かと、探りは入れてました。」
「ああ、報告書は回ってきていた。」
確証は得られていない。だが、放置するのも限界の時期だ。
腹に据えかねていたのだろう。騎士は大きく頷いた。
彼らは『遠海』の騎士である。
白公領なら、通常は私兵(家臣団)だが、現在は非常事態ということで、中央兵団と文官が公爵領とはいえ、一領地に派遣されている。どうせエヴィの命令をきくのは同じだから、と当たり前に受け入れてしまっているが、実は立派な公私混同で、業務上横領と非を鳴らされてもおかしくない。
----この非常時でなければ。
ずたずたに引き裂かれた国の、その形を調えるために、まだ暫くの時間が要る。国王と四方公爵の独裁は、覚悟だ。
「この地は平和を象った箱庭だ。」
青年は評価した。セリダに滞在した数日にわたって見て歩いた風景は、大戦が遠い世界の出来事であったかのように無傷で、無関心だった、と述べた。
大事なもの守り切ったその手腕には感心する。
そして。いったい何を引き換えにしたのか。
柵で安全に囲ったヒヨコにエサを撒いて「いっぱい食え」という時間は、柵から取り出して「食う」時間の中に必ず回収される----世界は環を描く、と殻つきのヒヨコたちでも知っている。
ガレシ館は覚えている以上の賑わいであった。
旧知の顔の間を抜けながら、新しい顔と名乗りを交わす。いきなり新入者が現れるわけはなく、いずれかの関係者であることが前提だ。婚姻によるものもあるが、やけに多いのはテダンの名を挙げる者たちだ。テダンが懇意にしている商家から、という者たちの雰囲気に引っかかるものを何度か覚えた。
上等の衣装と丁寧な言葉で上辺を繕っている感----どうにも柄がよろしくない。
振興の商家なので、こんな上品なところは足が竦んでしまってますよ、とへりくだってはいるものの…。
保養地を除けば、余所者に隔意を抱きがちな田舎だし、地主(貴族)と平民の壁は厚い。《暁》風にもっと柔軟にならねば、と思うが、
「今後ともよろしう…」
上目遣いの、へへへへ、という笑い声付き。生理的に、むずむずする。はっきり言ってしまえば、気に食わない。ただ、それが自分の閉鎖的な気持ちからなのか、警戒心なのかがよく分からない。
外苑から中苑、そして内苑へイシュロアは進む。小領地とはいえ当主(と配偶者。今日は彼の母親)であるから許される場所だ。
館の主は、小高い所に設置された東屋にいた。運ばせた特別製の椅子に座り、体の前についた杖の柄を両手で握って、次々に訪れる客の挨拶を受けている。客は長い口上を述べ、老伯は二、三言の言葉を返す。よくある、玉座における王の謁見のような図だ。現代の『遠海』では最も高貴な二人は、忙しそうに駆け回っているか、執務室で書類に埋もれているのが日常だが。
----ふと、何かが引っかかった。
そもそも平騎士の身分であるから《暁》に配属となったからといって、特に面会の機会はなかったが、忙しく移動していく姿を遠目に見かける機会はあった。
雷が落ちたように、という形容は、こういうことか、と後々思い起こした衝撃が、イシュロアを貫いた。真っ白になった。慌てて、外苑がある方を振り向いた。駆け戻りたかったが、傍には母がいて、ちょうど挨拶の順番だった。
代り映えのしない口上を、半眼で聞いていた老伯は、《暁》の一言で瞼を震わせた。垂れた瞼の下に半ば隠れながらも鋭い光を湛えた目がイシュロアを見た。
「《暁》にお勤めか。」
「はい。まだ数か月ですが。」
「----なるほど。若いうちは大いに外で働かれよ。オレノの子は優秀だと知らしめてもらいたい。」
会話自体は、他の人と同じくらいの長さであったが、と決まり文句ではなく激励するような言葉を言うから、イシュロアの株はぐんと上がったようだった。声掛けが増え、つり合いがとれそうな娘の紹介数が、ぐんと上がった。母は満足そうだが、イシュロアは、早く青年に会わなくてはという気持ちで急いていて、心ここにあらずである。
「なかなかな人出だな。」
と、顔を見せたのはカルローグだ。レージ夫人の同行の同行者としてここまで入り込んだようだ。騎士服ではないが鍛えられた体つきははっきりとわかるし、容姿も申し分ないから、すれ違った相手がつい二度見して視線を集める存在感がある。
「…あの方はどちらに?」
この人は護衛ではなかったのか。こんなに自由でいいのだろうか。
「池の方で待機していると言ってたじゃないか。お嬢さんもこちらには来ないようだし。」
「あの、----あの方は、その…、」
全体には真っ青で、血走った目で、頬は紅潮して、という形相に察したらしい。
「まあ、そうだ。」
「なんで・・・、」
「療養だろ。」
そうだった。確かにそう承った。いや、でも----そこで、もう一つ雷が落ちた。
青年が大事に護衛するあの少女は。
「----え?」
縋るように見た。
「そちらの方が最高機密だな。」
茶化すように言いはしたが、目は笑っていなかった。
心せよ、と。




