16 秘密は泉のもとで語れ
50話めとなりました。
店の中から、慌てた様子で出てきた店員が、「閉店」のプレートを掛けた。開店したばかりだろうに、トラブルでもあったのだろうか。
カティヌはその店の看板を探す。コップに似た形の、金色の小さな花がやや下向きに咲く様子がデザインされている。
「〈妖精の寝台〉のオレノ支店だな。」
すかさずカルローグが教えてくれた。
「聞いたことがあります。大きな都市に店を構えている・・・服飾店?」
「あちらの《不炎実》も、ラジェが本店の店だ。帽子で有名らしいぞ? あちらに入ってみようか? 」
ようやく出番か、と騎士は誘いかけてきたが、
「こんなお高そうな店で買い物になんて入れませんわ。」
と、肩を竦めた。
「わたし、勤労夫人を目指して許されるくらいの家の出ですのよ? 小説家として、個人的に少しの収入はありますけれど、」
教員としての自分にふと立ち返って、広場を見渡して生徒の居所を確認する。
パールラティはひとつの建物が特に気に入ったようで、近くなったり遠くなったりしながら、ひたすら眺めている。ナナアは木陰のベンチで本を読んでいる。セアラヴィータとその友人たちは、入る店の選択に悩まされているようだ。あとは、
「こういう店で買い物をする様子を、見てみたいとは思ってますけれど。」
「…小説のために?」
「ええ、一見に如かずですわ。」
広場近くの高級服飾店で買い物にをしようとするルトゥナに、送るだけだった彼が付いてきて、あれこれ注文をつけた挙句に自分好みの服を買い与える、というシーンを書きたいが、どうにも店内の描写がぼんやりとしてしまうのだ。
カラン、とドアチャイムが鳴って、〈妖精の寝台〉の瀟洒なガラス扉が再び開いた。自然と視線を向けた二人の前を、青年がひとり通り過ぎる。カティヌは濃い金の髪に朱色の房が見事な配分で散る、何とも華やかな髪に目を奪われた。顔の造作は確かめる余裕もなく、後ろ姿となった青年を見送る。おろしたてのぱりっとした服だ。
噴水階段に近づいていく青年を目で追って、カティヌは最後の生徒を見つけた。噴水の外枠に腰をかけて、噴水を眺めている----と、認識したのに、瞬き一つで、彼らの姿はどこにもなくなった。
「…え?」
湯気を上げながら段を流れてくる噴水を茫然と見つめ、それからぎくしゃくと顔ごとを左右を見渡した。
「あの、」
「どうした?」
同じ方を向いていたのに、騎士は平然としている。
「見ましたよね!?}
「何を?」
「いま、若い男性が噴水の方に歩いていって、噴水のそばには、うちの学生の一人がいて、」
どこに?というように、騎士は周囲を見渡した。噴水の前には、だれもいない。
「〈妖精の寝台〉からは、確かに男性が出てきたが…、」
オレはあなたを見ていたので、という、ベタすぎる台詞はどうでもいい。
「消えたんです!! 一瞬で、あ、いたな、と思ったのに、もういないんです!!」
悲鳴に近い声になって訴えたが、騎士は困ったように彼女を見下ろすだけだ。
「少し向こうで涼もうか。取材に少し根を詰めすぎたのでは?」
「でも、シェールがいなくなって、」
「どこかの店内じゃないかな?」
「でも、噴水の前に!」
「うん、でもいないだろう?」
「だから、消えたって、」
「人は消えないよ?」
「でも…!」
あくまで見間違いを貫くべく平静を貼り付けたカルローグはどういうつもりだ?と、突然本体で現れた挙句、不用意な真似をしでかした上司に恨み言を心中で繰りながら、混乱状態の女性を宥め続けた。
青年の左手が風を撫でる様に動いた。ふ、とすべての音が遠ざかった。
「…なにしたの?」
「遮蔽した。」
「…体は大丈夫なの?」
「どいつもこいつも、俺をどうして療養の身にしたがるんだか、」
青年は苦笑いで応じた。
「何としても、お休みを取っていただきます、と|《暁》の連中結託しやがって。俺が断ったら、気に病みそうな新入りを供に寄越すとか、気を遣うところを間違ってるだろ?」
「よく理解されているんじゃないかしら?」
嬉しそうに言うシェールを不思議そうに青年は見た。
「エヴィが、ぎりぎりまで黙って頑張りすぎるって。」
「----そうか。」
「そう。----それで、何の御用?」
立ち上がる。初めて会った頃よりはずっと目線は近づいた。同じ高さでいつも交わっていたライヴァートと青年にはなれないけれど、レオニーナとマシェリカの中間くらいには伸びたから、青年がちょっと下を向いて、自分が顔を上げれば、きちんと目を合わせられる。
「『真白き林檎の花の都』に戻るのなら、このまま送る。」
青年の掌が地面に向く。足元が淡く光って、薄く透ける。覗き込んで、うんざりした顔になる。
古い土地には付き物とはいえ----シンラの門。
「友だちが一緒なの。なんとでも、誤魔化す、と言うんでしょうけど…そんなに危ないの?」
「どれくらいは、まだ確かじゃない。」
「でも、何かはある、んだ。」
青年は守り、シェールは守られる。それは互いの義務だ。
うつむいていた。
----頷けなかった。
「…あと、ちょっとだけ。明後日の早朝には『真白き林檎の花の都』に発つの。ちゃんと護衛から離れないように気を付けるし、端の方で大人しくしてるから。」
この思い出を取り上げないでほしい、と願ってしまう。
「----やはり、そうだよな。」
青年は、軽く息を吐き出すと、しょうがない、と笑った。誰かが我を張ったり、成功が見えない道を進まざるをえなかったり。そんな時に、手を考えるのはいつも青年の役割だった。何とかしよう、という時の顔だ。
「子どもは我がまま言っていい、と言ったろう?」
が、その言い方はどうだろう。しかし、文句を言う前に、
「大人が楽したいとか思ってはだめだな---うん、撤回する。悪かったな、困らせて。」
と言われては、眉を寄せるしかない。
つん、と眉間をつつかれた。
「早くに皺ができちまうぞ?」
「言、い、方!」
まだ何も隔てがなかった頃のようなやり取りだ、と思った。---のに、笑顔のまま、青年は続けたのだ。
「----イシュロアはどうだ?」
「どうって、」
「引き合わされたのは偶然だが、本人も家も悪くない。弟もいるし母君も元気だ。彼が当主を降りても、引き継がせるに問題はない。王都の隙あらば甘い汁を吸いたい連中にはない素朴さがいい。そういう連中と渡り合わせるには、本人は経験が全く足りてないが、いくらでも鍛えてやれる。素直だから伸びるだろう。」
途中で、何を言いたいのか分かった。
再婚相手に薦められている、のだ。
青年に悪気はないし、自分の将来を真剣に案じていることは分かっている。
だがしかし。
「…考えられません。」
だがしかし。
「一考はしてみるといい。次はちゃんと自分で選んだ相手でいいんだが、基準がないと決めにくいのではないかと思ったんだが?」
婿入りできて、当人に家族にも野心がなく、妻を立てることのできる人が望ましい、という観点を示したかったらしい。
時は迫っているが、これをデリカシーがない、というのではなかろうか。
「わたし、だけの話ではないでしょう? 陛下や、エヴィ自身だって、」
あの頃、国を進めるために必要な三すくみの処置だった。であるから、三人ともに、互いの手を解く必要がある。
「陛下の縁談も進めさせている。発表はやや陛下か先行の、ほぼ同時期がいいと考えている。俺は、」
僅かなためらいの間を感じはしたが、言葉はさらりと継がれた。
「《暁》の館に妾を入れた。」
倫理に悖ることを言い出しまして、たいへん申し訳ありません。
思いやりをはき違えているというか、朴念仁度が高い…いずれ、詰めます? が、この件に関する詳報は次編以降となります。




