13 因
「デューン、と呼んでいるあの人に会わなくてはいけません。」
と、千切れて飛んだ花陸の少女は、思いつめた眼差しをしていた。
「事故だと思うんです。シンラの。たぶん。そうとしか。」
少女が≪真珠の家》の門を叩いて、二日だという。明るく振る舞っていたが、漸く相談できる相手を迎えて、緊張の糸は切れたようだ。不安と焦りが隠し切れない。
シンラ、という単語が出てきて、何となく察するものがあった。
「…私、学院の校外学習でオルノ高原の領主館を訪れていたんです。家政を知るために、侍女や側仕え、メイドを体験して、使う立場になった時に生かそうという授業課程で。」
「行儀見習いの一種かしら?」
商家の娘が地方貴族に、地方貴族の娘は中位貴族に、上位貴族は王族に。数年単位で仕えて、箔と伝手を作る。
「十日くらいです。働くのも、お昼休みありの3時間3時間で。友達はままごとみたい、と言ってました。」
「聞いた感じ、正しそうね。」
『真白き林檎の花の都』で、友達と呼べる相手ができたのなら良かった。
「夏の小旅行のようで、私はどこにも出かけませんから、気分転換になりました。」
彼女はシャイデの地理に明るくない。転戦した場所ならともかく。高原、ということは、海沿いではないだろう、くらいである。
「最後の数日は、ちょうど、地域の中心領主が催される狩猟会や庭園茶会、舞踏会などがあるお祭りと被りまして、実習先の奥方がせっかくだから、とお誘いくださって同行が決まったのです。」
「楽しそうだわ。」
「サクレでも、おまつりがあって、賑やかだったのは覚えています。これは、勉強になるな、と楽しみにしていたのですが、」
---うん、真面目だ。自分の前に敷かれた道のために、学ぶべきことは何か、正しく見据えている。
「そこに、毎年一緒に参加されているという隣の領主様の供としてエヴィが来てしまって、」
「…意味が分からないわ。」
隣の領主の供?
だれが供? 隣の領主は何? どうしてエヴィ?
「偶然?」
まず、そこが疑わしい。
「偶然らしいです。」
「本当に?」
「吃驚していました。」
「…領主の供って、転職するわけもないのだから、微行して、目的は?」
「《暁》に所属している方らしいです。エヴィは、あんまり休まなすぎるから無理矢理休暇に出されたとか?」
「上司に休暇を出すなんて、おもしろい職場ですこと。」
さすが上司が上司だけある…と、そこは納得したが、
「彼がすんなり応じたあたり、何か思案がありそうですけれど…、」
「オルノ高原には来てみたかった、そうです。あ、オルノ高原は温泉もあって、避暑地、高級保養地として有名な場所です。」
彼も人の子だ。あの頃から、年齢も上がって、もしかすると贅沢も覚えて、高級保養施設で温泉を楽しみたく----なったのなら、部下の供なんてするはずがない。
絶対に目的がある。休暇もオルノ高原行も、絶対どこかで仕込まれて、自然にそうなったように見えるだけに違いない。揺るがぬ信頼で思った。
「…いいわ、とりあえず偶然、カノンとエヴィは再会した。それで、どうして、あなたが単身北の花陸に来ることになったの?」
少女は首を傾げた。
「ガレシの----中心領主の家名です----庭園茶会に参加してたんです。お庭を眺めたり、彼方此方に設えられたテーブルでお茶とお菓子を楽しんだり、パーラ----父君が副学長なので、私の事情を知っていて世話役みたいなところからはいりましたけれど、今は友達です----が、ずっと傍にいてくれて。エヴィは、たまに遠くに見えましたけれど、話しかけてくることはありませんでした。」
昼の会といえど付き添いを欠かさない、年若い令嬢として実に好ましい参加だといえよう。領主の供、という他人を騙っている以上、近づかなかったエヴィも正しい。
が?
「庭にシンラの門があったのかしら?」
「いいえ、それらしきものは確認しておりません。」
一応は冗談だったが、少女は真面目に答えた。
「…でも、私は気が付いたら、一人、この街に立っていました。坂を下った中腹の、花屋とパン屋が並ぶあたりです。振り返ったら、ずっと下に夕方に近づいた海がきれいに見えて、これは違うところに渡った、と気づきました。」
「…感心するわ。」
冷静すぎる。
「慣れ、でしょうか。」
『遠海』でも有数の権門生まれの年若い姫君だが、越えてきた修羅場の数が違う。
それにしても。シャイデからノーデ。蒼苑海を季節風に乗っても二月近くの、命がけの船旅だ。その距離すら、一瞬で零にするのか。
「シンラの門じゃないとすると?」
エヴィ、しかない気はする。
空間や時間を理から外す術を、あの人々同様に彼は手にしている。
「…分かりません。」
少女は、静かに首を振った。
何かを抱えた目だと思う。命がけの日々を過ごしてから空白がある。すべてを明かせと、迫れる距離はない。
「…あなたが、無事で良かった。」
懐かしい友には、伝えたい言葉を告げよう。
板子一枚下は地獄、が身上である。思いは残さないことにしている。
荷物は一切なく、デイドレス。
仙桜でなければ、
《真珠の家》を知っていなければ。
少女の物語は続かなかった、ろう。




