11 茶房の邂逅
劇中劇『星の涙 凍える闇路』の一節から始まります。
声(一方的な会話)が途絶えていたことに、さっぱり気づいていなかった。長い物思いから覚めたのは、椀を取り換える気配に気づいたからだ。殆ど手を付けていなかったから、すっかり冷めきっていただろうが、取り換えを頼む、気の利いた人だったろうか、と正面に座る人に焦点を戻して、リエンヌはぎょっとした。
「ど、どうしてこちらに?」
人が替わっていた。凡百の、雑踏に埋もれてしまう婚約者候補ではなく、大海の波間に在っても光り輝くだろう青年である。
「あの、そこにいた…、」
「席を譲ってほしいと頼んだら、快く退店してくれたぞ。」
退店。話が終わるのを、別席で待っているのではなく、退店。どんな圧を感じたのか----いや、無理もない。
微行の時と違い、いまはオーラを抑えていない(全開ではない)。つまり、人目を惹きつけ威圧する。
「飲んだらどうだ?」
給仕が取り換えていった椀を示して、青年が言う。先までとは別の意味で喉を通りそうもなかったが、ほとんど意地で取っ手をつまみ上げた。
いただきます、と一口。
「…これは、」
前のお茶とは、雲泥の差だ。
「彼が、この店唯一の専門家だそうだ。さすがに上手く入れる。」
直立不動で控えていた男は、ぎくしゃくと礼をした。青年が軽く手を上げると、ワゴンを(縋るように)押して下がっていった。
高級ランクの人気店だが、だれでも専門家のもてなしを受けられる訳ではない。マイスターの指導の下に入れた茶が提供されるのは、暗黙の了解だ。
リエンヌも、そこそこ常連だがマイスターが手ずから入れた茶は初めてだった。総てを取り仕切っていて忙しい、というのもあるだろうが、いかにももったいぶっている。そして、それが入れてもらった時の優越にもつながる。
そのへんの優越などお呼びではない青年には、ただ普通のサービスだろうが。
暫く黙って味わったのち、リエンヌは思い切って口を開いた。
「お連れ様はどちらですの?」
「護衛なら、控えの間で待たせている。」
「そうではなく、…ああ、待ち合わせ、いえ、違いますね、待ち伏せですね?」
確信が籠る。
しかし、今日は絶対ルトゥナはここには来ない。なぜなら、
「彼女は今日は、エデス河近くの珈琲店だろう?」
「!?」
「茶房の予約と交換した、んだったな。」
なぜ、知っている。国中、いや花陸中に諜報網を持っているというから、女の子の会話など朝飯前の筒抜けか。いや、それは気持ち悪い。
「ま、まあ、早耳でいらっしゃるのね。」
と、言えた自分を誉めたい。かち、とソーサーにカップの底が当たった音は落第だが。
「では、なぜこちらに? ルトゥナがいないと分かっているのに? ああ、わたしに文句かあおりなの?」
断罪される悪役令嬢を演じる気持ちはこういうものか、と思いながら、悲しげな顔をして、
「 わたし、今日はどうしてもお茶の気分でしたけど、ルトゥナに無理強いして換わらせたりはしてませんわ。丁寧にお願いはしましたけど。」
「そんなことは思っていない。」
「信じてもら……え?」
「むしろ頼んだのは、あれだろう。」
あれとか、いうやつがアレだが。
「わたしは、まあ、どちらでも良かったので、」
「茶の気分ではなかったのか?」
「か、彼とならどこでも構わなかったんです!」
「ずいぶんと上の空だったが?」
「き、気を許しておりますので、」
ああ云えばこう言う。よほど、ルトゥナをつかまえられなかったのが腹に据えかねているようだ。
かつては、青年に言われるままにルトゥナの逢瀬の邪魔をし、ルトゥナの親友(いまも親友だ、本当に。)となって、青年の前に差し出すような策も幾つもやった。
かわいそうに怖かったでしょうと、ひどい目寸前で難を逃れてきたルトゥナを、早く青年のものになればいいのに、という気持ちと、ルトゥナしか見ない恋しい人への苛立ちの、醜い顔を、優しげな仮面で隠して、慰めた。
ぞっとする。
「とにかくルトゥナはおりませんわ。私など相手にうさをはらすより、追いかけてはいかが?」
「エデス公園を封鎖するのはやぶさかではないな。」
ゾッとする提案に、まあご冗談を、と顔が引き攣らないよう微笑む。
「リエンヌ嬢は先の男と婚約するのか?」
「…さあ? それはわたしではなく、叔父さまにお聞きいただければと思いますわ。」
投げやりに言えば、不服そうに青年は眉間に皺を寄せた。
「自分のこととなれば、あなたは随分型にはまったことを言うのだな?」
嫌味だ、と判断した。なのに、青年とルトゥナの関係を邪魔するのは筋が合わないと言いたいのだろう。
それはそうだ、ルトゥナは主人公だ。彼女が、ちゃんと幸せになることは分かっている。
だが、リエンヌは世界の中で破滅する当て馬だ。いま、まだ、踏みとどまっているが、先はだれも知らない。
青年の対応で精一杯だ。叔父の思惑はどうしても後手にならざるを得ない。
つん、と顎を上げる。
「わたし、ルトゥナがとてもとても好きなのです。ですから、」
青年に、挑むような口を利く者などいないだろう。
「ただ、友達に幸せになってほしい、と願っておりますの。」
---聖人すぎる、気がする。
雰囲気高級、椀は特級、味特筆なし、のお茶を手元で揺らしながらカティヌは考えている。
ルトゥナがとても好き。これは言わせてもいいだろう。しかし、続く台詞は、もっと露悪的な方が、青年の興味を惹くのではないだろうか。
---あの彼なら、どんな瞳をするだろう、と思わず視線を動かしたが、イシュロア卿の家人をしている人物が店内にいるはずもない。代わりに、別のテーブルに陣取っている自称「おもしろい男」が気づいて、絶妙なタイミングで片目をつぶってくれた。
かなり派手な容姿だが、一般的に見てくれのいい部類で、かつ社会的地位のある大人だ。軽い気持ちだと律した上でも、悪い気持ちはしない。そっと視線を外しながらも、小さく会釈をする。
「…あの方たち、」
教師として居るカティヌの席次は高くなる。レージ夫人の冷ややかな声が耳を打つ。
「こちらのついでに入れたことを分かっていらっしゃらないよう、」
「…職業柄、たくさんお食べになるのではないですか?」
こちらの席には、お茶が一杯と、みんな同じケーキが一つずつと焼き菓子が数枚なのに対して、あちらは数種類のケーキと軽食のスタンドを各自がとっている。お茶もお替り自由だ。
お会計は別、ということだから、夫人が気をもむ必要はないと思うのだが。
「下品ですわね。」
夫人は吐き捨てるように言った。
「成り上がりものに仕えると、ああなるのかしら。」
これに反応したのはイシュロア卿だ。
「どういう、意味です?」
夫人は、はっ、としたようだった。隣の地所で、幼いころから知っている相手が、『遠海』の領主の一人で騎士として奉職していることをやにわに思い出したらしい。
「あ、あら、成功した人に仕えると気持ちが大きくなるのね、と。もちろん、だれもがということではなくて、」
「 夫人は、我が国を貶められるのか? そも、成り上がりとはだれを指す? 陛下も閣下も、この上なくただしい御血筋だ!」
「---ま、まあ、」
慌てて口を挟んだのは、レージ当主だ。
「お前、考えなしに喋ってはいけないよ?」
「考えなしなんて、みな、言っていることではありませんか!?」
「みな?」
「ええ、オレノの皆ですよ。」
そんな当たり前のことを知らないなんて、と蔑む様にいう夫人にイシュロア卿が思わず立ち上がり、きらびやかな室内に剣呑な雰囲気が立ち込めかけた。
「お茶、ごちそうさまでした。『真白き林檎の花の都』にはない趣のお店で楽しませていただきました。」
雰囲気に動じない、いっそ堂々たる様子で話を断ち切ったのは、シェール。
「お招きの、もう一つの目玉、あちらの扉からオレノの広場に出てみてもよろしゅうございますか? 確と語れぬ『遠海』のお話より、誰もの噂に名高い広場を眺めさせてくださいませ。」
あまり興味がないことに付き合う時、人とか、風景とか、見ながら、自分の物語に気持ち飛ぶことありますよね?




