10 寄り道すれば惑い道
オレノ保養地、あるいはオレノ泉と呼ばれる街は、街の内部に東西に分ける国境線が走る。
西側が五侯国、東側が『遠海』ガレシ領だ。
街は円形で、中心点が温泉の源泉とその管理施設で、取り囲むように広場。広場外縁、円周沿って保養施設・商店・飲食店が軒を連ねる。水源汚染を防ぐために、馬車や馬で広場に立ち入ることは原則できない。各施設は広場に向いた歩行者専用の扉を、城壁側に馬車止めなどを設けた正式な玄関を開く。
保養地を打ち出し、通常の生活色を切り落とすべく、この街に一般住居はない。夜勤など仮眠施設は備えているが、従業員は城門の外から通いである。
城門は、北東門(ガレシ方向)と南東門(五侯国方面)の二つで、門を通過する際のみ旅券(身分証)の提示が必要だが、街内は自由移動が可能だ。
レージの一行は南東門から入った。城壁と建物の間の緩くカーブを描く石畳の通りが、この街のただ一本の通りだ。高級保養地だけあって、軒を並べる建物はいずれ劣らぬ重厚さである。因みに城壁を向いているこちらは、街の内壁も兼ねているので、もしもの時を想定しての堅牢さも備えなければならない。対して、宿泊者あるいは利用者のみが出れる広場側は、各店舗が独自性を競い合った外壁になっており、いずれにも一見の価値があると言われている。
「----見たかったなあ、」
建物(建築)に目がないパールラティは張りつくようにして車窓を流れる建物を眺めつつ、頗る無念そうだ。
時計回りに通りを進んで、北東の門からでる予定と聞いていた。ところが、ふいに馬車は止まったのだ。何か事故だろうか、と案じていると、イシュロア卿が顔を覗かせた。
「夫人が、茶房に皆さんをお招きしたい、と申されています。」
「…まあ、ご親切に。」
サプライズで予約してくれていたらしい。同様に告げられて、ここまで聞こえるキャーキャー声の二台目と、一台目で温度差がありすぎだ。
「! わたし、向こう側に出てみたいのですが、お茶の後に出ることはできますか?」
とは、パールラティ。
「皆さん初めてだろうから、散策の時間も予定に入っていると思うよ。」
その返答に、よし、と小さ両のこぶしを握って、
「早く飲んじゃおう!」
と、身もふたもない台詞と共に、体験中一番うきうきした様子で馬車を降りて行った。現金な様子に苦笑いして、次いでシェールが馬車を降りる。イシュロアが差し出した手に軽く手をかけて、ステップを降りた。
----裳裾が見えた…気がした。旅装の、裾を汚さないようなデザインのドレスだというのに。
近くで接するのは初めてだったが、療養中?の高官が気にかけている少女なのだ。恐らく、相応の身分の出なのだろう(そして、それを隠しているのだろう)。最後に、一人で降りてきた娘は、はっきりとしわを眉間に刻んでいた。
「わたし、ここで待っていてはいけないかしら。」
だいたい無表情できたナナアが、はっきり不快を示しているのに、同級生二人は意外なものを見る顔で振り向いた。
「お茶と散策で、恐らく一刻を予定している。ここからガレシまで、まだ一刻近くはかかるし、登り坂も多いから、馬たちを休ませたい。従者たちにも小休憩と軽食の時間も与えるつもりだから、」
つまり彼女が馬車で休んでいることはできない。
「馬車酔いした?」
パールラティの問いに首を振る。
「もしかして、甘いものが苦手かな? いくらでも対応してくれるよ? ここはオレノでも指折りの茶房なんだ。一見では予約も取れない人気店だよ。」
「----ええ、そうでしょうね。」
甘いものは別に嫌いではないです、と素っ気なく言い継いで、肩にぐっと力を入れて、娘は入り口に向かっていった。他の二人が、会釈を残して追いかけていく。
女の子は難しいな、と見送っていたイシュロアのもとに、今度は白公駐留騎士の面々がやってきた。
副長は、きちんとカティヌをエスコートして、一度店内に入っていたが、ちょうど戻ってきて合流となった。
「ざっとだが、とりあえずの危険要素は確認されない。」
仕事も、いや仕事をしてきた男は、切り替える。
辺りに聞かせる、大音声に言うのだ。
「我らも入店せねば、話題が合わぬ。姫をがっかりさせてしまうのは忍びない。我らの席も設けられるか?」
「夫人と学生方のサーヴが落ち着いてからにはなりますが。」
「よし」
満足そうに頷く様子は即物的で、さもありなん、と朝からの男の振舞いを見ている周囲には、まったくもって腑に落ちる。興味を失って、視線は離れていった。
入店を待つため、壁沿いに移動した彼らは、
「恐ろしく高そうですよ、副長?」
「レージ夫人は、我らには奢らんでしょう?」
と、やや心配そうに、やり取りを始めた。
「心配するな。」
もつ、というのかと思ったが、カルローグは重々しく続けた。
「請求が、通る。」
まさかの経費。しかし、任務の費用経費にしては高額すぎて事務方が目を三角にして突き返してきそうだ、とイシュロアは思った。そこへ、
「ああ、うちに回してくれ。」
と、通りかかった風の青年からの言葉が入った。《暁》でも同じではないかと一人イシュロアは首を傾げるが、あとの面子は納得したようだった。
「好きに頼め。四方公爵の配下らしくな。」
に、と笑った。
「畏まりました。御身はどうされるおつもりですか?」
「使用人の控室一択だ。」
会話は終わりだと離れていく。いくら約束とはいえ、そんな場所に向かわせていいのか、とイシュロアは思わずカルローグを窺った。
カルローグは器用に片眉を上げ、一同の中では年かさの騎士が追っていった。
「こう華やかすぎるところは性に合いません。ご一緒させてください。」
と、話しかけるのを見て、イシュロアに向き直る。
「構わんさ。あの人が望まれるのならば、ここよりずっと格式の高い店だろうが、ただちに席を空ける。いまの望みは、そうではないというのだから、お任せしていい。」
「---あの、」
カルローグは、預かり人が何者なのか知っている。
どういう方なのですか、と問う前に、
「時が来ればご自分で名告られるだろう。お前さん、上司は…?」
「ナーグ伯です。」
「リセリオンか。奴が話さず、まだ彼が名告げらぬのは、時ではないということだ。そのまま待つといい。」
いずれ、必ず、時は来る----。




