8 虚構を目指して
劇中劇が、なんだか楽しくなってしまって。…オレノ高原、長くなってます。
高原地方の話が続いて、なにが「綿津見」編と思われるでしょうが、書ききって戻りたいと思います。今日もお読みいただいてありがとうこざいます。
カティヌは、とっさに木陰に身を潜めた。
引率中の生徒(後輩)が、見知らぬ青年(この館の者ではない)と密会中である?
話す内容はよく聞き取れないが、身内に近い距離感を感じる。シェールが何かを訴えていて、青年は渋い顔を崩さない。
青年がため息まじりに何事かを宣告し、シェールは俯き、頷いた。
「・・・昼食だから、」
と、軽い足音が遠ざかって。
「---さて、」
ぎょっ、と跳び上がるように振り向くと、彼女が隠れていた木の幹に手をついて、青年がこちらを見下ろしていた。薬指に指輪。
「気を遣わせて申し訳なかった、かな?」
リエンヌは、とっさに木陰に身を隠した。
「こんなところまで来るなんて!」
憤然と、怒りを面いっぱいに湛えてルトゥナは相対する青年をにらみつけている。
「お前が、」
随従の身なりなのに、貴族令嬢に向かって横柄な言葉遣いである。
「学園に引き籠もって帰省もしないから、俺がわざわざ足を運んだんじゃないか。」
わざわざ、に力を込めて言い、侮るように笑う。
「学問なんぞ、どうでもいい。早々に退学しろ。」
「お断りします。」
「ふぅん、一切の援助もなしで?」
学費も生活費も、一切を打ち切ると匂わせるのに、わなわなと身を震わせる。
「みじめに放校される前に、幸せそうに笑って退学届にサインしてこい。」
退路を断った、と確信した青年は少女に手を伸ばして引き寄せようとしたのだろうが、ルトゥナがその手を払いのけるのと、リエンヌが木陰から飛び出すのはほぼ一緒だった。
「だれか! だれか! 不審者です!」
目を瞠って、こちらを見たルトゥナの腕を掴んで、人目がありそうな方に向かって走り出した。
――進行を変えなくてはならない。
この物語『星の涙 凍える闇路』は、ルトゥナが主人公。彼女が多くの妨害を受けつつも、学問に励み、ひとつの自立した女性として生きようとするストーリーだ。その妨害のほぼ全てを企むのが、さきほどの青年で、リエンヌはこの場面で、逃げ出さず、彼に話しかけられるのだ。
「---さて、」
ぎょっ、と跳び上がるように振り向くと、彼女が隠れていた木の幹に手をついて、青年がこちらを見下ろしていた。
「みっともないところを見せてしまったね?」
と。
先ほどの酷薄で権高さを目の当たりにしていたのに、リエンヌはその微笑みと何より人を吸い寄せるような瞳に、ころりと騙されて――魅入られて、青年の企みに加担するのだ。
主人公に転生してハードに生き様を楽しめる器ではないが、破滅する脇役を生きねばならないほど業深くないはずだ。記憶を取り戻した以上、拒否一択である。
「あなたは、この屋敷の人ではないようだね? 生徒さん、かな?」
余所行きの取り繕った声だと分かっても、大人の艶やかな響きで、それだけではっと引き留められる。そして、目だ----こんな瞳、なのだ。
「…なんで理想的な、」
口に出すのは控えたと思ったのに、どうやら声が出ていたらしい。
悪役? と青年は当然不思議そうに繰り返したが、素が感じられるこの声もいい。
「し、失礼いたしました!! あなたが悪役ということではなくて、わたしのイメージする悪役に現れてくれたというか、これこそ、という天啓みたいな!」
「えーと、お嬢さん?」
「カティヌ・クナウと申します!」
「『真白き林檎の花の都』の学生さん?」
「『宿り木』学院の最終学年で、今回は教員代理として引率役を務めています。」
「それは…お世話になっている。」
「皆、落ち着いた後輩たちなものですから、わたしもつい創作意欲が湧いてしまいまして、」
「創作?」
「わたし、作家もしていますの。島内では読んでくださる方も多くて…シェールさんも、よく感想を下さいますわ。」
「うん、なる、ほど?」
「ああ、すみません。それで、あなたはシェールさんのお身内の方なのですよね? 」
きり、と突然表情を女教師然としてみた。
「身内でもない男性と、二人きりなど立ち話でも褒められた話ではありませんから。」
「わたしは、隣領のイシュロア卿に随行してこちらを訪っております、先生。『真白き林檎の花の都』の学校に通うお嬢さんと身内だなんで、とんでもない。わたしが一時期お仕えしていた方のお身内です。思いがけずお会いして、懐かしくてお声がけをしてしまいました。申し訳ない。」
「まあ、そういう設定なのですね!」
「…はい?」
心底、困惑した目が返ったが、カティヌは一人頷いた。
「ああ、ですが、だからと言って、正体を知りたいわけではなくて、正体を隠している雰囲気が素敵なので、ぜひ参考にさせてください!」
「…は?」
「敵役、悪役はやはり描写が難しくて。一章二章くらいの出番なら、ただ憎たらしければいいという単純さで構わないのですけれど。全編を牽引するには、主人公と同等、あるいはそれ以上の魅力を備えてなくては。主人公を惑わし悩まし、相手役を嫉妬させ奮起させて、最後の一瞬まで冷徹な振舞いをやってのけるのもいいですし、僅かな人間味を垣間見させていくのもありです。」
あなたはどちらでいけるだろう、と実像の向こうに設定を描いて、うっとり浮かされている。
「あなたとシェールさんとは直接ではない、薄い縁の、顔見知り程度ということにしておけ、ということで。ええ、心得ましたとも。」
ああ、書きつけなくては。もう、それだけが心を占めている。では御機嫌よう、とカティヌは場を離れることにした。
「…しておけ?」
思い切り訝し気な呟きを背で聞いたが、追ってくる声はなかった。
こちらの話から、「思惑」のラストにつながります。




