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3 客人

 エヴィ・マアユと名乗った「高官」は、気さくな、手のかからないひとだった。賓客用の客室は固辞され,初対面で口にしたように来客の随従が使う小部屋に満足そうに頷いた。部屋の清掃や洗濯以外の要求といえば,朝は厨房の片隅の机にパンとお茶、その日の卵料理,昼食にハム類にとパンと果物,水筒をまとめた包みを用意することだけ。夕食は,町の食堂を巡って摂っているらしい。

 当主としての事務処理や挨拶まわりに付き合わされていたイシュロアは,到着から数日を経て客人と玄関先で顔を合わせた。放っておいていいと言われても,くれぐれもと頼まれてもいる。任務である。外出の際には家人に追うように指示をしていたが,土地勘が上だと言うのにあっという間に巻かれているらしい。晩にその日の「飯屋」から来店の連絡で駆けつけて(誘われるままに相伴して)いると、日々,報告されている。

「ご不自由はありませんか?」

「ああ、ゆっくりさせてもらっている。」

とは言うが、屋敷と飯屋の合間に男が何をして過ごしていたのか,語る気はないらしい。

「ところで,明日から,となりのレージ家を訪問されて数日滞在されると聞いたんだが?」

 となりというが、これは勿論地所の話で,屋敷間は馬で四半刻近くはかかる。

「はい,明日はレージ家に赴き、夕食会に出席します。その翌日、レージ一家と共にガレシの館で移動いたします。狩猟会と茶会、それから夜会が二日に亘って開かれます。このあたりの家が、こぞって出席する地域の恒例行事ですので。」

 呼び戻された原因はこれである。昨年は喪中だったから慎んだが、今年は代替わり後の初参加だ。以前は、気楽に同世代と過ごしていれば良かったが、当主として顔見せして、挨拶まわり。気が重い。

「俺も同行させてもらえるか?」

「レージへですか?」

「できればガレシにも。」

 堅苦しい持て成しはいらない、と言っていた人が、堅苦しい場に赴こうと言うのだから思わず目を瞠った。

「傭兵育ちだからな、貴族らしく振舞えと言われても、想像がおっつかない。王都の夜会は何度か出席して,都の邸宅の様は何となく分かった気がするが,地方屋敷とか暮らしぶりは,あなたの屋敷で過ごさせていただいて,目から鱗だ。大変参考になるから,折角の機会として他の屋敷もぜひ拝見させていただきたいんだ。」

 調査ということらしい。なるほど,『仕事中毒』だと,帰還後に復命書を出す場合に備えて脳内でチェックを入れた。

「では,客室を一つ準備するように、」

「いや,《暁》で雇い入れたあなたの従者ということにしてくれるか?」

 さらりと言い出したが、これは簡単に頷くわけにはいかなかった。我が屋敷で,彼の要望を容れて随従用の部屋に通し,厨房で朝食を供しているのは,むしろ彼が「賓客」たるゆえだ。

「ですが、それでは他の者と相部屋となるでしょうし,食事なども召使と同じ扱いとなりますし,」

 何より自分や他の名士たちに対して,頭を下げてもらわねばならない。

「心配するな,そちらの暮らしが断然長いんだ。不審がられて,あなたに迷惑をかけることはない。」

 任せろ、と胸を張られるが,上官の上官クラスに頭を下げられるという芝居に自分が適応できるかという不安がある。

 何とか説得できる言葉はないものか、と探していると

「そも,俺をなんと紹介する気なんだ? 」

 公式的には,《暁》にいることになっている、忍びの身だ。

 曰く。適当な身分をぶちあげても,《暁》から来たといえば,妙な関心を集めて取り繕うのに苦労する。

 他家の従者をじっくり眺めて,実は誰かが身をやつしたお忍びの、とかは普通は考えない。もし王都で行き会っていても,他人の空似と思うだろう。

 下手な演技もいらない,従者としてお披露目したら放っておいてもらえばいい。

 などなどなど・・・。

 後から考えれば,相手は海千山千の政治家でもあったわけで,端から「説得」されるしかなかったのだけれど。


 地所が隣で,家格もほぼ同じのレージ邸は気の置けない滞在場所だ。ただ、そちらが五侯国の領内で、こちらが『遠海』に属するという、「枠」は普段はほとんど意識されない。各国から人が集まり暗黙の中立を保つ、保養地いう特性上かもしれない。

 とにかく、家族の趣味趣向も,召使の数も名前もよく知っている――はずが?

 最初のお茶を運んできた侍女と,焼き菓子を運んできた侍女と,お茶のお替りを持ってきた侍女が,全員知らない顔の若い娘たちだった。玄関先を掃いていた娘たちも,初めて見る顔だった。

「お預りしてるの。」

 訝しげな顔をしばらくは面白そうに見ていたが,種明かし、と母親と同世代の当主婦人はくすくすと笑った。五侯国の侯家の一つで侍女づとめをしていた経歴を持つ彼女は,地元育ちでそのまま幼馴染だった父に嫁いだ母とは違う洗練された雰囲気の婦人だ。

「昔のお友だちから頼まれて,うちで侍女のお仕事を体験する「お勉強」をしているのよ。『真白き林檎の花の都(アヴァロン)』って,不思議なお勉強をさせるのねえ。」

「――アヴァロンの学徒なのですか?」

 花陸の南西に浮かぶ『真白き林檎の花の都』島は,いずれの国にも属さない自治都市だ。別名『百の学び舎の島』という。昔,シンラが『図書館』を創建し,その後,ニーズに合わせた大小さまざまな(百以上の)『学校』が創設され,現在に至る。各国の一定以上の身分や財力があれば数ヶ月から、数年,席を置くのはステータスの一つだ。現『遠海』国王も大学に進学するべく,十代はじめに学園に入学していた(ただし勝手に退校し,そのまま出奔した)。イシュロアも地方貴族だが長男であり,戦がなければ1年程度,領地経営を学ぶ課程あたりで過ごしていただろう。中立,という理念を,あの時,アヴァロンの運営陣が放棄しなければ。

 破竹の勢いだった『凪原』に、『真白き林檎の花の都』に在籍していた『遠海』出身者を引き渡さねば,島ごと焼き払うと通告され、屈した。そして,あの忌まわしき《鈴》によって綺族と判断された者は,《柱》に捧げられ命を奪われた。

 中立不可侵であるからこそ,シャイデ花陸各国は『真白き林檎の花の都』の自治を尊重し,敬ってきた。歴史上,『真白き林檎の花の都』での若者時代の個人的な友誼があったからこそ。回避されてきた危機もあった。そこまで大仰にならずとも,国や家からひと時離れて個として過ごせた日々を大切に思うのは人として当然のことだ。また預ける視点からすれば,安全と思うから託し,その「中立」で「不可侵」の組織を運営するための資金も提供されていたのだ。

 無論、綺麗ごとばかりだったわけではないし,純粋に学問を志す者,将来を見据えたステップにしたい者の他に,自国にて将来を閉ざされた者のていの良い預け先であったことも事実だ。

 島は焼かれず,物質的な損害を被ることはなかった。だが,各国は次々に自国の生徒を引き上げさせた。

 当たり前だろう。嵐にも揺るがぬ大樹と思ったものが,じつはそよ風にも靡く葦だったのだ。

 戦後数年,往時の「賑わい」は戻っていないというが・・・。

「わざわざ,オルノまで来て、ですか?」

 島を離れての学習とは,学徒を呼び戻すための新しい教育法なのだろうか。

「あら,舟を使って水矢川を遡って,ノカノ渡し場から馬車を使えば1日半の距離よ?」

 辺境のような言われ方は心外だとばかりに夫人は眉を上げたものだ。

「夏ですもの。ちょっと変わった避暑のようなものよ。おしごとの時間も1日、5時間。料理人や下働きも連れてきていて,別棟を一つお貸しして,そこから《《出勤》》してくるの。」

 侍女の生活は,非常に限定的というわけだ。

「若い方々が多くいるのは、華やいでいいわ。実は今夜の夜は給仕役のお手伝いも、希望者にはお願いしてあるの。みなさん、経験できないことでしょう? おもしろがって、ぜひって。そのかわりガレシの舞踏会ではお客様として招いていただくよう老伯にお願いしてあるの・・・。」

 ()()()()()続く夫人の会話に適当に相づちを打ちながら,到着した際の彼の客人の様子が引っかかっていた。

 玄関先で箒を握っていた朱金の髪の少女を目に入れた瞬間,飄々たる表情が剥がれ落ちた。唖然というのか,明らかに慌てていた。

 『真白き林檎の花の都』の学徒なのだろうが、お嬢様にしては、やたらに箒の扱いに手馴れていた気はするけれど。


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