表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/186

2 帰郷

 休暇の申請書を一読した上官は、理由の部分を指ではじいて、見合いか、と直接的な言葉を投げてきた。彼も地方の小貴族の出だ。この時期、領地の屋敷(カントリーハウス)に呼び戻されれば、どんな状況が待ち構えているかよく分かっている。

「はあ・・・」

声に力が入らないのは、勿論乗り気ではないからだ。〈暁〉へ転属となってまだ二月と経っていない。やらねばならないことも、やりたいことも、ようやく分かってきたところなのだ。

「すぐ、戻ってまいります。」

「一か月となっているが?」

 身震いが出る。

「移動を含めて、三週間、いいえ二週間で戻ります。」

 〈暁〉に集まる人材はさすがに優秀だ。一月も田舎に閉じ込められていたら、自分の戻る場所はなくなっているに違いない。焦りの意味は分かっているのだろうか、上官は飄々と、

「休暇は権利なんだから、」

「いいえ、私はいま仕事に生きようとかたく決めております。」

 まだ二十歳だ。家庭をもった自分など、霞がかかったように、ぼんやりとしかイメージできない。父が健在ならば、あと五、六年は持ち上がらなかったはずなのだ。

「母の顔を見て、一つ二つ、近隣の狩猟会に顔を見せれば義理は果たせます。」

「----うーん、こうと決めたご婦人はなかなか手強いよ。君を待ち構えているのは、ご母堂だけじゃなく、ご令嬢の母君たちもだ。で、目的は一つ。君の捕獲だ。」

 相当物騒な台詞を、さらりと言う

「〈暁〉勤めの前途有望な子爵様は、狩り時だろうねぇ。色とりどりの令嬢を撒き餌にして、どの餌にかかるか、バチバチ火花を散らしつつも、君を狩場から逃さないことでは共闘するだろうねぇ。」

「じ、実体験でありますか?」

 三十を越えたくらいの上官は妻帯者だ。

「想像にお任せするよ。」

 軽く笑ったその目の色が、深くなった。

「五侯国国境の、白公領に近い、高原地方だったね、保養地で有名な?」

 はいと返事が返って,上官は顎に手を当てて束の間,黙考した。

「そうだね、・・・出張ということで仕事()けないかい?」

「出張、ですか?」

「うん、君の実家で預かってほしい人がいるんだ。」

 にっこりと上官は笑った。

「私の上官の、たいへん親しい方で、〈暁〉の大事な任を果たしている方がいるのだけど、いまその人についてある懸念がされていてね。」

「----はい、」

 〈暁〉の組織はびっくりするほど開放的だが、街を一つ創り上げようという巨大な計画である。出身国も様々だし、若い者が多いから、気持ちが行き違っての喧嘩沙汰もよく聞く。しかし,上の方で、持ち場から離してとなれば、何か不正が疑われていて監査や調査のためか・・・など勝手に緊張をはらませたが、

「仕事中毒でね。」

「・・・は?」

「身体を壊されては困ると仕事を終えさせて休ませようとすると、別のところにこっそり潜り込んで動いているという具合だ。ここ半年は一日フリーの日とかはなかったんじゃないかな。〈暁〉に置いておくと、仕事を見つけてしまうのなら、いっそ遠地に送って強制的に転地療養させるべきだという声も上がっていてね。」

 顔色も良くない気もするし,と憂慮のため息をついた。

「それは心配ですね。」

 なるほど,確かに酷暑の折,自分の実家の立地は転地療養にはもってこいだ。実際,(高級)保養施設も幾つもある。

「私でお役に立てることであれば,喜んでお世話させていただきます。」

「助かる。大事になる前にしっかり療養させたい。」

 ちょっと協議して来ると意を決した貌で立ち上がった上官は、さほどなく戻ってきて,正式な辞令を言い渡したのだ。


 そうして,表向きは帰省になっている出発の朝。

 上官が伴ってくるはずの人は,一人で待ち合わせの広場にいた。何でも建築現場で事故だかトラブルがあり、そちらに急行したのだとか。

「絶対ここから動くな,来たら馬車に詰めて護送するとか脅しやがって。」

 どこか拗ねたように状況を説明した後、その人は右手を差し出してきた。

「エヴィ・マアユだ。はじめまして。」

 五つか六つ年上だろう。日に焼けた顔には、気さくな笑みが浮いている。『仕事中毒』の『高官』というから,もっと年配で,不健康そうで,不機嫌そうな人物を想像していた。

「イシュロア・セリダです。」

 慌てて手を握り返した。

「悪いな、奴らが無茶をねじ込んで。せっかくの里帰りに,かわいい女の子ならともかく,こんな野郎を世話しろとか。」

「いえ、大事な任務と心得ております。」

 詳しい素性は最後まで教えてもらえなかったが、彼を何とか《(仕事)》から離したいが、離れることは絶対の秘密(トップシークレット)ということは伝わってきた。

 公爵直属のいずれかかと見当はつけている。公爵の身辺警護にかかわる重職か、執務の中枢に在る官僚か、その身に何かあれば、公爵の身も不安定になるような立場の----一見はまったく重々しくないが。

「----供の方々は?」

 裾の擦り切れた重いマント。上着の下からのぞく胴着は、布や毛糸を編んで刺繍などの飾りを施した最近の流行(ファッション)ではなく、薄革仕立てで本来の軽鎧の性格を持ったもの。そして使いこんだ長靴に鋼を仕込んだ革の手甲。

 隊商を護衛する傭兵を思い起こさせるいでたちだ。

 年齢からしても、あの大戦を国王や公爵とともに潜り抜けた勇士の一人だろう。数年を経たが、その苛烈な行軍の記憶にじわじわと精神を苛まれる人の話も聞く。

 小さな荷をくくりつけた馬が一頭。鼻づらをぽんと叩いて肩越しに振り向いた男は,

「却下した。」

と一言。

「休めというなら,それが立場だからと,もともと自分で十分できる身の回りのあれこれを任せるのも、護衛がはりつくのも、ぜんぶ休ませろ、と言ってやったら,さんざん文句は言っていたが押し切った。なに,迷惑はかけんよ。もともとが傭兵育ちだ。小さな部屋と朝食にパンとお茶を,召使食堂の片隅にでも用意してもらう居候な扱いでむしろ頼みたい。」

「いえ、そういうわけには参りません。上役からくれぐれも頼むと申し付けられております。」

 断固と語った。

「御身一つでお越しいただいて結構です。田舎屋敷で恐縮ですが、我が家人で何不自由なくお世話させていただきます。ただ・・・お体の具合はよろしいのですか?」

「・・・へ?」

「我がふるさとの気候はこの時期折り紙つきの過ごしやすさではありますが、田舎町であることは疑いなく、まじない師に毛が生えたような薬師がまだまだ幅をきかせております。正式に学んだ医師などは、公都まで行かねばなかなか。なので、せめて医官は同行させた方がよろしいのでいないかと思うのですが。お見掛けしたところ、やはり顔色も少しよろしくないようですし。」

「いや、これはただ今日から空ける分の書類整理に終われて寝てないだけで」

 仕事中毒、という言葉が真実味を帯びる。なるほど、これでは身体を壊す。気の毒そうな顔に気づいて、顔をひきつらせた男が問うてきた。

「あなたに上役殿はなんと説明したのかな? 」

 笑顔に迫力がある。

「仕事に追われ,お体の調子が思わしくなく、転地療養が必要だと。」

 基本,「お育ちのの良い」身には,翻訳できない類の呪いの言葉を彼は吐き出した。

上役のもとに駆け付け、旅程を破棄するのではないかと思った。余計なことを言ったのではないか青ざめる思いだ。上役の苦労を無にしたのではないか。これも出世の糸口と思ったのに,出発もしないうちから,役立たずの烙印だ。

 ぶんと頭を振った男はたづなを引いて,しかし,少し離れたところで待機しているイシュロアの伴人たちに向かって歩き始めた。

「・・・行かれ、ますか?」

 上ずった声に,彼の不安を見透かして案ずるなというように笑った。

「休暇の提案にのってやる、と決めたのは俺だからな。俺を出すために、面倒な工作をさせたのも事実だし、予定通りお世話になる。だが、その病だの療養だの、あなたに引き受けさせるためだか知らんが、やつらが吹き込んだ妙な前情報は忘れてもらいたい。」

「・・・はい、」

 大丈夫といいたがる病人ほど、大丈夫ではないというから間が空いた。聡い人はちょっと呆れたように笑ったが、その件について言葉を継ぐことはしなかった。

「オルノ高原か。一度行ってみようとは考えていたんだ。」

 上流層向けの保養地だ。戦前、傭兵をしていたのなら縁はなかったろう。割と俗っぽいのだなと思った。()()()()()

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ